まず、東日本大震災の被災地の復旧・復興が、住民の立場に立った形で、1日も早く実現することを祈念致します。
本日は、「さよなら原発埼玉県民集会」に参加してきました。
なかなか車を停められる場所が見つからなかったり、筆記用具を忘れてしまったり、いろいろとアクシデントが続き、会場に入ったら席がもうなくて階段に座ることになってしまいました。なので、メモが不十分なのですが、概要をご報告したいと思います。
まず、開会前のアトラクションとして、制服向上委員会のミニコンサートが行なわれました。このときに筆記用具を忘れたことに気付き、コンビニに走ったのでちゃんと聴けなかったのですが、ラストの「ダッダッダッ脱原発の歌」は一緒に盛り上がりました。
講演は、一つめは肥田舜太郎医師のビデオ講演、「内部被ばくと子どもの健康」でした。本日は別の講演の予定が入ってしまっていたのだそうです。
内容は、これまでご報告してきた肥田先生の講演と共通するものだったので、強調したい部分のみご紹介します。
肥田先生は、被爆による火傷などは目に見えるが、本当に恐ろしいのは放射線という目に見えない道具によって何年も経って殺され続けることなのだとおっしゃっていました。広島での被爆から4日目から、40度以上の高熱、目や鼻からの出血、口腔内の腐敗、紫斑、脱毛といった症状が出て来て、同じ症状が原爆に直接遭っていない人にも現れたことが内部被ばくについて考えるようになった最初のきっかけだそうですが、なぜそういったことが起こったのかという理由は、30年後にようやくアメリカの科学者から教わって、放射性物質を体内に取り込んだことによる内部被ばくだとわかったそうです。
内部被ばくそのものの治療法はありません。ではどうすればいいかを、肥田先生は被爆者の方たちとともに考え、生き延びて自分の受けた被害を伝えていかなければならないという思いを持って、長生きの秘訣と言われることをすべてやって、自分の命は自分しか持っていない大切な命だと思って生きることをやってきたそうです。
福島の人たちにも、肥田先生は同じように、自分の命は世界でたった一つの命であり、自分の命は自分で守るのだということを伝えているそうです。
そして、今被ばくしている福島の子ども達のことが心配であり、毎日体調を記録して、何か症状が起こったときに正しい対応ができるようにすることが大切だとおっしゃっていました。
二つめの講演は、双葉町の井戸川克隆町長による「福島原発事故から学んだこと」でした。
まず、井戸川町長は避難生活への支援にお礼を述べていらっしゃいました。
今回の事故については許せない思いで、放射線について正しいことを知らされなかった住民も大変怒っているとおっしゃっていました。
決して「大丈夫」でも「安全」でもないのに、福島県民に対して「安心教育」がされていて、避難したがっている県民もいるが言い出せない状態になってしまっているそうです。
この事故は防げたはずの人災であり、原発は国民的な同意がない中で進めるべきではないとおっしゃっていました。
政府の初期対応は遅れ、科学的根拠のない指示を出していたそうです。東電は3月11日の夕方から放射能を測り始めたそうですが、住民には知らせず、双葉町には避難用のバスも来ず、住民は自力で避難したそうです。
住民の怒りは高まっているが国も東電も責任を取っておらず、皆さんにも国と東電が責任を取るべきだと声を上げてほしいということが提起されました。
また、事故の責任を取らずに原発再稼働を決めた政府の資質を疑うということと、今回の事故が賠償金据え置きなどの”前例”となることを危惧するということも指摘されていました。
住民は20ミリシーベルトの放射線の中で生活しており、仕事も除染くらいしかなくて経済的にも苦しい状況にあるそうです。住民を被ばくさせ続けることは犯罪であり、加害者責任を追及しなければならないということも指摘されました。
最後に、憲法に定められている権利を確認し、主張し、これからもがんばっていくという決意が表明されました。
三つめの講演は、ルポライターの鎌田慧氏による「福島原発事故と脱原発運動」でした。
鎌田さんは政府に原発を止めさせることを目指して、1000万人署名や集会の開催に取り組んでいらっしゃいます。署名は810万筆に達し、集会には17万人が集まりました。
政府は2030年に原発依存率を15%にしようとしましたが、パブリックコメントでも意見聴取会でも、90%以上が原発ゼロの意見でした。政府は2030年代には原発をゼロにするとしたものの、閣議決定はしていません。安心もできないが、あきらめることもしないで、これからも運動を進めていくという受け止めが述べられました。
原発は嘘と金と脅迫で進められてきたと鎌田さんは指摘されました。そして、日本の首相が国民の安全と命を考えているのかどうか疑問であり、そうなってしまったのは私たちの民主主義の運動が弱かったからだということが述べられました。そして、民主主義を取り戻すことが必要だということが指摘されました。
原発を進めるための嘘とは、電力不足や原発は安い、安全だといったことなどです。しかし、原発を再稼働しなくてもこの夏は乗り切れたということは明らかであり、原発を稼働し続ければ使用済み燃料が溜まり、被ばく労働者が増え続けることになります。他の原発を再稼働しようとする動きがありますが、絶対認められないと鎌田さんは述べていました。
1970年代には、「原発はクリーンエネルギー」「温排水の利用」といった宣伝がされたそうです。その結果、地震国である日本に54基もの原発がつくられてしまいました。その一方で、漁民は漁業権を奪われ、農民は土地を奪われ、労働者は被ばくし、ピンハネで安い賃金で働かされてきました。
こうした原発に疑いを持ってこなかったことを反省しなければならないし、疑いを持っていた人も、本当に体をはって反対しなかったことを反省しなければならないということが指摘されました。
浪江町は原発立地を拒否してきましたが、福島第一原発事故によって全町避難となってしまったそうです。事故によって故郷をなくした人は多くいます。
なぜ事故が防げなかったかというと、原発がないと経済が発展しないという宣伝に負けてしまったからだということが指摘されました。
日本政府は原発輸出を計画し、経団連はまだ原発にしがみついて儲けようとしています。
そうした中で脱原発を実現するためには、日本の民主主義を取り戻さなければなりません。
広島、長崎、第五福竜丸、そして福島を、これ以上繰り返してはなりません。
そのために、後200万筆の署名を集め、集会にも参加してほしいということが呼びかけられました。
講演の後に地域での取り組みが報告されることになっていましたが、私は帰宅に時間が掛かってしまうので講演までで帰らせていただきました。
以上で報告を終わります。