憲法講座 第2回「胸が熱くなる!~憲法の自己紹介とビジョン~」 | 労働組合ってなにするところ?

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2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

2023年は、逆転の年です。

ロシアのウクライナ侵攻を言い訳とした軍拡とそれに伴う防衛費倍増を許さず、社会保障の削減や負担増、増税の方針を転換させ、不十分なコロナ対策を見直し、疲弊している医療従事者・介護従事者を支援し、人員増のための施策を行ない、憲法改悪を阻止し、安心して働ける職場をつくるため、行動し、声を上げることを提起します。

そして、戦争・紛争が一刻も早く終結し、避難している人々が安心して過ごせるようになることを願います。

 

 

12月15日、岡山県労働者学習協会の憲法講座第2回「胸が熱くなる!~憲法の自己紹介とビジョン」にオンライン参加しました。

講師は長久啓太先生でした。

以下、その概要をまとめます。

 

はじめに、今回は憲法のそもそも、前文、そして9条の話をすると述べました。

第一章では、憲法の3つの自己紹介が語られました。

憲法の自己紹介とは第10章「最高法規」であり、全103条のうちの第97~99条のことだそうです。憲法の読み方の一つとして、憲法が自己紹介をするところから読むことが勧められました。

第97条には、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と書かれています。

この条文は、憲法の目的が書かれていると指摘しました。

「過去幾多の試練に堪へ」は、人権が奪われやすいものであることを想起させます。特に戦争で人権は奪われてきました。

「現在及び将来の国民に」とは、まだ生まれていない国民も含めてということです。

「信託されたもの」とは、信じて託されたものということです。

つまり、基本的人権の保障こそが憲法の奥的であり、最高法規の実質転機根拠であると指摘しました。

青井未帆氏と山本龍彦氏の『憲法Ⅰ 人権』には、「日本国憲法の究極の目的は『人権の保障』にある。すべての価値の源泉は個人にあり、国家のために個人が道具のように扱われることがあっては、決してならない。これが、憲法が国法秩序における最高の法規範であることの根拠である」と書かれているそうです。

長久さんにとって憲法とは何かというと、「憲法=人権保障」だと答えているそうです。そして、人権とは私が私でいられるためのもの、自由・権利だと述べました。

第98条は、憲法の二つ目の自己紹介だそうです。

98条には、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。 ②日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」とあります。

つまり、憲法は国の最高のルール、トップであると示しています。

なぜ最高のルールなのかというと、憲法は人権を保障するものだからだと指摘しました。

そのため、憲法は一般の法律よりも改正を難しくしています。各議院の総議員の3分の2以上の賛成によって発議し、国民投票で過半数を取ることによって国民による承認を得なければなりません。人権を守るものだからこそ、簡単に変えられたら困るということです。

また、二項によって、国際的な人権の確立、進歩を日本国内に取り入れることができると指摘しました。例えば、ジェンダー平等、子どもの権利、障害者の権利などです。これまで国連で決められた人権に関わる主要9条約も、日本に取り入れることができるということです。

第99条には、憲法を守らなければならない人は誰かが書いてあります。

99条には、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とあります。

これらの共通項は何かというと、権力担当者、国家権力を取り扱う人たちだと指摘しました。つまり、ほとんどの人は入っていません。

国家権力は、立法(国会)、行政(内閣、校務員)、司法(裁判所」の3つに分かれており、憲法の縛りを受けています。中でも立法は、法律をつくったり、なくしたりできる唯一の機関だと指摘しました。

国家権力が一番人権を侵害してきた主犯であり、そのため、国民の人権を保障するために憲法で権力を縛っています。つまり、憲法に基づいて権力を行使する、政治を行なうことになります。こうした考え方を立憲主義と言います。立憲主義は学校では教えないので、労働組合などで勉強するのが大事だと述べました。

憲法を守らなければならないのは国家権力を持っている人々です。

木村草太先生は『憲法という希望』という著書の中で、「立憲主義とは、ごく簡単に言えば、過去に権力側がしでかした失敗を憲法で禁止することによって、過去の過ちを繰り返さないようにしよう、という原理のことです」と書いているそうです。

小森陽一先生は『私の座座標軸-憲法のいま②』の中で、「憲法とは、主権者である1人ひとりの個人が国家の権力行使に縛りをかける、そういう意味での最高法規だということを多くの人に明らかにしていくところがいま勝負なんです。国家に縛りをかける主権者の側が一番大切なところを実感としてつかんでいないところが問題です」と書いているそうです。

岸田政権はめちゃくちゃで、憲法どおりに仕事をしていません。よって、憲法に基づいて権力をチェックしなければならないと指摘しました。

 

第二章では、立憲主義についてとりあげられました。

イギリスのジョン・ロックは、人間が生まれながらにして持っている権利を「自然権」と呼び、人々は自らの権利を守るために、お互いに契約を結んで政府をつくりあげたという「社会契約説」を唱えたそうです。そして、政府が権力をほしいままにして権利を侵害した場合には、国民が「抵抗権」を使って政府を倒すことができると考えたそうです。

こうした思想の流れを受けてつくられたのがアメリカの独立宣言であり、すべての人は「奪うことのできない権利」を持ち、その中には「生命、自由および幸福の追求」が含まれ、これらの目的を損なう時は、抵抗して「新たな政府を組織する権利を有する」としているそうです。

この基本的人権の考え方は、日本国憲法第13条に受け継がれていると指摘しました。

伊藤真先生は『高校生からわかる日本国憲法の論点』の中で、「私たちは、自分たちの憲法がそのような歴史の流れを引き継いだものであることを忘れてはなりません。憲法の問題を考えるにあたっては、『個人の権利』を尊重するための『国家権力への歯止め』であるという近代憲法の本質を、常に肝に銘じておく必要があります」と書いているそうです。

 

第三章では、日本国憲法前文についてとりあげられました。

前文は、日本国民が決意したことであり、そして未来へのビジョンであるそうです。

前文には二つの「決意」が書かれているそうです。そして、憲法の思想、理想、これからの世界をこうしていきたいというビジョンが書かれているそうです。そのため、抽象的な言葉が多いと指摘しました。

ポイントは、主語がはっきりしていることで、4分の3は「日本国民は」、4分の1は「われらは」なのだそうです。

決意の一つ目は、「日本国民は(中略)政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意」とあります。

そして、「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」として、憲法の基本に反する改定はできないことを示しています。

決意の二つ目は、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。

「諸国民」とは、普通の一人一人の人間、生活者のことであり、そうした人々は戦争を望まず、平和を欲すると指摘しました。そして、そうした人々がお互いの政府に戦争をさせないようにすることで平和を保とうということだと指摘しました。この考え方は、嫌というほどの戦争体験が背景にあると述べました。

そして、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」というのは、先頭に立って頑張りたいということだと指摘しました。

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とあるのは、一国の憲法でありながら、全世界の国民に平和に生きる権利があると宣言しているのだと指摘しました。

最後に、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と宣言しています。

前文には、平和をつくりだす「新しい考え方」が示されていると指摘しました。

そのことを解説しているのが、1973年に札幌地裁が出した長沼判決だそうです。

長沼判決は、「①平和憲法のもと、国民の権利・自由を保障する民主主義国家として進むことによって、国内的に戦争の原因が発生することはないということ」、「②そういう平和的民主主義国家として歩む我が国を侵すものはいないという確信」、「③世界各国民はいかなる時期にも増して世界平和を念願し、対立・抗争があってはならないという信念が世界に行きわたっているということ」、「④国際連合の発足によって戦争防止と国際間の安全保障の可能性が芽生えてきたということ」を示したそうです。

憲法前文からは日本が軍備を持って戦うことを容認する思想は全くないと指摘しました。

小田実氏は九条の会の講演会において、「憲法前文が日本の憲法のあり方を明示していますが、そこには『世界は変革しなければならない』ということが書いてあります。(中略)世界の付き合いの中で、ただ力づくで平和を維持しろと言っているのではありません。前文は変革を内包している。しかし、その変革を、非暴力で、戦争をせずにやって行くのだということが書いてある。それが、憲法前文です。見事な王道の憲法だと思います」と述べているそうです。

青井未帆氏は『女性白書2023』の中で、「日本国憲法のコミットする平和主義は、政府の憲法解釈のような狭い『国家』安全保障にはとどまりません。広く、政府が行うべきこと、政府が関係諸国の政府と連携して行うべきことに加え、私たち市民が主体となって行いうることも、数多くあるはずです。(中略)人々が平和に生きる権利が実現するために、国家安全保障の土台となる平和的な共存関係を作り出すことは、今を生きる市民がなしうる重要な課題というべきです」と書いているそうです。

世界にはたくさんの課題があり、前文にはそれが射程に入っていて、私たちが取り組むべきことも内包していると指摘しました。

 

第四章は、憲法9条の力についてとりあげられました。

憲法9条は、国連憲章が元になり、さらに踏み込んでいるそうです。

9条2項には、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とあります。

9条1項は、このレベルの憲法は他国の憲法にもあるそうです。9条2項の戦力放棄にまで踏み込んだのはなぜかというと、戦争の体験を背景にしており、原爆の体験など、あまりにも戦争がひどかったため、軍隊をなくさなければ平和は守れないと考えたのだと指摘しました。

ダグラス・スミス氏は『ラディカルな日本国憲法』の中で、「第9条は数人の個人の精神の産物ではなく、終戦直後の数ヶ月、日本全体をおおった雰囲気を表現している。その時、核爆発の余韻はいまだ消え去らず、焼け焦げた肉体の臭気がまだ立ち込めていた。新たな時代の真の性格-核戦争という途方もない不条理と、いっさいの軍事力が核戦争の防衛としてはまったく無価値であること-がはじめてその姿を見せたのが、まさにこの時代であり、この場所だったのである。当時、第9条は日本のほとんどすべての人にとってまったくあたり前のことに思われたに違いない」と書いているそうです。

1946年の内閣『新憲法の解釈』には、「識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺するであろうと真剣に憂えている。(中略)新憲法のように、大胆に捨身となって、率直に自ら全面的に軍備の撤廃を宣言し、一切の戦争を否定したものは未だ歴史にその類例を見ない」と書いてあるそうです。

また、9条は天皇制の存続と沖縄の基地化とセットで生まれ、これは戦後日本の弱点を生み出す要因になったと述べました。

平和憲法、9条のもとで、戦後日本は78年間直接戦争に参加することなく歩んできました。自衛隊も、直接他国人を殺したことはありません。

政府の自衛隊の説明は「必要最低限度の実力」であり、9条2項の「歯止め」は、自衛隊を「先に撃てない軍隊」、「戦場に行けない軍隊」としてきたと指摘しました。防衛費の抑制は、GDP比1%が目安とされ、憲法の平和主義で考え、行動する人々を数多く生み出してきたと指摘しました。

しかし、今直面する危機として、昨年12月に閣議決定された安保3文書があげられました。

これにより、トマホークなどの相手国の領土を攻撃できるミサイルの保有が可能となり、それを実現するために5年で43兆円もの軍事費が予算化されることとなりました。そのため、これから大増税が行なわれることが予測されています。

背景にはアメリカの要求があるそうです。米中対立、台湾危機を理由としていますが、戦争準備で軍需産業を潤すという目的もあると指摘しました。

暮らしがひっ迫する一方で、大膨張する軍事費を正すためには、政治を変えるしかないと述べました。憲法のものさしで政治を見て、行動していかなければならないと提起しました。

 

第五章として、憲法の目的と仕組みのおさらいが行なわれました。

憲法の目的は人権保障であり、第3章を読み、身につけることが大事だと述べました。そして、憲法9条の平和主義はその前提であると指摘しました。

第4~8章は、憲法の目的を実現するための仕組み、手段について書かれていると述べました。

前文の平和的生存権は具体的な人権であり、第9条の戦争放棄、戦力不保持は、憲法の目的を支える土台だと指摘しました。

前文の理念とビジョンを自分のものとしてつかみ直し、実践につなげたいと述べました。

 

以上で報告を終わります。