SAGGAのブログ -LIFE IS FULL OF DRAMA- -43ページ目

YINGYANG FREE DL"WHO GONE THERE"

アルバム発売まであと




3日




俺たち YINGYANGから



ヘッズたちへの感謝の気持ち




FREE DL



”WHO GONE THERE"



最初の一杯はおごりだ






好きなだけかっくらってくれ





ONE

今日と明日のはざまで

今日は 東京は雨


喉の奥に小さなおじさんが住み着いたようだ



後で酒で消毒しよう



こんな日は家で制作



息抜きの一服をタバコ以外のもので置き換える努力をしながら



俺たちYINGYANGの動力室


DJ YASU2000との出会いの話を書かせてもらった



まあ


よんでみてくれ



 


若者の情熱は世界を焦がす。

 


胸躍る世界への挑戦は最高のショウと共にその幕を閉じた。  



前回話したYEN KIDS、ライブは大成功、集客も300人位集まり売上の5パーセントが私達のポケットに入り(だいたい2000ドルほど)いきりたった若者たちは最高の打ち上げへとくりだす。

 


最初はYAKINIKU WEST(イーストビレッジにある日本系焼肉屋)で飲めや食えや騒げやと総勢30名ほどでまるでドラゴンボールのゴクウやワンピース(海賊のマンガ)の宴のようにあるものはうれしさの余りはしゃぎすぎ、あるものは感動して泣きまくり、私はよこで歌いまくりとはちゃめちゃな宴を心行くまで楽しんでいた。


そして 会計

。。。。。。。。。。。。。。。。。



、、、、、、、、、、2600ドル、、、、?、、、、? 売上2000ドル、、、600ドル、、足りない、、、、



はいはい、OKOK一人20ドル追加ーーー、




そして続いてカラオケ兼バーのミッドタウンのラウンジで半狂乱のままぐちゃぐちゃで朝を迎える。

   私はこのとき、これから私の人生をさらに変える男と出会っていたことに気づいていなかった。私だけでなくYINGYANGの誕生にかかわる重要な男だ。

その男は客として私たちのライブを見ていた。



鋭い洞察力で私たちを観察し、己の人生を変える方法を必死に考えていた。男の名はDJ YASU2000。

    

   YENKIDSが終わり私はYEN TRIBE(私と相方ISHのクルーの名前)としての活動を休止し一人夜のクラブへライブのできる場所を求めて出向いていた。



別に解散というわけではなくもっといろんなアーティストと絡んでみたいと思ったからだ。



もちろん相方とはちょくちょくあってはフリースタイルしたり、煙くなったり今まで通り仲良くやっていた。




そんな中でNEW YORK DMC(DJ バトル大会)大会2位の実力を誇るYEN TRIBEのDJでもあったバトルDJーDJ TOMUの紹介によりユダヤ人ラッパーMCカズームとその頃から曲を作りだし、世界最高峰日本人ビートボクサーのアフラなどともライブをするようになった。



その頃の私は今に比べ(今でもまだまだだが)パワーと勢い重視なMCだったが、日本語がほとんどの私のラップが外国人に受け入れられたのはその勢いのおかげだと思う。


そしていろいろな場所で、まだ自分ですらわからぬ自分の可能性に多くの期待と少しの不安を胸に、ライブをしていた。

 ある日、相方からライブやるから来てくれと誘われ、CBGBという本来はパンクの老舗のクラブに足を運んだ。


相方は1ヴォーカルに生のギター、ウッドベース、そしてドラムの代わりにMPC(サンプラー)で叩くというその頃はすごく新し形のバンドを組んでいた。



見たこともないメンツで私は少々緊張しながら挨拶を交わした。



アーティスト同士のリスペクトある丁寧な物腰で、同じ業界に生きるものに感じる親近感と相手の力量を測る軽い質問を混ぜ合わせた何とも心地よい緊張感の中で、一人瞳孔がやや開き気味で、獲物をとらえる直前の蛇のような顔した男がMPC2000の上から話しかけてきた。

  



はじめまして、DJ YASU(このころはまだ2000はない)です。トラックメーカー兼DJです。

 はじめまして、トラックメーカー兼MCのSAGGAです。

  



なんだこの不思議な空気感は、爬虫類のような冷たさのある目つきに優しさのある笑顔、何者だ? でも攻撃意思はまったくなく、でも確実に私の何かを探っているような感じだった。

  



この前YENKIDSのライブよかったですよ。

  


ありがとう。きてくれたんだ?

 

 うん客としてみてました。そしてその日にISHと仲良くなってバンドでもしようかということになってね。

いいね。バンド名はなんていうの。

  

                





           YINGYANGです。




へー変わった名前だね、どういう意味、、

   光と影、陰と陽ということ、俺が裏で曲ばっかり作り、ISHがそれを表に出していく、そういうコンセプトで生まれたんだよ。

   なるほど私もISHと YEN TRIBEというチームだよ。

     かぶってるね。

     かぶったね。





その日はライブは大成功。私もその頃カズームと別のクルーを組んでいた。


その頃は別に今ほどタイトなクルーではなく、下手すれば1ライブごとに相方が変わってるような生活だったからISHとYASUがクルーでもなんの問題もなかった。 



ここで一つの疑問が読者にはでるだろう。




SAGGAはYINGYANGじゃないの?



はい、もともとはちがいます。



私達クルーの行動を知ってる人なら納得だろうけど、もともと私たちはソロアーティストです。


なのでYINGYANGはもともとYASUとISH。私はSAGGA、ソロ名義でした。



だからその後のライブはYINGYANG WITH SAGGAみたいな感じでいくつかしていました。



しかし、その頃YINGYANGはハーレムのプロジェクト(安い公団、かなりゲトーな場所)にオフィスを構えるIMR(INTERNATIONAL MUSIC RELATIONS)-黒人女性シェラーカーペンター率いるレーベル会社ーに所属していていくつかライブを重ねるうちにシェラーからSAGGAもうちでやらないかと誘われ、私はこれを快諾、そして気づけば私もYINGYANGとなっていた。



人生とは本当に不思議に回るもんだと思った。そして気づけばYINGYANGとして今年で10年目、相方と俺は結成12年目。

  人生でどれだけ言ってはいけないことがあるだろう、そしてそれを言い合って、人生を根本から否定しあって、でも心底惚れあって、尊敬しあえる人間関係をもってる人間はどれだけいるだろう。私は幸せ者だ。

        YINGYANGは私を含め5人、まだ話していないトラックーメーカー FINGA PRINTS AKA PHANTOM PARODUCER。DJ WAXXX RUB、彼らについてはいづれ話させていただく。



詳細: http://www.myspace.com/saggayingyang/blog?page=2#ixzz11pfJz6y1



流れ



今日は人生で世話になった人の送別会だった


俺にとって母国であり

また同時に外国でもある日本で 俺が今日までそれなりに生きてこれたのも

ある意味この人のおかげだった


朝まで仲間と酒を酌み交わし

ふと店を出る時に

店のラジオから

その人の携帯に電話した時に流れる曲がかかった







今日の別れも

最初の出会いも


今日の自分達の行動も



全てに意味があって


全てがつながっている事を 改めて知った






俺が生きているのも

あなたが生きているのも

全てに意味があり

全ては繋がっている

嫌な事だって意味があるし

嬉しい事だって意味がある








全ては天の導きである


そんな事を感じた 今日だった。



色々とありがとうございました これからも俺達は頑張ります。

若き情熱



奇跡の三連休を満喫中



テレビからは、映画の中でしか聞かない警官の怒鳴り声が何度も流されている


ブラックマヨネーズの人みたいな話し方で聞いていると案外笑える



最高の天気


夜は中華



最高すぎる



まあ、そんな俺の、昔話にもうちょっと付き合ってくれ


 


若き才能は猛り、日のあたる場所を探してもがく、



花はコンクリートからでも咲くことができる。

 


前回は私と相方ISH-ONEの出会いについて話したと思う。今回は私のクルーYINGYANGの前身YEN TRIBEについて語らせてもらう。

 ハーレムの生活にも大分慣れたころ、ここニューヨークで骨を埋める気持で留学した私と、1年で日本に帰る予定の2人のルームメイトとの間にわずかな亀裂がある事件をきっかけに生じた。


理由は本当にくだらないことだった。


ルームメイトのTは遠距離恋愛をしていて毎日日本の彼女からかかってくる国際電話を楽しみにしていた。


 ある日、私が私用で長電話になってしまっていて、時差の関係でTの彼女が電話できる時間帯にまでくいこんでいた。そしてキャッチホンでTの彼女に、もうしわけないが今とても大事な話し合いの途中なんでTには明日電話してほしいと頼むと、彼女もこれを快諾。そして私は電話を切り、Tに事の成り行きを説明した。しかし、私の言い方が悪かったのか、そろそろ帰国をひかえて若干ナーバスのせいか、突然普段温厚なTがどなりだし、とうとう殴り合いのけんかにまで発展してしまった。



 結果は最悪、、、お互い血まみれで長い共同生活の膿をぶちまける結果となった。


そして私は自ら身を引き、ハーレムからクイーンズに引っ越しをした。

 


私が新たに住む場所となったクイーンズのアストリアはギリシャ系移民が多い静かで奇麗な場所だった。

いくつものカフェが立ち並び、肉屋、ケーキ屋、様々な店がギリシャ語で書かれた看板を時代と国を無視して威厳に充ち溢れさせて掲げていた。

 


 その頃ISHも私の家の隣の駅アストリアブルーバードに住んでいて、よく夜中に曲つくりに私は通っていた。


駅前にあるバーガーキングは夜中4時ぐらいに行くと、黒人の疲れたニーちゃんが廃棄になる前のハンバーガーを4つで1ドルぐらいで売ってくれるので、明け方疲れ果てた俺たちはしょっちゅう買いに行っていた。 


 当時まだプロツールズ、ヌエンド(コンピュターで音楽を編曲したり出来るシステム)なんて持ってなくて、YAMAHAのキーボードとMPC2000で必死に曲作っては安いコンポにマイク直つなぎでカセットテープに録音していた。


 あの頃はただ自分の声がビートに乗ってるのを聞いてるだけで、まるで自分がラップスターにでもなったかのような、世界で一番クールなやつになれてるような妄想ばかりしていた。

 


 ある日、ISHからなんか日本人の色々なアーティストを集めて何かできないかなと相談を持ちかけられ、ただ曲ばかり作っていた私も日のあたる場所を探していたので、イベントを打とうということで話がまとまった。


 早速、ニューヨーク中のあらゆる日本食材店、ビデオ屋、レストラン等に張り紙をして、アーティストの募集をはじめた。 


 最初、ギターをやってるというシンヤが電話してきて会って話してみると、なかなかいい若者で、当時は私は20歳、彼は18歳、お互いに若かったが、何かをやりたいという熱い気持ちは一緒だった。


 そして、ブルースのギタリスト、ジャズシンガー、R&Bシンガー、HIPHOPダンサー、映画監督、VJ、グラフィティーアーティスト、ハウスDJ、写真家など総勢20人ぐらいが集まった。


 ほとんどの人たちが私より年上で、ニューヨークでの音楽活動、生活、経験、すべてにおいて先輩だった。さすがにニューヨークに音楽やりにきているだけあって、皆ものすごい個性の塊だった。


ミーティング初日から意見は対立し、先輩の言うことも聞きたいし、私たち若者の夢物語もかなえたい、  

それじゃ あまいよ、 構成がめちゃめちゃ、 素人じゃないんだから、とたくさんのアドバイスももらい、絶対に成功させてやるという気持ちがつよくなっていった。



 そして私達の熱意が伝わったのか、皆が皆で協力しあい、ライブの場所も無料でかなりいい場所をかりられた。ローワーマンハッタンにあるバーだ。私達のイベントの翌日にドリカムがお忍びライブをすることとなっていた場所だ。


 イベントの名前はNEW YORK YEN KIDS(ニューヨークイェンキッヅ)ヤンキースをもじったかんじだ。

とにかく人は集まったし、場所もきまった。


が、皆の心が一緒になればなるほど喧嘩も増える。


 毎日アスタープレイス(ニューヨークマンハッタンの8丁目の東側)にあるスターバックスで口論の連発、きついこと言われてなくシンガーにどなり過ぎて店員に止められるDJ,時には6時間ぐらいは同じことで言い合いしていた。



  それもすべては最高のショウをするために、皆自らの才能を信じ、仲間を信じ、時代を愛していた。始まりから映画監督のKはこれらのすべてを映像に落としていた。


夢を見ていた。


ニューヨークという町で自分が何をできるか、このでっかい町で自分の存在を世界に見てもらいたい、私はここにいる、誰もがそう叫んでいた。


明日の心配より今日に必死に生きていた。ただ必死に走っていた。そして幕は上がった。

   



あなたは自分のことが好きですか?




あなたは何になりたいですか?




このころの私とISHのクルーはYEN TRIBE(イェントライブー円民族)だった。 


意味はさしてないただ日本人を主張したかった。日本にいるとあまり見えないし思えない自分が日本人であるとういう感覚、それはいわば海外で自分に張られたMADE IN JAPANだった。20歳の私に19歳の相方、私達の夢は始まったばかりだ。



詳細: http://www.myspace.com/saggayingyang/blog?page=3#ixzz11k0xjAXl

始まり

新曲の編集



アルバム創って


また一皮剥けたか



アルバムまでしばらく


俺のニューヨークの昔話に付き合ってくれ


昔ハーレム155STにすんでいたときの話


10年以上前の話だ




カテゴリー: 小説/詩

 


人生で人は一体何人の人間に出会うことができるだろう。


そしてその中の何人と自分の生き方を変えるほどの強いつながりを持つことができるだろう。

 ハーレム暮らしを始めた私は、毎日私の家の前にたまっている近所の黒人の高校生達とよく話すようになった。


彼らはいつもきまってダイス(さいころをふって数を当てる賭け)をやりながら1日中ハーレムの街角に座っていた。学校にはほとんど行っていないようで、ほぼ毎日私のアパートの非常階段でスモークしてうつろな目で街を眺めていた。

 


  私のアパートはそのあたりでは有名な薬のスポットであるらしく、絶えず誰かしらがアパートの前をうろついていて、待ち合わせていたディーラーといそいそ非常階段にいっては安心しきった顔してアパートから出てくるのだった。


 私の知る限りほぼすべてのブツが手に入る場所だった。クラックヘッドの4階に住む黒人のやせ細ったおじさんは常に死と隣り合わせの咳に悩まされ、苦しそうにプラスティックのパイプをくゆらせていた。


 そしてしょっちゅ非常階段でぶっ倒れ、娘と思われる真面目そうな18歳位の女の子に肩を組まれ家につれていってもらってた。 


 毎朝誰かしらアパートの前で警察の捕まっていて、さわやかな朝を迎えてこれから一日がんばろうと起きた私を毎日悲しくさせていた。昨日友達になったやつが今日は捕まってる。


  白人警官に後ろ手に手錠をかけられながら、私を横目で見て、SEE YOU(またな)とつぶやく、私もSEE YOUと答えその場を立ち去る。こんなことが何回もあった。 


  夜になると泣き叫びながら走りまわっている頭が少しおかしくなった瞳孔の開いた老婆に私の子供はどこだと聞かれたり、どう見ても偽物の金のネックレスを15ドルで買わないかとせがまれたり、いつも飯を買いに行く近所のチャイニーズレストランが普段と違う空気感であれ、と思うと、赤バンダナ巻いてるやつしかいなかったり(アメリカのギャングの一種:通称ブラッズ)とで日本じゃ考えられないくらい危険といえば危険だ。


 でもあくまでこっちから喧嘩でも売らない限りそうそう巻き込まれることもない。むしろ私はHIPHOP系の恰好で彼らよりもずっと汚いタンクトップにジーンズだったので、逆にSAGGA、もっと新しいの買えよとアドヴァイスされる始末だった。

  


 日本人でラップしてる人間はその頃のハーレムにある程度はいただろうが私のブロックでは私ぐらいだったので、物珍しそうに黒人の若者から見られていた。


  私の行きつけの床屋では10ドルできれいに丸刈りにしてくれて月1回はそこで切ってもらっていた。

毎朝その床屋の前を通るたびに挨拶してたからいつしか常連になる。


そしてたまにビールの差し入れ持って行って店先で近所の黒人のじーさんと飲みながら音楽について語り合う。なかなか味のある経験だった。金なんてみんなないけど他人に対してRESPECTがあり、よくよく知ってみるとすごく優しい。私の髪をきってくれていた40歳位のおばちゃんはまるでジャイアンのママだった。


 子供が店で悪さをするとすごく大声で、静かにしなさい!!、ってママの声がでかすぎてスピーカーが吹っ飛びそうだった。そして私に笑顔で、すまないねーと人のいい笑顔で謝ってくる。


  たまにチーノチーノ(スペイン語でチャイニーズの卑称)とかいってにやにやしてる奴らがいたが私は、JAPだよ、ジャップと言い返していた。そんなで感じでハーレム生活にもだいぶ慣れ、近所のラッパー達と路上でのフリースタイルに明け暮れてた。

  


 そのころ私の家にはルームメイトの2人のほかに一人の日本人の女の子Mが居候していた。


 ルームメイトのTが日本に一時帰国してニューヨークに戻ってくる飛行機の中で友達になった女の子だ。まだニューヨークの住処が決まっていなくホテルに泊まる予定だった子に、うちのリビング誰も使ってないから格安で泊まっていいよと紹介したそうだ。なかなかのタフな女の子で初めてのハーレムでもけろっとしていた、だから男だらけの家でも気兼ねせずに毎晩楽しく一緒に飲んで話していた。


 ある日、Mが同じ学校で私のように曲を作りラップをしていて面白いやつがいるから紹介したいといわれ、全然かまわないからうちに連れておいでと誘った。 


 学校から帰った私が近所のDELI(コンビニ)にビールを買いに行く時、やたらと目つきの鋭い日本人と一階のロビーですれ違った。


  あれ、あんな奴いたっけ? とりあえず半端ない攻撃的なオーラでまだ20だった私も、なかなかやるね、と内心闘争心を掻き立てられた。

  


 そして、家に帰ってみるとツンツンのショートカットに黒のダボパン、黒のロンティーの目つきの鋭いやつがリビングにいて、あ、こいつかMが言ってたやつは、なるほど面白そうな奴じゃないか。

 


こんにちははじめまして、SAGGAです。

 


こんにちはILLです。

  


とりあえず吸うか?(SAGGA

 


いいですね。(ILL

  


この日私とILLは朝まで音楽について、語らい、ハードハウスのビートに合わせてフリースタイルを5時間ぐらいやったかな。

  


なんでILLなの

  


狂ったように曲ばっかつくってるからILLと呼ばれてます。

 


いいね。

  


よろしく。

  


私たちYINGYANGをしってる方ならお気づきだとおもうが、彼が今の私の相方ISH-ONE(当時はILLだった)

  


 これが私のニューヨークでの生活、私の人生そのものをかえる出会いとなる。 


先の見えない不安を、先の見えない興奮に変えた出来事だった。 


次回はYINGYANGの前身YEN TRIBEについて語らしてもらう。



詳細: http://www.myspace.com/saggayingyang/blog?page=3#ixzz11hFofaeN




911

MY SPACEで昔書いた、短編自伝の中から一つを抜粋した



まあ



読んでみてくれ




カテゴリー: 小説/詩


  その日は私は朝からニューヨークのダウンタウン、ウォールストリートの近くにある私の通っていた大学で英語クラスのレポートを必死に書いていた。クラスが10時からだったので私は朝8時頃からコンピュータールームで少し古くなった小汚いコンピューター画面とにらめっこをしていた。 

    


  誰もが自分の時間をそれぞれの思惑通りに過ごしているよくある学校の風景。ある者は忙しそうに分厚い教科書のページをめくり、またある者は理解できない脳みそを刺激しようと何度も頭をかいていた。私もスターバックスコーヒのアメリカーノを片手に終わりの見えないレポートにインクの涙を垂らしていた。    



そして近くでゴーーーンという音が鳴り響いた・

      



  突然、警報機が鳴りだした。 今すぐ学校から避難せよ。今すぐここから出なさい。 狂ったように先生たちが教室から飛び出してきた。

なんだ、なにが起こった。  とりあえず状況の分らない学生たちは、緊急時に子供が感じる好奇心と大人の臆病さとの間で浮足立ちながらとりあえず学校の外に出た。 すると、、、、

         学校の真横にそびえたつ2本の鏡の塔(ガラス張りの建物はまるで鏡のようだった)、ワールドトレードセンターの一本の塔から黒煙が上がっている。 



  私の学校の奥上部にも何かしらの残骸が飛び散っていた。なんだこれは、 ビルを囲むように何百人もの人々が不安げな顔を空に向けている。泣きじゃくりただ、オーマイガーと叫ぶ人達、 周りのみんながだんだん情報を得てきた。



 飛行機がつっこんだらしい、、、、



何、飛行機?なんで?      たまに周りの会話に聞こえる KAMIKAZE ATTACK(神風アタック)の言葉。




 自爆テロが飛行機ごとビルにつっこんだのだ。 



ありえるはずがない、何千人と働いているビルにアメリカの飛行機が突っ込む、ありえない、誰がこんな事をした、何の為に、心の中に怒りが込み上げてきた、絶対に許せない、 泣き叫ぶ人々、上る黒煙、狂ったように集まりだす消防車、警察。

   なんで こんなことが おこ るん だ、、、

            



 その時、もう一つにビルの真横に突然黒い大きな翼の影、、   そして、           爆発

                ドーーーーーン、ガシャーン

   



  吹き飛ぶ紙の嵐の混じってゆらゆらうごめく見慣れたものが落ちていく、、  


目の前で人が落ちていく、 


 目の前で何千という人間が炎と煙と己の不幸にもがき苦しんでいる。  


皆泣いている、皆祈っている、皆神か映画のヒーローの登場を願っている、何もできない自分に悔しがっている、、、、、

         2機めがつっこんだ、二つの鏡はニューヨークを覆い隠すほどの煙を、人々の夢と毎日を飲み込んだ炎が吐く吐息を、世界を闇に沈めるかのようにはきだしていた。  



  私は意識がおかしくなっていく感覚に負けないように、とにかく絶対に自分は死なない、これだけを心の中に決めた。色々考えると心が怒りと悲しみで壊れてしまいそうで、とにかく絶対に死なないことだけを考えようと努めた。

     上を見ると火が体についた肉の塊が落ちてくる、紙と肉で汚れる道路、天使の流産、   皆泣いている。 本当に泣いていた。

    私は空をみていた、燃え盛る炎の中に飛び込んでいく銀色の鎧を着たヒーロー達、そのヒーローが飛び込んだ瞬間、  地震のないニューヨークの地面が揺れだす、ゴ  ゴ  ゴ  ゴゴゴゴゴゴゴゴッゴゴ

そして私は私の本能が、 やばい ヤバい やばい やばい やばいと叫び声にはっと我にもどりとにかく離れなければと北に向って走り出した。

      



  ブシュウーとゴーの最大規模の咆哮がビルからこだました、



私はとにかく走った、振り返ると2つの鏡は崩れだした。



とっさにすぐ横にあったATMマシーンのあるガラス張りの銀行のお金をおろす部屋に転がり込みドアを閉めた。 と同時にアスベストの白い煙が壁越しに目の前を吹き抜けて行った。 

     



 銀行の中に坐りこみ1枚の写真をみながら泣いている白人のおばちゃんが私に話しかけてきた。 

   



 私の夫があのビルの中にいる、今はどこにいるかわからない、あなたこの人を見なかった? 私の夫なの、見なかった?

    


 私はかなしすぎて何も言えなかった。  


ただ私はそのおばちょんに ITS WILL BE OK,(すべて大丈夫になる)とだけ伝え、泣きじゃくるおばちゃんにハグをして外にでた。

 そこはもうニューヨークではなかった、


  一面真っ白になり、事故で大破した車、バス、真っ白のなかにやたらと目立つ人の赤、 けがをして動けなくなってる人、死んだようにアスベストまみれになりながらただただ祈っている人、    



    そんな中に腰を抜かして HELP HELPと叫んでいる少女を見つけた、よく見るとチャイニーズのクラスが一緒の中国人の女の同級生だった。


彼女はビルの階段の踊り場でうずくまっていた。恐怖で足が立たなくなっていた。 


私は彼女を引っ張り起こすと、彼女はありえないほど取り乱していた(誰も平常心なんて知らない)意味のわからないことを連発し、泣き叫び、また坐りこんで震えていた。こういったらおかしいかもしれないが、彼女が私よりも取り乱していたおかげで私は冷静になれた。



  とりあえず彼女を落ち着かせ、彼女の母親がチャイナタウンにいて心配だから母親に会いたいという彼女とともにチャイナタウンに向かった、徒歩で10分ほどだが、街は混乱のさなか、すべての電車、バスは止まり、道路も警察がせき止めている。会社、学校もすべて休みとなり人々は憂鬱な足取りで岐路に着く。



  しかし、ニューヨーカーたちはタフだ、仕事がなくなった分、バーが急に開きだし、ワールドトレードセンターを眺めながらビールを飲んでるビジネスマンもいた。皆口々に これは目覚めの時、といていた、THIS IS A TIME TO WAKE UP。

    彼女も母親が働いているレストランにつくも、母親はすでに避難していたらしく店は無人だった。とりあえず彼女を安全な場所に連れて行きたかったのでチャイナタウンのカトリック系の教会に預けた。教会では人々に水とクッキーを配っていて、歩き疲れた人、泣き疲れた人、心が壊れそうな人々が何百人といた。私もそこでテレビのニュースを見ていて事の状況を把握しようと必死だった。

                 




             テレビで白い猿が笑ってた。

     私はその頃クイーンズに住んでいたので徒歩で4時間ほどかかった。マンハッタン島からクイーンズにわたる10KMほどの橋を渡っているとき、横でパトカーがこの橋にも爆弾が仕掛けられてる可能性があるので早急にわたるように、て何千人も歩いてる橋で何をいってる。 ここで爆発されたら死ぬかな?なんて考えながら早歩きで渡った。

  やっと家に着くと友達からたくさんの留守電が入っていた。

大丈夫か?死んでないか?とりあえずこれ聞いたら連絡くれ。

私の学校がテロ現場のすぎ横にあることをみな知っていたからだ。ありがたかったな。 死ななくて良かったと思った。

  それからはケーブル以外はテレビは2CH CNNのみしかやらず、アメリカは戦争になるという FIGHT BACK AMERICA というスローガンが街にあふれた。


  人々は自分の家の窓や玄関のドアにアメリカの星条旗をかかげ、街でも星条旗が配られ、ハンカチやバンダナなどほとんどが星条旗となった。



  ニュースで毎回神風アタックといわれるたびに胸が痛んだ。なんで日本人をいまだすんだ?俺も同じように悲しみ、辛いのに、神風神風うるさい。  


  街ではターバン巻いてる人たちがボコボコにされたり、日本人がテロをしたとまでいうものもいた。 戦争で国が一つになるアメリカ、やられたらやりかえせ、 自分たちの正義がただしい、やられたからやりかえして何が悪い、これがアメリカだ。 



  私はそれから眠れぬ日々を過ごし、酒におぼれ、自分をなくし、生きる力が弱まり、世界に失望した。  目の前で2000人が一瞬で死ぬ。私は何もできずにただただ見ていた。私はすべてを見ていた。  そして私の心は壊れた。



詳細: http://www.myspace.com/saggayingyang/blog?page=2#ixzz11dlGDJYJ

STRAIGHT CASH OFFICIAL

YINGYANG NEW PV from『TOTAL ECLIPSE』

「STRAIGHT CASH」

















<







BIGGG THANX to.....




YINGYANG NEW PV"STRAIGHT CASH" FROM YINGYANG 1ST ALBUM"TOTAL ECLIPSE",,,,DROP ON 13TH OCT 2010,,,,Special THANXXX to YOUNG CHILD PRODUCTION

HARUKA a.k.a DIAMOND GIRL

馬壱、FUKK from G.M.P wit his KIDZ

MSGR!!!!!




秋深まれど 太陽は夏を忘れきれず

人々は 一枚 余計に持ってきた上着を持て余す


太陽 が 何かを伝えようとしてくる

終電間近 の 駅のホーム



齢三十
紺ブレザー
中分け

の兄ちゃん


俺の横に立っている


壁に左肩を付けて

左足で重心をとりながら 右足をその足に絡ませてる

右足がやたら動く


今度は右足だけ前に出し

左右へ クルックルッてやる

まあ暇な時にやるやつだ


だが スワッグ足はそれだけじゃ物足らず

パンパンパンパンと
地面を叩き出した







うるさいし 何のリズムか解らない

で 良く聞くと

すーすき すーすき すー

昔巨乳アイドルが歌ってた歌のリズム



かなり格好つけながら


すーすき すーすき すー 大好き すーすき すーすき すー

ってやる



ヘッドホンなんかしていない


本能的バイブスだ


ミカエルみたいな髪型で


すーすき すーすき すーだ



いらってなる



電車がきた



人もまばらな車内



静かな空間 皆それぞれの疲れを 充実した静寂の中で 噛み締めている


矢先



ミカエルは


またも 先が尖った革靴で タップしだす




すーすき すーすき すー

たんたた たんたた たん



しかも鬼ループ


迷う事なく ずっと
ふーみんだ


徐々にイラつき出す車内
ミカエルは かなりナルなようで


愚民が見ているといった顔でクールに目を細めては あのリズム


尖り靴の先っぽが
クンクン動く


そして 周りを見据えて すーすき すーすき すー

1 2 3 4

すーすき すーすき すー


イラつくな


たまにリズム変えて

すーすき すーすき す す す


次の駅で人がのりこんできた

ミカエルの姿が消える







どこからか







すーすき すーすき す す す パ








野郎 また変えてきやがった




スワッグ足め







混んできた電車内

誰かが呼応しだした



すーすき すーすき すー すきすき

すーすき すーすき すー 大好き


たんたた たんたた たん

たたた

STRAIGHT CASH

月曜日はなんか嫌いだ

週末の 平日とは違った疲れが 甘えと共にまだ残っている気がする


帰宅の途につく人々

誰もが俯き加減


空は灰色で

ネオンの光は淡く人々の背中を照らす


いつものゲトー電車に乗る前

俯いた人々が 牢屋へと連れて行かれる囚人達のように並んでいる駅のホーム


その男は 一人 天を仰ぐ様に時計の下にいた

齢六十
上下アディダスのジャージに
白い手袋
白いハット
白い謎ブランドのスニーカー

両手両足を広げ

意気揚々と 元気にストレッチしている
しかも かなりハードなストレッチだ

左手を背中から 右側に回し

反対もそれをして

両手甲がへそあたりでかぶさり

まるで 後ろから誰かにきつく 締めつけられているようだ

後ろから見ると Xの形した紐に縛られてるようだ

青白い顔だらけのホームで おじいちゃんは 自らを締め上げてる

顔は

めっちゃ 辛そうだ

しばらく自らに締められ 自らを解放

両手両足を再度伸ばして 元気玉を集める


スワッグ爺さん



自ら招いた締め付け
俺は世界の理を見た

締め付け 解放し
また締め付け 解放し

限りある自由を 楽しんでいた

スワッグ爺さん 締め付け中に電車到着

俺が尊敬の眼差しで見ていたせいか

スワッグ爺さん 普段よりきつめに締め上げたらしく

なんか

お腹の辺りが 異様な細さになっている

電車から大勢の人が波の様に押し寄せる

人の波の中にスワッグが消える


スワッグ爺さんが気になって最後の方に電車に乗り込む俺





スワッグ爺さん

自ら亀甲縛りしたまま 体を前傾姿勢にしたまま ウンウンうなってる



すげー心配だ



なにがあったんだ


誰かのブローでも 食らったのか





ドアはしまった



スワッグ爺さん、、

電車で振り返ってみると

すげー小さな婆さんが 白目を向いて 何かに切れていた




スワッグ爺さんの女か







人間のやる気を 一番奪うもの


それは仕事をなくすのでもなく


仕事をさせまくるのでもなく


力あるモノに

誰でも出来る


簡単な仕事を 少しやらすだけでいい


やる気は消え失せ


向上心は存在意義をなくし


人はただ いらついて 疲れ そして 心が壊れていく