一昨日(12/16)はベートーベンの満250歳の誕生日だったそうだ。私は幸いにも異なる弦楽四重奏団で今月2回もベートーベン•プログラムを聴くことができたが、世界中で予定されていた記念コンサートは軒並み中止となっているようだ。今年は日本の“年末の風物詩”とも言われる「第九」演奏会もどうなることやら...。
【左:Quartet Serioso(12/6•加賀町ホール)】
【右:カルテット カオス(12/17•浦安音楽ホール)】
「第九」といえば、玉川学園の音楽祭は小中高大一緒で大学1年生は毎年全員が「第九」の合唱をする。私は中高生の時は聴いていて全くつまらなかったが、大学で何ヶ月もパート別練習をするうちに面白くなって好きになった。自分が演ることで初めて良さが分かる曲もあるという事をベートーベンの「第九」で知った。
年末の第九もそうだが、特に日本での評価が高いベートーベン。以前このブログで、クラシック音楽とは“どんな時代にも愛好され、いつまでも残る良い音楽”という大町陽一郎氏の定義を紹介したが、生誕から250年経っても世界中でこれだけ愛好されるベートーベンはまさに“クラシック界のスーパースター”だろう。
そしてベートーベンは天才作曲家として数々の名曲を世に残しただけではなく、別の意味で大きな業績を残している。それは社会における音楽家の地位向上である。私も晩年に親交があった作曲家にしてヴァイオリニストの玉木宏樹氏も生前「作曲家という職業を確立したこと」でベートーベンを高く評価していた。
ベートーベンより前の音楽家は楽師として宮廷や有力貴族に仕え、彼等をパトロンとして演奏をすることで生計を立てており作曲だけでは独立した経済的価値を生まなかったようだ。ベートーベンは貴族のみに頼らず一般大衆を相手に演奏家とは独立した作曲家という職業を確立した点で以降の音楽界に大きく貢献した。
この点では“柔道の父”嘉納治五郎も同様である。彼は日本古来の柔術を「柔道」というスポーツに昇華して世界中に普及させ第二次世界大戦前にオリンピック招致の偉業を成し遂げNHK大河ドラマ「いだてん」でもフィーチャーされたが、実は柔道整復師の法制化にも尽力して柔道家に職業選択の道を拓いている。
スポーツも音楽などの芸術も、人類にとって素晴らしい価値があることは皆知っている。しかしそれを人々に示し、伝え、享受させるのもやはり人である以上、そうした先導者(トップランナー)や指導者(インストラクター)を育てることはとても大切だ。だから、その人達の生業を確立することはさらに凄い事ではないだろうか。
【左:ベートーベン、右:嘉納治五郎】
関東大震災後の帝都復興院総裁だった後藤新平は晩年、遺言のように「いいか、後世にカネを残す奴は下だ、事業を残すのは中、ヒトを残すのが上だ」と語ったという。でも1人の人間が直接育てられる人数には限りがある。その点でベートーベンや嘉納治五郎の様に職業の道を拓いた人の貢献度は計り知れない。
作曲家として芸術作品を生み出す事も尊いが、「作曲」という仕事を一つの職業として確立するという事は全く違った社会的な価値がある。私は一音楽愛好家であると同時に国家資格2級キャリアコンサルティング技能士として、この点でもメモリアル・イヤーにベートーベンはもっと評価されて良いと思う。
Saigottimo

