「また、福祉が人を殺した 札幌姉妹孤立死事件を追う」を読了しました | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

まず、東日本大震災の被災地の復旧・復興が、住民の立場に立った形で、1日も早く実現することを祈念致します。



先日行なわれた第11回地方自治研究全国集会の書籍コーナーで購入してきた『また、福祉が人を殺した 札幌姉妹孤立死事件を追う』(寺久保光良ルポ、雨宮処凛、寺久保光良、和久井みちる鼎談・あけび書房・2012年8月25日発行)を本日読了しました。

本書は、第Ⅱ部の寺久保光良氏、雨宮処凛氏、和久井みちる氏の鼎談を読みたくて購入したので、まずはその鼎談を読み、それから冒頭に戻って”はじめに”から読み始め、最後に”おわりに”を読むという変則的な読み方をしてしまいました。

感想の方は冒頭から始めます。タイトルからわかるように、本書は2012年初頭に起こった札幌市白石区の姉妹孤立死事件の詳細なルポから始まります。”また”とあるのは、札幌市白石区では25年前にも母子家庭の母親が餓死する事件が起こっているからです。その事件についても取材し、『「福祉」が人を殺すとき』というルポを書かれたのが、本書でもルポ部分を執筆されている寺久保光良氏です(と書いていながら、私は『「福祉」が人を殺すとき』は未読なので、いつかは読まなくてはと考えています)。

なぜ、”「福祉」が人を殺したと評されるのか――

単純に言うと、それは、母子家庭の母親の事件でも、姉妹の事件でも、困窮して生活保護を受給するために福祉事務所に行ったにもかかわらず、そこで申請を受け付けてもらえず、死に至っているからです。しかも、申請を受け付けてもらえなかったのはそれぞれが生活保護受給の要件を満たしていなかったからではなく、福祉事務所の対応が不適切であった、もっと言えば申請権侵害にあたる行為があったと推測されるからです。

”推測される”としたのは、証拠としては福祉事務所の面接の記録しかなく、そこにはっきりと生活保護の申請があったという記述はないため、福祉事務所は「相談はあったが申請はなかった」と主張しているからです。


姉妹孤立死事件についてはテレビのドキュメンタリー番組でも取り上げられ、概要は知っていましたが、本書には更に詳しい経緯や姉妹の人となりが記されています。

その記述から強い衝撃を受けたのは、姉妹が決して特別な人たちではないからです。確かに妹さんには障害がありましたが就労は可能で、自立した生活を送っていた時期もありました。お姉さんはファッション関係の仕事をしていて友人も多く、東北楽天イーグルスの熱心なファンでした。そんな、普通の生活を送っていた姉妹が、いくつかの不幸な出来事が重なったために生活困窮に陥り、最後の頼みの綱だった生活保護も拒まれ、死に至ってしまったという事実に、同年代の単身女性として他人事ではないと感じます。


その一方で、姉妹の孤立死事件が発覚したほんの数ヶ月後に、芸能人の母親が生活保護を受けていたということから生活保護バッシングが吹き荒れ、政府は生活保護厳格化、生活保護基準引き下げの方針を示しています。

孤立死、餓死に対する反応はあれほど鈍かった政府が、バッシングに対しては迅速な反応を見せることに空恐ろしいものを感じます。まるで待っていたかのような……と言うのは言いすぎでしょうか。

しかし、25年前の母子家庭の母親の餓死事件が起こったときも、暴力団員の生活保護不正受給を問題にしたバッシングが起こっていたそうです。順序は逆ですが、孤立死、餓死と生活保護バッシングはセットであるということは認識する必要があると思います。鼎談では、「生活保護バッシングは人を殺す」ということに言及されています。そして、「バッシングは(中略)責めているあなた自身にもいつ向いてくるかわからない」ということに気づいてほしい」とも。


鼎談では、福祉事務所のケースワーカーについても議論されていますが、個々のケースワーカーの資質の問題ではなく、行政の方針の問題、つまりは国が、生活保護をきちんと行なうということを明言すればいいのだということが結論となっていると私は解釈しました。

生活保護法そのものは、それがつくられた当時の解釈に沿って運用すれば、孤立死や餓死を防ぐことができ、生存権の保障という課題を達成できる内容を持っているのです。しかし、法の解釈を歪めたり、違法な運用を行なったりしているから、問題が生じるのです。そして、なぜ現場で法が適切に運用されないかというと、行政の方針、政府の方針が、法に従って生存権を保障するというものではなく、”生活保護行政の適正化”という名の生活保護費削減の追求というものになっているからです。結果として、福祉事務所においては生活保護を受けさせなければ受けさせないほどいいということなり、申請権の侵害が横行することになってしまいます。

理想は生活保護受給者との信頼関係を築き、自立に向けて適切な援助ができるケースワーカーですが、せめて法を適切に運用するケースワーカーが増えれば、少なくとも行政とつながる意思のある生活困窮者の孤立死、餓死は防げるはずです。せめてそれくらいは行政の方針として強く示すべきだと思います。


長引く不況、就職困難、貧困の広がりなどによって、いつ誰が生活に困窮することになるかわからないというのが現状です。

ですから、私が生活保護問題に一生懸命になるのは、それが特別な誰かの問題ではなく、いつ私や私の親しい人たちの問題になるかわからないからであり、今自分が特に問題がない状態でも、そんな現状では楽しいことも思いっきり楽しめないからです。

そんなの取り越し苦労だと思う方には、是非本書を読んで考えてみてほしいと思います。



2013.1.6 誤字を訂正しました。