梶原景時は範頼の前を退出すると直ぐに土肥実平の元に向かった。
景時は武者たちの戦いの詳細を調べる任務と平家の逆襲に備えて福原に残る。
一方土肥実平は次の日に義経と共に都に上ることになっている。
「梶原殿、勝ちましたな。」
「ああ、何とかな。しかし、これからが正念場よのう。」
「さよう。」
「梶原殿は、論功行賞の為の各人の働きの精査。わしは、都の方々との折衝が待ち受けておる。
どちらもしくじれば後々面倒になる。」
「そうよのう。」
「しかし、今晩の梶原殿のお働きは見事であったのう。」
土肥実平は手にした酒を一気に飲み干す。
「さようか。」
と梶原景時はそっけなく答える。
「敵の首を一旦蒲殿の前に集めさせる。そしてその首を九郎殿が都に運ぶ。
そのように図ったのは梶原殿じゃ。
これで都の人々は平家を打ち破ったのは鎌倉勢という印象をもたれよう。」
土肥実平は多少顔を紅潮させて語る。

今回の平家攻めは鎌倉御家人、安田義定率いる甲斐源氏、そして畿内の武士達の混成軍によって成し遂げられた。
福原には三方から攻め入ったが、最初に落ちた山手口を率いていたのは安田義定と多田行綱である。
彼等は鎌倉勢に対しては友軍であり、頼朝の支配下にある者達ではない。
この彼等の活躍が大きく取り上げられたならば鎌倉勢の勝利という印象を都の人々に与えることは出来ない。下手をすれば多田行綱の勝利ととられかねない。
一応は頼朝に平家追討の宣旨を下されてはいるものの、都に顔の聞く多田行綱の働きが評判になると鎌倉勢の印象は薄くなる。
今回の勝利はあくまでも鎌倉勢の力によるものと印象付けなければならない。
それが頼朝から付けられた軍目付の二人の思惑である。

そこで、平家追討軍の代表として義経が平家の首と生け捕りにした平重衡の身柄を都に持ち込むことを決め、それを実行させるように多田行綱を説得した。
そして、都に首を運ぶ前に大手軍大将軍範頼の前に平家の首が集められた。
この事実は、範頼がこの追討軍の最高責任者であるという印象を内外に与えることになる。

鎌倉殿源頼朝の二人の異母弟範頼と義経を押し出すことによって人々に「鎌倉殿の派遣した軍の勝利」という印象を与えるのである。

梶原景時はもう一つ手を打っていた。
平家がもう崩れかかったその時点で範頼の養父藤原範季にいち早く福原陥落の使者を出した。
都の人々に範頼軍の健闘を伝えるためである。範頼は最も多数の坂東の鎌倉御家人を率いている。

そして今度も景時は新たなる手を打とうとしている。
景時は実平にそっと耳打ちをした。
実平はその耳打ちに不敵な笑みを浮かべて「それは妙案」と答えた。

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深夜になって、安田義定は梶原景時そして義経を連れて範頼の前に再び姿を現した。
「いやあ、多田殿を説得するには骨が折れたわ。多田殿は何ゆえに鎌倉の者が全て首を持っていくのかと駄々をこねられの。」
義定はからからと笑いながら語る。
「無理もありません。多田殿は直接院に自らの手柄を披露したがっていた故に。」
と義経。
どうやら、多田行綱は義経が平家の将たちの首を持って早々に都に向かうことに対して難渋したようである。
その多田行綱に対する説得はかなり時間を要した。

━━そうであろうな、
と範頼は思った。

多田行綱は安田義定と共に山手口を攻めた将である。
安田義定の功績と多田行綱の功績は重複する。
安田義定は自分の軍がとった首といってはいるが、実は多田行綱と協力してとった首なのでありその功績の半分は多田行綱にも帰する。

その多田行綱はあくまでも協力者なのである。
平家追討の宣旨を得た頼朝、そしてその代官である範頼・義経に力を貸したに過ぎない。
行綱からしてみれば頼朝の配下になった覚えはないのに、自分の手柄も鎌倉勢の一部として院に奏上されるような気がして面白くないだろう。

「都の人々に一刻も早く平家が敗れたことを知らせなければなりません。そうは言ったのですが中々ご了承いただけず・・・」
と義経。
「そこで最後は梶原殿の出番よ。
多田殿のご功績は多田殿のご功績として九郎殿より院に格別に奏上なさると。
また、都の方々にも多田殿のご功績をお知らせするゆえ、
かように梶原殿が申されたゆえ多田殿は渋々我等の申し出を受け入れられた・・・」
と安田義定は言う。

暫く談笑が続いたが
「九郎殿明日は早い。早々にお休みくだされ。」
という梶原景時の一言でこの場はお開きになった。

義経、梶原景時が退出した後、安田義定のみが範頼の元に残った。
「蒲殿、不思議なものでござるな・・・」
安田義定はふと言葉を漏らす。
「わし等が甲斐国で出会ったのは今から三年以上前になる。」
「はい。」
「その頃われら甲斐源氏は挙兵してばかりだった。
鎌倉殿は戦に破れ生死も分からず、蒲殿は身一つで甲斐国へやってきた。」
「さようですな。」
「その頃のわしらはとにかく海が欲しかった。東国の海に面した国が欲しかった。
ただそれだけで挙兵をした。
それが、今わしらは摂津国にいる。そして平家を再び西海においやった。
わからぬものよの・・・三年前のわれらこのような事を考えておったじゃろうか・・・
そして此度は蒲殿は押しも押されもせぬ大手の大将軍、いや、寄せ手の総大将じゃ。」
「総大将とは大げさな。此度の大将軍は、安田殿、九郎、そして私、それと多田殿の四名じゃ。
私は総大将などではない。」
「いや、蒲殿は総大将と思わぬとも回りはそのように思うようになる。いやそのようにさせられるじゃろ。」

安田義定は妙な言葉を漏らした。
だが、その意味を範頼が実感するのはかなり後になってからである。

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義経は自軍の兵が討ち取った平家の将たちの首を範頼の前に置いて退出した。
範頼の前に平家の将たちの首が並べられた。
その首をまじまじと眺める。

この戦乱の世、人の首など見慣れている。
だが、この日範頼はある感慨をもって首を眺めていた。
彼等は安徳天皇の親類にあたり、官位も高いものを有している。
この一門の知行国は国の半分に達していた。
範頼の軍勢にいたものが討ち取った平通盛などは公卿の座にあった。

その一門の者達の首が今自分の目の前にある。
数年前まで謀反人源義朝の子として日の当たる場所に出ることができなかった自分の目の前に。

━━ これが世の流れというものか・・・
数年前まで、範頼は彼等を仰ぎ見ることすらできなかった。
実の父の名を公に明かすこともできなかった。養父範季がいなければ人として扱われることが無かった。
範頼を名代として派遣した兄頼朝は罪人として伊豆に押し込められていた。
その自分達が都において権力を握っていた平家一門の多くを討ち取った・・・
平家一門を謀反人として・・・

そして今自分が生きて彼等が遺した首を見ていることも不思議である。
平家優勢が伝えられる中それに打ち勝ったことが奇跡である。
一歩間違えていれば自分達が負けていて、自分の方が首になって
目の前にいる首の人々が生きていて、そしてこの人々が自分の首を眺めていたかもしれない・・・・

その範頼の元にある人物の来訪が告げられた。
訪れたのは安田義定。
数人の従者を引き連れ範頼の前に現れた。
範頼は座を譲ろうとしたが義定はそれを断り範頼の対の座に座った。

「蒲殿、勝ったのう・・・」
義定は笑顔を範頼に向けた。
「はい。」
範頼の傍らに座す梶原景時はその様子を静かに窺う。
「ほほう。」
義定は範頼の前に並んだ首を眺めた。

「蒲殿、そなたの軍勢が討ち取ったのはこの中のいくつか?」
「三つです。」
「九郎殿が討ち取ったのが残りの四つ、というわけか。」
「わしはこの三つじゃ。」
そういって義定は従者の方を見やった。
従者たちは首桶を抱えている。

「で、この首をどうなさるのか・・・
わしは多田殿を説き伏せて蒲殿の検分に入れに来たのであるが・・・」
「明日都に持ってきます。」
そう答えたのが梶原景時。
「そうか、そなたの存念か・・・」
義定は景時をじっと見つめた。

「ならば」といいかけて義定は黙った。
沈黙がしばらく続いた。
「よかろう、この首は蒲殿の置いていく。
しかし、このまま明日都に首を持っていくことは多田殿が承知なされぬじゃろう。
梶原殿、お手数だがわしと共に多田殿の元に来ていただきたい。」
「承知しました。」
そういうと梶原景時はパッと座を立ち安田義定と共に範頼の前を退去した。


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