隔離病室に入院した父 | 相模野ナミ 父母の介護の記録2017年冬〜現在まで。記憶の記録。

相模野ナミ 父母の介護の記録2017年冬〜現在まで。記憶の記録。

宮城県在住だった両親の介護の記録です。
想像を超える事が多かったので、忘れないうちに記録しておこうと思いました。

神奈川県在住の56歳の主婦です。ドラックストアで登録販売者として16年勤務しています。
夫56歳、娘25歳、息子23歳、の4人家族です。

入院初日の夜に暴れて、隔離室に移された父の事はとても心配でしたが、すぐに神奈川から宮城県には行けず、

病院からの、その後の連絡を待つしかありませんでした。


認知症で、サ高住をあんな形で追い出されての入院ですし

同じ宮城県に住む父の親戚の方々にも、知らせてはいませんでした。

落ち着いたら、知らせようと思っていました。


そして、入院から5日後、

なんと、父から電話が!

頼めば、病院の電話から、看護師さんが付き添いですが、電話できるそうで、

「ナミ、元気か?」と、かかってきたのです。

落ち着いていました。

隔離室で、何があったのでしょう。

どんな、治療があったのでしょう。

父は、サ高住にいた時とは、全く違う、

よく言えば落ち着いた、

悪く言えば弱々しい、

そんな声でした。


少しだけ、話して、

「元気だよ、お父さんは元気?」

「あぁ元気だ。気をつけてな」

「また会いに行くからね」

「遠いから気にすんな」


そんな簡単な会話をして、切りました。


そして、また、その5日後、

入院から10日後、

今度は看護師さんから、


「ユタカさんは、隔離室を出て、最初の西2病棟にうつりました」


と、電話がきました。


よかった。安心しました。


どのくらい父が暴れて、辛い思いをしたのか、

先生や看護師さんに、ご迷惑をかけたか、

全くわからなかったのですが、


そのくらいの事をしなければ、

アルコール依存性で、認知症の父は、

落ち着いた生活はできなかった、

ということなんだろう。


そして、

次はサ高住の退所手続きに入らなければいけない。

ひと月に父の入院費と、サ高住の家賃と、母の入院費は

、父と母の年金では不足してしまいます。

無駄なお金は使わないようにしないと。