前回義仲に関する話題を書かせていただいたので、その関連で巴(巴御前)についても少し書かせて頂こうかと思います。

(実際には小説もどきにおいてはほんの一瞬しかご出場いただかなかったのにここに書くのは申し分けないとは思っているのですが、義仲が出てくると巴もかいてみたいなとつい思ったので・・・)

実は私は巴御前についてはそんなに詳しくないので、以下は私のつたない知識を元に書かせて頂きますのでそのあたりをご了承いただきたいと存じます。

さて、文献上に巴が現れるのは「軍記物」しかないようです。(私の知る範囲においてですが・・・)

巴が登場する軍記物は「平家物語」と「源平盛衰記」です。

で、その巴の立場ですが軍記物によって違っているのです。

「平家物語」---義仲が連れてきた便女(または美女)
「源平盛衰記」---義仲の乳母子で、樋口兼光、今井兼平の妹。なおかつ義仲の愛妾。

平家物語は巴の素性については木曽殿最期のあたりで「木曽殿は巴、山吹とて二人の美女を具せられたり。」という非常にそっけない紹介をしているのみです。
ここでいう美女(便女)とは、主の身の回りの世話をするあまり身分の高くない女性のことです。(時代劇に出てくる侍女のようなものでしょうか?)
もちろん木曽殿に付き従った数少ない人のうちの一人になったり、巴のその剛勇ぶり、義仲に命じられて義仲の側を離れるというエピソードは「平家物語」には書かれているのですが・・・・

「源平盛衰記」における巴の立場(乳姉妹)、と「平家物語」における巴の立場(単なる召使)の差は何なのか不思議に思います。

多くのドラマや小説では巴は義仲の乳兄弟で愛妾という立場で書かれていますし
そちらの方がドラマチックなのですが、
実際のところはどうだったのでしょうか?
また、軍記物上の創作の人物という説もありますし、実在していたとしたら実はどのような女性だったのか、非常にミステリアスなものを感じさせられる女性であります。

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かなり前にupした内容になりますが、小説もどきの中において寿永三年一月に源義仲が任官したのは「征東大将軍」と記載しました。
従来は「征夷大将軍」に任官したものと見なされていましたが、最近出版の専門家の著書を読むと「征東大将軍」だったとみなす向きが強いようですのでその研究動向に従うことに致しました。

櫻井陽子「頼朝の征夷大将軍任官をめぐって」(『明月記研究』9号、2004年)(←申し訳ありません私は未読です、以下書く内容はこの論文を紹介された末尾参考文献を元に書かせていただきます。)において義仲が任官されたのは実は「征東大将軍」だったという説が発表され、それ以降その説を支持する専門の方が増えているようです。

国立公文書館蔵『三槐荒涼抜書要(さんかいこうりょうぬきがきのかなめ)』所収の『山槐記』建久三年(1192年)七月九日条によると義仲が補任されたのは「征東大将軍」だったようです。もちろん征伐すべき東のものとは、当時敵対関係にあった坂東の源頼朝。

そして1192年源頼朝が望んだ官職は「征夷大将軍」ではなく「大将軍」だったようです。
前出の『山槐記』建久三年(1192年)七月九日条には下記の記載があるようです。
「前右大将頼頼朝、前大将の号を改め、大将軍を仰せらるべきの由を申す。」
この申し出を受けた朝廷は、頼朝に与える官職の候補として
「征東大将軍」「征夷大将軍」「惣官」「上将軍」の四つを挙げ、
その中で前例がよくない「征東大将軍」(義仲が就任)、「惣官」(平宗盛が就任)などが外され、結局「征夷大将軍」が朝廷の選定によって決められた、
ということだそうです。

つまり、頼朝はあくまでも「大将軍」の称号が欲しかったのであり、その上に「征夷」がつくかどうかはさほど気にしていなかったということらしいのです。

以下個人的意見。

いい国(1192年)作ろう鎌倉幕府
という有名な年号が鎌倉幕府成立の年になるかの議論がかなり昔から行なわれています。

もちろん1192年に源頼朝が征夷大将軍になったことは事実です。
その後の鎌倉、室町、江戸幕府も「征夷大将軍」に就任した人が幕府のトップに立ちます。
その後の幕府のトップの称号となる「征夷大将軍」が決まる経緯が上記の通りだった(頼朝の立場からすれば「大将軍」かそれに近いものだったらなんでもよく、「征夷大将軍」の官職を選定したのは朝廷だった)、ということは意外でした。

この「征夷大将軍」決定までの経緯、そして義仲が実は「征夷大将軍」になっていなかったという事実は今後の幕府の成立論議にどのような影響を与えるのかが非常に気になるところです。

以下余談です。
今年の四月、ある小学六年生に社会の教科書を見せてもらいましたが、その教科書には「1192年から鎌倉時代になった」と明記されていました。

巷で言われていた「もう学校では鎌倉幕府は1192年成立と教えていない」という話(いったんはマスコミでも騒いでましたが)が目の前にあった社会科の教科書の記載で見事に粉砕されました。

現代でも、巷で言われていることには信用できないという例がここにもありました。
やはり、物事は鵜呑みにはせずよく確認が必要だということを実感いたしました。

参考文献
川合康「日本の中世の歴史3 源平の内乱と公武政権」(吉川弘文館)
元木泰雄「源義経」(吉川弘文館)
五味文彦・本郷和人編「現代語訳吾妻鏡5 征夷大将軍」『本巻の政治情勢』(吉川弘文館)

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