○語→英語→日本語の難しさ | 特許翻訳 A to Z

特許翻訳 A to Z

1992年5月から、フリーランスで特許翻訳者をしています。

安易にカタカナ・・・大丈夫?」との関連です。


例としてとりあげた特許2690256号の基礎出願は、デンマーク語です。
そしていくつかのパテントファミリが存在するのですが、問題のフラットワーク物品に相当する原語は、「tøjstykker」で、意味は、「衣服」「衣類」など。

デンマーク語も、ドイツ語同様に複数の名詞が連結されて1つの別の名詞になる言語です。
そして大学書林の『現代デンマーク語辞典』 (2011年)によれば、「tøj」は、「衣服」「洗濯物」「器具」「道具」などの意味で、stikke(-r;-t)は「部分」「断片」「~片」。

ここに、flat(平ら)の語義は入っていません

tøj」が含まれる洗濯関連の名詞を探してみたところ、

 tøjrensning  ドライクリーニング

 tøjsnor  洗濯物

 tøjkurv  洗濯かご

など、末尾にstikkeが含まれる名詞は、

 glasstykke  ガラス片
 træstykke  木片

 beklædningsstykke  衣類

などがあります。


念のため、デンマーク語-デンマーク語辞典(Den Dansk Ordbog)で「tøjstykker」を引いたところ、「et stykke tøj」とのこと。
etは不定冠詞ですから、英語に直訳すると、a piece of clothesあたりでしょうか。
そして類語として、「beklædningsgenstand」が出ています。意味は、「衣服」です。

このように、tøjstykker」という単語そのものには、flatの概念は見当たりません

ここで、英語のパテントファミリで発明の名称が「Apparatus for feeding flatwork articles to a laundry processing unit, for example an ironing roller.」となっていて、「for example」以下の例示部分は、原語のデンマーク語にもあります。

デンマーク語を素直に読むと、「衣服を」ロールアイロナー「などの」ユニットに供給するための装置。
この「tøjstykker」が、英語では「flatwork article」、日本語は「フラットワーク物品」になりました。

参考までに、ドイツ語のファミリもあって、こちらは「Flachmaterialstücken」です。
flach (平らな)+ material (物質、素材) + stück (切片、断片)で、衣服の概念が落ちています。

flatwork (article)にほぼ1:1対応するドイツ語としては「Mangelwäsche」があるようで、こちらはmangeln (ローラーにかける,)+Wäsche (洗濯物)。
上の「Flachmaterialstücken」は、検索しても実質的に特許明細書にわずかに見られる程度でした。


デンマーク語の「tøjstykker」、英語の「flatwork」、ドイツ語の「Mangelwäsche」は、該当言語の現地辞書(丁-丁、英-英、独-独)であれば載っている単語です。
一方、ドイツ語公報で使われた「Flachmaterialstücken」や日本語の「フラットワーク(物品)」は、少なくとも辞書には見当たりません。

特に「フラットワーク」については、辞書はおろか、特許明細書、論文など、かなり幅広く探しても(本件の意味では)出てこないのです。実質、皆無です。

探しに探して、たった1件『Laund Clean News』という逐次刊行物にTAYLOR Janet著「Laundry design  A logical approach to laundry planning」という記事があり、これを科学技術振興機構が邦訳した和文抄録に、「テキスタイル管理と登録(TMR)システムはフラットワーク,ワークウェアおよびドライクリーニング工程の完全な管理を支援するために洗濯において開発された」と見つかっただけでした。

かたやネット上には、ベルギーのアイロナー会社の日本語ウェブサイトに「フラットワークアイロナー」という表記がなされているなど、若干の使用例もあるにはあります。
ただ、いずれも翻訳です。

前回も書いたように日本では「平物(ひらもの)」と呼ぶようですし、フラットワークの使用例がなくても、さもありなんですよね。

 

 

さて。
以上のとおり、デンマーク語←→英語の間も、正しい翻訳と言えるかどうか、わかりません

翻訳者が、ロールアイロナー「などの」装置に送るという意味のほうから解釈翻訳をした可能性はありますし、何かの対訳資料に載っていた可能性もありますが、とにかく文言上は英語のほうが意味が狭いです。

この英語を、さらにカタカナで「フラットワーク」と音訳すると、どういうことになる・・・・・?

前回も書いたように、カタカナの文字自体は何の情報も伝えていないため、安易なカタカナ訳はそもそも問題でしょう。
そしてそれに伴うリスクは、英語以外の言語からの英訳文の場合は、さらに上がる・・・かもしれません。

翻訳者の立場でいえば、もとが何語だったとしても、受注した原文が英語なら仕事は英日訳
でも、優先権の基礎出願と日本出願との関係は、今回の例ならデンマーク語と日本語です。

英日の翻訳者が、
 (1) flatworkに対応する定訳を見つけることができず、
 (2) デンマーク語原文を参照して、デンマーク語を頼りに訳語を探した結果、
 (3) どうやら日本の「平物」に対応するらしいと知り、でも、
 (4) 「平物」だと明らかにデンマーク語の「tøjstykker」とは意味がずれる、よって、
 (5) あえて「平物」と訳さずに、英語のflatworkをカタカナにして補正や言い訳(?)の余地を残した、
とかいう、複雑な事情がたとえ裏にあったとしても、不明瞭は不明瞭。

特許2690256号の訴訟では、たまたま「平物」の意味で解釈してもらえましたが、意味不明と解釈された可能性もあるわけです。

このように、英語以外の言語から英訳された原文では、英語の時点で誤訳になっている可能性が、常にあります
○語→英語は完璧にできているなんて、ほぼ、有り得ないでしょう。

その意味でも、安易なカタカナ依存は、できるだけ避けたいものですね。


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