これから5日も会えないというのに






奴は鼾をたてて寝始めた。 






それが薬のせいだと分かるのはずっと後のことだ。









疲れてるのかな?寂しいなと思いながら、朝の2時半ぐらいに出張の準備のために自宅へ戻る。









出張とは言っても、仕事をするのは数日だけだ、荷造りにはそう時間は掛からない。










シャワーを浴びて、とりあえずベッドに入るが








早朝のフライトといろいろなことが頭の中をよぎり眠りは浅い。








家を出る前に、パスポートと海外用の財布をとり、中を見る。








あったはずの4~5千円がきれいにない。










数日前に仕事に行く支度をしていたときに 背後できらっと光ったように感じた







奴の視線を思い出す。







“まさか”と思う。 








Denial(否定)  







は中毒者と相互依存(Co-dependent)で関わる人間がする







代表的なことである。








その時は奴が、私を傷つけるような事をするはずないと硬く信じていた。







そしてその後、そう硬く信じるあまり、








どんどん深い傷を負っていく事になる。


















捨てる神ありゃ拾う神あり




“どんな子か会ってみないと分からなかったけど、いい子ジャン、




次の家が見つかるまで家に泊まっていいよ。”








日本への出張中、ホテルにでも泊まらせておこうかと




薬中の行動に一切無知な私は考えていたけれど、





やっと肩の荷が下りた気がして、踊りに行くことにした。







奴が昔働いていた香港で当時一番人気のあったクラブへ行くと





水曜日にも関わらずたくさんの人で込み合っていた。






奴は自分の荷物をクロークに預けると昔の馴染みから





ビールをただでもらってきた。









その日はモデルナイトらしく、妙にヒョロヒョロ背が高く





仮面をかぶっているような客ばかりだった。






トップクラスのクラブで、週末はメンバーオンリーという条件になっていたから、






殆どの客が鼻を高くして、肩で風を切って歩くような態度に





本当は馴染めなくて、いつもそこへは空っぽな気持ちで行っていた。






奴の存在は、すべてを変えた。




私たちの心の中には満ち足りた、愛しい音楽が流れていた。













次の日出張だからと、早めに切り上げ友人宅に着くと





奴はシャワーを浴びてくるとバスルームに入っていった。





30分以上経ってから




“鼻血が止まらなくて”




と奴が出てきた。








友人は自分のベッドルームに消え、





我々は床に寝転んで、これから会うことのできない5日間を





寂しく思った。









その時の私にはそれが半年以上にも及ぶとは





全く想像がつかなかった。



















15ぐらいの頃から家を飛び出して



友人の家を転々としていた奴には




誰かに追い出されることなど、傷つくに値しない事になってしまっていたのかも知れなかった。





次の日は、奴は湾チャイにある、




麻薬中毒患者用の施設の事務所に行くと言った。






出張前でいろいろと準備があったので、




夕方銅鑼湾のそごうで待ち合わせることにした。





その日誕生日の食事をする約束になっていた友人には





事の次第を説明し、その晩奴も食事に参加する許可をもらった。







日本食を食べながら、ルームメートと違い




自分も昔遊びで薬をやったことがあるその友人は





とてもサポーティブで仲睦まじい私たち二人をニコニコ眺め




“いいよ、家に泊まって”





といってくれた。





感謝の気持ちでいっぱいだった。