軍議が間もなく終わろうとする頃
「兄上、お願いがございまする。」
と、義経が兄範頼に対して言葉を発した。
「なんじゃ?」
「先ほど梶原殿とも話したのですが、私は搦め手に加わる者たちと共に先に墨俣を渡っておきたいのです。」
「何ゆえに」
「先に畿内の武者たちを集める為に私が先に畿内に入ったほうがよいと思いまする。
そしてもう一つ、これ以上熱田に兵を集めると混乱がおきまする。
この先、まだまだ坂東の武者たちが熱田に来るでしょうし、
間もなく駿河の一条殿や甲斐の加賀美殿や石和殿、板垣殿が到着されるとの由
ここは少しでも熱田の人数を減らしておく必要がありまする。」
「なるほど。土肥殿いかがかな?」

「確かに九郎御曹司のおっしゃることには一理ございまするな。」
土肥実平は同意した。

軍議が終わり一同が退出した。
範頼はその場に残った。暫く一人で佇み、何か考え事をしてため息をついた。
その様子を当麻太郎が見咎めた。
「殿いかがなさいましたか?」
「軍議が終わった。九郎は搦め手の大将軍、私は大手の大将軍と決まった。
そのように意見を述べたのは私。決断したのも私だ。
それが正しい方策だと思って決断した。
だが、本当にそれでよいのか私は今悩んでいる。」

その主の様子を当麻太郎は静かに眺めた。

「では他の決断をなされたならば、殿はお悩みにはなられなかったのですか?」
「そ、それは・・・」
「ならば、ご自分のご決断に自信を持たれることです。」

「ところで、」
と当麻太郎は話を変えた。
「遠江守(安田義定)様が蒲殿よりも下座に着かれた、
ということで遠江守様の郎党たちが大騒ぎをしております。」
「ほう・・・」
「従五位下の遠江守様がなにゆえ無位無官の蒲殿や九郎様の下座にお付になるのかと・・・」

安田義定の郎党達が不満を述べるのも至極当然である。
当時は官位の有無、上下が身分そのものを決定する。
たとえ摂関家に生まれたものでもその当時の官位が他家の官位上位者よりは下ならば摂関家の人間といえども他家の官位上位者よりも下の身分として位置づけられる。

この軍議においては安田義定のみが官位を有しており本来ならば一同の最上位に位置していなければならない。
だが最上位に座ったのは無位無官の範頼であり、範頼の到着以前は同じく無位無官の義経が最上位に位置していた。
そしてそのことに対して義定は不満を何一つ述べなかった。
数ヶ月前頼朝と対面した時でさえ、東国の支配権を得ていた頼朝と遠江守義定は同格の席に座していた。

だが今回官位において上位者である義定は頼朝の代官範頼と義経の下座に着し、しかも先ほどの範頼の願いもすんなりと受け入れた。

この義定の態度は一体何なのであろうか・・・

ともあれ
「何者の下風についてもならぬ。」
という兄の言葉は守られたのは事実である。

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「搦め手はいずこから攻め入る?」
この土肥実平からの質問に対しては
「田原路を通って宇治川を越えて都の南から入る。」
と義経が自ら答えた。

「しかし、いくら搦め手とはいえ少人数で動くとは・・・
東から都に入る路のことは木曽勢も存じておるはずじゃ。我等の動きを予測して宇治川を固めるのは目に見えておる。
そこで手間取っているうちに院と帝をお遷しされては・・・・」
土肥実平は心のうちに残る懸念を正直に口にした。

「いや、大丈夫だ。
木曽に残された兵力は現在大したことはない。
それに、木曽は我等鎌倉勢以外に対して兵を動かさねばならぬときが間もなく訪れる。」
義経は自信を持って返答した。
「と、おっしゃいますと?」
そう疑問をぶつける土肥実平に対して義経はあることを告げた。

「それがうまくいきますでしょうか?」
「十中八九、それは我等の思惑通りに動こう。」
「しかし・・・・」
なお逡巡する土肥実平に対して今まで黙っていた人物が口を開いた。

「ここはやはり九郎が搦め手の大将をつとめるのが最善の策と思う。」
そう言ったのは蒲冠者源範頼。
「九郎は都育ち、そして都の武者共と親交がある。九郎に任せるのがよいであろう。」
土肥実平は虚を衝かれた顔をしている。
「では、私は大手を率いる。それで良いな?」
と範頼は一同を見回した。皆無言でうなづいた。

「ただし、搦め手の軍ももう少しは人数が必要であろう。
そこで、私は提案したい。ここにいる安田殿に九郎に与力することを願いたいということを。」
土肥実平はさらに驚いた顔をした。
一方安田義定は落ち着いた顔で範頼の顔を見つめ穏やかに「諾」と返答した。

「ただし、この与力において安田殿に願いたいことがございまする。
此度の軍の最前線の指揮は我が弟九郎に任せていただきたいのです。
そして九郎の背後を固める形で安田殿の協力を頂きたい。
そして、九郎が危ういときは安田殿のご判断で与力して頂きたい。」
安田義定は数刻黙り込んだが、やがてそれに対しても「よかろう」と返答した。

その問答をみた義経は兄範頼と与力者安田義定に向かって礼をした。

その礼を受ける範頼は義経の瞳を見た。
その瞳の中にはかつて奥州で見せた義経しか持たないある種の輝きが宿っていた。
この弟ならば何かやってくれる。
あの奥州での出会いで感じた何かが範頼に確信を与えていた。
その確信が範頼の先ほどの言葉を引き出していた。

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「で、どのように軍を分けるかということでござるが、それがしに考えがございまする。」
と梶原景時が意見を述べる。
「このたびの上洛でまずせねばならぬことは、帝と院をご無事にお迎えすることです。
木曽殿は院を奉じて西国に行く、もしくは北陸に落ちる存念があるとのことでござる。
木曽に院と帝を連れていかれれば実質はどうあれ我等は賊軍になってしまいまする。」
景時は一同の顔を見回す。
「そこで、軍を大手と搦め手に分けるのでござる。幸い都へ向かう路はちょうど二つございまする。
大手には多くの兵をつけまする。この大手の大軍に木曽の主力を引き寄せまする。その間に少数の搦め手が早急に都に入り院と帝をお助けするのがよろしいかと。」

一同は大いにうなづいた。
それに力を得た景時は言葉を続ける。
「その搦め手の大将軍こそ九郎御曹司がふさわしい、それがしはそのように考えまする。」

その言葉の後、一同の上を暫く沈黙が支配した。
「何ゆえ九郎御曹司でございまするか?」
と土肥実平が問う。

「よろしいですか、都にすばやく入るには都の地勢に明るくなければなりませぬ。
我々東国の者は、数年に一度は都に上ることがあるといえど都に頻繁に出入りする畿内の武者に比べますると土地の明るさにははるかに劣るものがありまする。
九郎御曹司はここ暫く畿内に留まり、彼の地の武者共を味方につけるのに成功いたしました。
この畿内の武者たちの協力を得れば、都へ入るのはたやすいものとなりましょう。」
「なるほど。」
土肥実平は九郎義経をじっと見つめる。
「で、確実に与力しそうな畿内の武者は?」
「伊勢の和泉信兼、伊賀の平田家継、そして現在我が軍に加わっている佐々木四郎高綱殿。」
「ふーむ。」
和泉信兼は今まで平家寄りの人物と見られ、平田家継にいたっては平家の家人である。
そのような者達が今では義仲に反感を持ち上洛する鎌倉軍に加わろうとしている。
しかし、彼等は確かに都に度々出入りしていて都近辺の地理に明るい。
佐々木高綱は頼朝挙兵の数年前から伯母の伝で都に出入りしていた。

確かに彼等の協力を得られるのならば都入りはたやすくなるであろう。

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