裁判が弁護士のパフォーマンスになるのでは? | 裁判員になるのか?とつぶやく酒と競馬が好きな自由業者

裁判が弁護士のパフォーマンスになるのでは?

以前「シカゴ」というミュージカルの映画を見ました。
レニー・セルヴィガー、キャサリン・セタ・ジョーンズ、リチャード・ギアなどが出演していたのですが、レニーが扮する女性が殺人犯で、リチャードが弁護士なのですが、明らかにレニーが殺人犯なのに、弁護士の話術とパフォーマンスで無罪を勝ち取ったうえに、キャサリンとともに「元死刑囚コンビ」としてスターになっていく、というストーリーだったように思います。
細かいところは間違っているかもしれませんので気になる人はDVDでも見てください。

で、結局は裁判員制度で、弁護士の話術に誘導される裁判員が多いのではないかということです。
「幼い頃から両親の虐待を受けた容疑者が、トラウマに悩まされていた。しかも極度の貧困で経済的にも窮地に追いやられていた。そんな容疑者が、やむを得ず銀行強盗をした」なんてお涙ちょうだいのストーリーにしたてあげられてたら、本来罪を償うべき容疑者でも無罪なってしまうのかもしれません。