長男から贈られた艦船プラモデルを製作すべく(*1)、図書館から旧海軍の艦隊編成や駆逐艦“雪風“についての資料を借りて読み、youtube動画も観た。軍艦は大きい順から戦艦(Battle ship)、巡洋艦(Cruiser)、駆逐艦(Destroyer)で敵艦隊や陸地を艦砲射撃するのが戦艦や巡洋艦の役目だ。

一方、駆逐艦は爆雷で潜水艦を攻撃し砲撃と魚雷で敵艦隊を攻撃する。特に日本の酸素魚雷は高性能で米英の3倍もの射程距離を誇った。さらに航空機に対しても高射砲や機銃で対空砲火を行える。速度が速く(*2)、対潜、対艦、対空、輸送と万能な役割を担える駆逐艦はあらゆる軍務で重用された

皮肉にも日本海軍は最期まで大艦巨砲主義だったが、その日本が真珠湾等で世界に示したことで第二次世界大戦では航空機の重要性が高まり、艦隊の中心は戦艦から空母(Aircraft Carrier)に移ったが、空母の護衛にも駆逐艦は欠かせなかった。現在の自衛隊の護衛艦も往時の分類では駆逐艦である。

これらの理由から大戦中に前線に投入された駆逐艦は82隻もあったが終戦まで沈没せずに生き残ったのは“雪風”のみ、しかもほぼ無傷だった。駆逐艦の中では“雪風”は開戦時点(1941年)では零戦同様最新型だったが同型駆逐艦18隻中17隻は沈んでいるから、知れば知るほど神がかりの強運艦だ

上記の行動概略図を見ると驚くが“雪風”は大戦中の4年弱で30を超す殆どの作戦に従事し全航程は23万km超に及ぶ。さらに終戦後は復員輸送船として15航海し1万3千名余の邦人を本土に帰還させた後、賠償艦として中華民国に引き渡され、旗艦「丹陽(タンヤン)」として20年以上も活躍した。

その後、日本は横須賀に記念艦「三笠」と並べて永久展示すべく、台湾に“雪風”を返還してくれるよう申し入れた。しかし“雪風”は1969年に艦齢29歳であえなく廃艦となり解体された。日台友好の記念として舵輪と錨だけは日本に返還されたが再びその雄姿を日本で見る事は遂に出来なかった。(*3)

ならばせめてプラモデルは(フルハウを選択して)船底やスクリューまで作って台座に飾ろう。但し添付の黒い台座はいかにも安っぽいので(こういう点はモデラーは案外無頓着)もっと良い台座はないかと百円ショップで探した結果、木製の皿を逆さにして台座とし脚部も銀色に塗って金属っぽくした

一方で樺太から南太平洋まで疾駆した“雪風”の雄姿を含めた海洋ジオラマも作りたい。そこで半分の大きさの1/700スケールの“雪風”プラモを別途購入し、これを海洋ジオラマ化することにした。1/350で海洋ジオラマを作るのは大き過ぎて製作的にも経済的にも辛いが1/700なら何とか出来そうだ。


1/700モデルもフルハウとウォーターラインの選択が可能だが、こちらは海洋ジオラマにするため喫水線までしか作らないウォーターラインを選択。また装備も選択が出来るが、1/350モデルに合わせて最終形(1945年)を選択することにした(いずれも上記箱絵の右下側)。

つまり1/350モデルと1/700モデルの2つの“雪風“を同時製作して並べ、小さい方は海洋ジオラマの中で浮かべ、艦上の細かい造作などは大きい方をじっくり見てもらう事にする。海洋ジオラマの材料もケースも全て百円ショップで購入出来る目途が立ったので、これで製作構想はほぼ固まった
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*1:本件の経緯については下記ブログご参照。
奇跡ノ駆逐艦雪風構想二着手ス | Saigottimoのブログ
*2:当時の戦艦や巡洋艦は20ノット台だったが雪風の最大速力は35ノット(約65km/h)。ノットは海里/時で、1海里は地球の緯度1分の長さ(1,852m)
*3:雪風の舵輪は広島県江田島市の旧海軍兵学校(現海上自衛隊幹部候補生学校)の教育参考館に、錨はその庭に展示されている。

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