裁判員になるのか?とつぶやく酒と競馬が好きな自由業者
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裁判員に心のケアが必要とは・・・

ショッキングな事件の裁判員を担当した方のための心のケアの必要性が叫ばれているそうです。
たしかに、ショッキングな写真を見せられたりとか、衝撃的な供述を聞かされたりすると、心のナイーブな人は大変でしょうね・・・

しかし、これはある意味、生きていく上で大事なことかもしれません。
人間の醜いところや酷いところを知らずに、生活していくのって、ちょっと何か違うような気がするのです。
基本的に私は裁判員制度はあまりいい制度とは思いませんが、
人間のダークサイドな一面を目の当たりにするというのは、もしかしたら非常に意義深い経験かもしれません。

裁判員を辞退したい人は3人に1人

もし裁判員に選ばれたら辞退したい人は3人に1人だそうす。
これは全く正常な感覚だと私は思います。
辞退したい理由は2つ。
もし死刑などのような重大事件だったら、死刑という決定をする責任に耐えられるのかどうか、という心配。
次に、その間仕事ができなくなるという理由です。

一つ目の理由は、もし世間を騒がせているような大事件だったとして、犯人に対する世間の雰囲気が「けしからん、こんな奴は生かしておけない、死刑だ!」という感じだったら冷静な判断ができるのでしょうか?

二つ目の理由は、裁判員として召集されている間仕事に影響がある、と言って通用する職業とそうでない職業、誰が判断するのでしょう?
私のようにフリーで仕事をしている人は、世間から見たら上司がいるわけでもなく、自分でスケジュールを決められる部分があるのでお気楽に見えるかもしれません。
しかし、全ては自己責任です。
だれも私を守ってくれません。
裁判期間に新規案件が舞い込んだら断らなくてはいけません。
その仕事に対する見返りを、いったい誰がしてくれるのでしょうか?
裁判員制度は、そういうことを想像すらしたことのない、ある意味恵まれた人たちが言い出したことなのでしょう。

裁判が弁護士のパフォーマンスになるのでは?

以前「シカゴ」というミュージカルの映画を見ました。
レニー・セルヴィガー、キャサリン・セタ・ジョーンズ、リチャード・ギアなどが出演していたのですが、レニーが扮する女性が殺人犯で、リチャードが弁護士なのですが、明らかにレニーが殺人犯なのに、弁護士の話術とパフォーマンスで無罪を勝ち取ったうえに、キャサリンとともに「元死刑囚コンビ」としてスターになっていく、というストーリーだったように思います。
細かいところは間違っているかもしれませんので気になる人はDVDでも見てください。

で、結局は裁判員制度で、弁護士の話術に誘導される裁判員が多いのではないかということです。
「幼い頃から両親の虐待を受けた容疑者が、トラウマに悩まされていた。しかも極度の貧困で経済的にも窮地に追いやられていた。そんな容疑者が、やむを得ず銀行強盗をした」なんてお涙ちょうだいのストーリーにしたてあげられてたら、本来罪を償うべき容疑者でも無罪なってしまうのかもしれません。

守秘義務を守れるか?

これだけインターネットで個人が情報発信できるようになった時代です。
裁判員に選ばれた人は、事件の内容を他人に話してはいけないし、ブログなどで書いてもいけないし、たしか裁判員になったことも関係ない人に言ってはいけない(ここはうろ覚え)、そうだったと思います。
しかし、こんなことは本当に守れるのでしょうか?

昔に比べて、学校でもクラス名簿を出さなくなったり、テレビ番組のプレゼントでも氏名を発表しなくなったり、個人情報の公開を制限するようになっているのに、裁判員制度は時代に逆行していないでしょうか?
どう考えたって、裁判員になった人全員が、守秘義務など守るはずがありません。

車のドライバーでも駐車禁止違反は日常茶飯事ですし、たとえ100万円の罰金でも酒気帯び運転は後を絶ちません。
するなと言われればしたくなるのが人情。
ましてや司法に対する職業意識のない我々素人ならなおさらです。

まあ、わざわざブログで公開する人は少ないと思いますが、酔った勢いで「実は俺、裁判員にえらばれてさ~」なんて友人に内容を話す人は続出するのは想像にかたくありません。

職業に貴賤をつけるのか?

それから「仕事の事情により裁判員の辞退を認める」というのも解せないところです。
なぜ裁判員の辞退を認める職業と認められない職業があるのでしょうか?

警察官が裁判員になれないというのは分かります。
警察官は司法に関係する職業ですから。
また、介護をする必要がある場合なども、私的にはいいと思います。
しかし、仕事が忙しいからといってそれが辞退する理由になるのならば、どんな職業だって辞退できる権利がなければいけないはずです。

その仕事が忙しいかどうか、時間的余裕があるのかないのかなんて、外部の人がどうして判断できるのでしょうか?
傍目にはそんなに忙しそうに見えなくても、実のある仕事をするためにはじっくりと考える時間が必要な仕事だってあります。
どちらかというと、私の仕事はそんな仕事かもしれません。
仕事のスケジュールは自分で立てられますが、一度決めたら何が何でもそのスケジュールを守らなくてはいけません。
あんたの仕事は暇だろうなんて感じで言われたら頭にきます。

もし私のところに裁判員の通知がきたら、私は一度は辞退してみます(最終的には参加したいのですが)。
俺の仕事をなめているのか、おまえらに俺の仕事が代われるのか、外野がとやかくいうんじゃねえ、と言いたいのです。

冷静な判断ができるのか?

そもそも裁判官・弁護士・検察官は超難関で知られる司法試験を突破したエリートです。
中には大学の法学部を卒業して何年も司法試験の受験勉強をして合格した人もいます。
それくらい勉強を重ね、法律のプロでも非常に難しいのが裁判の判決です。
抽選で当たった、全く素人の我々が関わっていいのでしょうか?
マスコミ報道や弁護士のパフォーマンスに左右されない、冷静な判断ができるのでしょうか?

インターネットを見ていると、特に掲示板などで「炎上」というのを目にします。
何かマスコミで印象の悪い報道をされた人たちに対し、よってたかって誹謗中傷を繰り返し、バリ雑言を浴びせると言う行為です。
はっきり言って冷静に判断し批評しているとは思えません。
そこには感情的な負の攻撃があるだけです。

裁判員制度に反対する理由

私が裁判員制度に反対する一番の理由は、「我々一般市民は、司法に関することは素人である」ということです。
もともと裁判員制度は、刑罰に関する市民感覚を反映するため、ということが背景だったと思います。
また、欧米、少なくともアメリカでは裁判員というか、陪審員制度というのがあって、市民が裁判に参加すると言うこともあったと思います。

しかし、何でもかんでも欧米にならえばよいと言うものではありませんし、かえって良くないことであるかもしれません。

裁判員制度に関する私の意見

裁判員制度が始まりますが、裁判員制度には賛否両論あるようです。
まず最初に断っておきますが、私自身は裁判員制度に反対です。
もし私が裁判員に選ばれたらどうするか?
上に書いたことと矛盾するようですが、辞退せずに参加しようと思います。
この制度自体には反対なのですが、司法に関わるまたとない機会なので是非とも参加したいと思います。

このブログでは、裁判員制度に関する私の個人的な意見を書いていきたいと思っています。
もちろん、個人的な意見ですから、この意見が正しいものであるとは思っていません。
ただ、日本では言論の自由が保障されていますから、言いたいことを書いていきたいと思います。

今後、可能性は低いですが、もし裁判員に選ばれても、裁判の内容は書くつもりはありませんし、「裁判員に選ばれた」ということすらも書くつもりはありませんのであしからず。