父、精神病院に入院 | 相模野ナミ 父母の介護の記録2017年冬〜現在まで。記憶の記録。

相模野ナミ 父母の介護の記録2017年冬〜現在まで。記憶の記録。

宮城県在住だった両親の介護の記録です。
想像を超える事が多かったので、忘れないうちに記録しておこうと思いました。

神奈川県在住の56歳の主婦です。ドラックストアで登録販売者として16年勤務しています。
夫56歳、娘25歳、息子23歳、の4人家族です。

そして、父は、もうサ高住には居ることは出来なくなり、


と言って

「アルコール依存症」と診断された高齢者を受け入れてくれる施設もあるはずは無く、


認知症とアルコール依存症で定期的に通院していた、近くの認知症専門病棟もある、精神病院に入院することとなりました。


10月に入って母の退院、再び入院、で、私は2度仕事を休み宮城県に行っていたので、この入院の手続きや付き添いは、姉に頼みました。


入院のさまざまな書類の、保証人は、

何故か姉は、全部私にしていました。

なぜだろう?

「私は、しょっちゅう動けないから。」

って言って、

子供もいないし、

旦那さんも元気だし……

仕事も私と同じパートだし…


少し問い詰めたけど、それまでも姉は、父や母と殆ど連絡をとっていなくて、


明らかに「できれば何もしたくない」

という感じだった。

私が頼めば、しぶしぶ…という感じ。


そんな姉に、任せても、たぶん、色々と私にお願いをして来て、

ほとんど私が動く事になるだろう…


と、予測出来たので、

保証人も、連絡先も、私で承諾しました。


2017年10月18日。

姉の付き添いで、父、入院。

まずは、認知症病棟では無く、

アルコール依存症や他の精神疾患の患者さんが入院する病棟になったそうです。


父は、

「何故俺はここにいるのか?」

「キチ(母)に会わなければいけないのに」

「早く帰してくれ」


と、言い続け、今にも暴れそうな、反抗的な態度だったそうです。


姉は、看護師さんに、もし、父が暴れてしまったら隔離病室に移ってもらいます。

と、説明され、

隔離病室も見せてもらったそうですが、


姉曰く、

「トイレが隅にあり、監獄のような部屋」


で、見た途端、吐き気がした。


と、言ってました。


そして、姉は父の入院手続きを済ませ、

母のお見舞いをして、

日帰りで東京に戻ったようです。


1日くらい泊まって、次の日の父の様子を見てくれても、いいのになぁ、

と思いました。


10月19日。

入院翌日。

私に父の病院から、

案の定父は、夜、帰してくれと、暴れ、

「隔離室に移しました。」

と、電話がありました。



隔離室でも暴れて叫んだりしている父の姿を想像してしまい、

暗くなり、とても辛く、悲しくもなり、


何故こうなったんだろう。

サ高住に入居してもらったことが間違いだったのだろうか?


あのまま、実家に母と2人で暮らしてもらっていたらよかったのか?


でも、あのままでは、父はアルコール依存症も進み、母は遅かれ早かれ入院になり、

その時とても慌てる事になっていただろうし……


考えてももう、何がよかったのか、わからない。

その時は、それが最善だ、と思って行動した事。

私には、今、起こっている事を一つ一つ対処していくことしか出来ない、

仕方ないんだ。


と、自分に言い聞かせてました。