2016年5月 輝け!日本国憲法のつどい | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

まず、熊本、大分を中心とした地震の被害に遭われた皆さまにお見舞い申し上げます。

合わせて、避難不可能な状況下での原発災害を防ぐために、川内原発の運転停止を求める署名への賛同を呼び掛けます。



https://www.change.org/p/%E5%B7%9D%E5%86%85%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%82%92%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84?source_location=discover_feed



そして、戦争法廃止に向けてたゆまず行動し、憲法に違反する政治を推し進めようとする策動を許さず、医療・介護を国の責任で充実させることを求め、最低生活基準を切り下げようとする動きに抵抗し、労働者のいのちと健康と働く権利を守り、東日本大震災の被災地の復旧・復興が住民の立場に立った形で1日も早く実現することを目指して、声を上げていくことを提起します。



2016年5月19日、埼玉憲法会議主催「輝け!日本国憲法のつどい」が開催されました。メインの講演は、聖学院大学の石川裕一郎教授が講師を務め、「失言・暴言から考える憲法と政治」というテーマで行なわれました。以下、その概要をまとめます。

石川先生は、最近発行された『これでいいのか! 日本の民主主義 -失言・名言から読み解く憲法-』という本に執筆者の一人として参加されたそうです。この本には、比較的若手の、30~40代の憲法学者が、北は北海道、南は鹿児島から参加しているそうです。最初はここ1~2年の失言、暴言を取り上げようとしたところ、それだけでは暗くなってしまうので名言を後半に入れたそうです。

失言は、2015年のものを多く収録していて、石川先生は2015年7月30日の、武藤貴也衆議院議員による「『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考え」というツイートを取り上げたそうです。これはSEALDsを批判したもので、このツイートが炎上したことで彼は叱責を受け、その後、自分自身が議員という立場を利用したインサイダー取引という“自分勝手”なことをしたことが判明し、自民党を離党しましたが、まだ議員にはとどまっているそうです。

石川先生は、大学の授業では、こうした新しく、ニュースに取り上げられた失言・暴言を題材とし、憲法にてらして何が問題かを解説しているそうですが、ここではあまりニュースで取り上げられない「地味な」問題発言、記述を取り上げると述べました。そうした「地味な」発言の中にも、憲法を学ぶうえで見逃せないものがあるそうです。

まず、2004年3月11日に行なわれた自民党の憲法調査会憲法改正プロジェクトチームの第9回会合の議事録から、森岡正宏衆議院議員の発言が取り上げられました。「私は徴兵制というところもまでは申し上げませんが、少なくとも国防の義務とか奉仕活動の義務というものは若い人たちに義務づけられるような国にしていかなければいけないのではないかと。(中略)いまの日本はあまりにも権利ばかり主張しすぎる、個人ばかり強調しすぎる。もう少し調和のある憲法にして頂きたい。3つしか義務がないような日本国憲法では困る。」という発言です。憲法の知識のない状態で、一般の道徳論として発言するのならばわからなくもないけれど、しかし、憲法上はこれは問題発言です。憲法は誰に向けたものか、憲法というルールが何なのかわかっていないからです。憲法とは何かを理解するうえで最初に学ばなければならない条文に、憲法99条があります。その条文は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」というものです。主語は「公務員」であり、この憲法を守る義務があるのは公務員であって国民ではなく、国民は憲法を守らなければならないというのは誤解なのです。国民に義務を課すのは法律であって、憲法ではありません。さらに、これは人としての公務員ではなく、公務員が持っている権力を縛る条文です。憲法は“国家の最高規範”であり、国民の規範ではないのです。

次に取り上げられたのは、2005年10月7日に発表された自民党新憲法起草委員会による「新憲法前文・原案」です。これは中曽根康弘元首相が書いたものだそうです。「日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴として古より戴き、和を尊び、多様な思想や生活信条をおおらかに認め合いつつ、独自の伝統ご文化を作り伝え多くの試練を乗り越えて発展してきた。」というものです。美文調であり、最終的には没となったそうですが、これは日本国憲法のスタンスとぶつかる文章です。憲法は味気ない文章であることに意味があり、それは特定の価値を押し付けないということです。たとえば、「太平洋と日本海の波洗う美しい島々」という部分は、何を美しいと思うかという内面の問題を押し付けており、また、沖縄、瀬戸内海周辺、北海道に住む人々、さらに海のない埼玉県などに住む人々を無視しています。「独自の伝統と文化」という部分も、古くは中国や朝鮮半島、新しくは欧米など、様々な文化の影響と受け、交流し、逆に影響を与えてきたことを無視しています。これに対し、日本国憲法のエッセンスが詰まっている条文である13条では、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限値、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とされています。「個人として尊重」と「幸福追求」はリンクしており、幸福とは何かという国民一人一人の内面には踏み込まないスタンスです。このスタンスによって、憲法は少数派の権利を保障するものとなっています。多数派は権利を侵害されることが少なく、憲法がなくても普通に生活していくことができますが、少数派は権利を侵害されやすく、権利を保障する必要があるため、憲法があるのです。

次に、「立憲主義」という言葉に関わる問題発言が取り上げられました。「立憲主義」という言葉が急激に街頭にあふれるようになっています。これは戦後70年なかったことです。しかし、元首相補佐官の礒﨑陽輔参議院議員は、2012年5月27日のツイートで「時々、憲法改正草案に対して、「立憲主義」を理解していないという意味不明の批判を頂きます。この言葉は、Wikipediaにも載っていますが、学生時代の憲法講義では聴いたことがありません。昔からある学説なのでしょうか。」と発言しました。当時、礒﨑氏は自民党憲法改正推進本部起草委員会事務局長だったそうです。しかも、東京大学法学部卒で、憲法学のバイブルと言われる岩波書店の『憲法』をお書きになった芦部信喜教授の時代に在席しているそうです。芦部教授の『憲法』には、「憲法学の対象とする憲法とは、近代に至って一定の政治的理念に基づいて制定された憲法であり、国家権力を制限して国民の権利・自由を守る目的とする憲法である。」と、近代立憲主義の考え方が書かれています。

次に、「個人の尊重」に関わる問題発言が取り上げられました。2016年3月3日の参議院予算委員会において、民主党の大塚耕平参議院議員が、自民党の憲法改正草案が第13条の「個人」を「人」と読み替えていることに何か意味があるのかと質問したところ、安倍首相は「さしたる意味はない」と答えたことが報道されました。これは聞き逃してよいところではなく、自民党の改憲草案の問題点の問題点を考えるにはこの条文を分析することが重要だということが指摘されました。自民党という政党に底流する考え方として、個人主義に対する敵視があります。自民党改憲草案における「人」とは、自民党が理想とする「人」であると考えられ、個人主義を嫌い、国民を道徳的に強化しようとしていることがうかがわれます。また、13条の「公共の福祉」が、自民党改憲草案では「公益及び公の秩序」と読み替えられています。「公共の福祉」は、普通の人にはわかりにくいですが、判例で確立している概念だそうです。一つは、他者の権利を侵してはならないということであり、例えば報道の自由とプライバシー権が対立する場合、政治家のプライバシー権は国民の知る権利のために制限されることがあるというように、「公共の福祉」の概念によって線引きがされるそうです。つまり、法律の世界においては意味が確立しているということです。しかし、「公益及び公の秩序」は今の憲法にはないことであり、何を示しているか不明であり、見逃してはならないということが指摘されました。

続いて、自然権論と憲法尊重擁護義務についての問題発言が取り上げられました。2012年12月6日、自民党の片山さつき参議院議員は、「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分は何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」とツイートしました。天賦人権説とは、明治時代から使われていた言葉であり、今は「自然権」という言葉が使われているそうです。「自然権」は、生まれながら人が持っている権利が人権であるという考え方です。自民党は2012年4月に発表した改憲草案のQ&Aでも天賦人権説に基づいて規定されている人権規定を改める必要があるとしており、明治憲法よりも更に戻る考え方を公式見解としているということになります。しかし、このことはメディアにあまり取り上げられていません。日本国憲法では、11条において「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」と定められています。これは「自然権」説の考え方です。自民党改憲草案では、11条は「国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。」となっており、「将来の国民」が抜けています。これは、天賦人権説を捨てるということです。また、102条1項は「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と、国民に憲法尊重義務を課し、憲法の根本に手をつけてしまっています。この自民党改憲草案の問題については、最近ようやく取り上げられるようになりましたが、どれだけ国民に知られているかは甚だ不安だということでした。

次に、個人主義、民主主義についての問題発言が取り上げられました。2016年5月3日の産経新聞に、拓殖大学学事顧問の渡辺利夫氏は、「議論の俎上に載せねばならないのは第13条と第24条である。前者は「すべて国民は、個人として尊重される」であり、後者は「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」するとある。第13条は個人至上主義そのものであり、第24条は独立した個人から構成されるものが夫婦であるというのみ、これが共同体の基層をなす家族の形成主体だという観念を少しも呼び覚ましてはくれない」と書いています。個人主義への敵意は、自民党と共通するものです。また、2013年5月15日に、自民党の丸山和也参議院議員は、「参議院予算委で、一年間民主主義とは何かを長谷川三千子先生を講師に勉強したことを述べたが、いわゆる民主主義は第一次世界大戦の戦勝国を正当化するために作り出された用語であることを学問的にしった。」とツイートしています。民主主義は16世紀のイギリスには既にあった概念であり、1914年から1918年の第一次世界大戦の後というのは誤りです。誰も突っ込まないから、こうしたたるんだ発言をしてしまうということが指摘されました。

安倍政権の「憲法」観は、憲法の根本に手をつけようとするものです。安倍政権は、「自由、民主主義、基本的人権、法の支配という価値観を共有する国の輪を世界、アジアに拡大してゆく」という価値観外交を展開しようとしていますが、本当にアメリカ、オーストラリア、ヨーロッパの諸国と価値観を共有しているかは甚だ疑問だということが指摘されました。自民党改憲草案では、現行憲法97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」という条文が丸ごと削除されています。前文の「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、かかる原理に基くものである。」という文章も削除されています。今の憲法の根本的な価値観に手をつけていいのかということを問題にすべきだということが指摘されました。


以上で講演のまとめを終わります。