大柄で見事な装束を着ている範頼を見て郎党はひるんだ。
だが、郎党は範頼に向かって言い分を述べた。
「知れたこと。われらが渡河しようとしたところをこいつらが邪魔をしているから
わしらは応戦したまでのことじゃ。」
するととたんに
「何を言うか。真っ先に渡河するのは我等と軍議では決まっていたではないか。」
と、河匂次郎は郎党に言い返した。
その言葉に一条の郎党が応じようとしたその時
「お手数だが、そなたに願いがある。一条殿を呼んで下さらぬか。」
範頼の穏やかな物言いに郎党は不服そうな顔をしながらも主を呼びに言った。

やがてこれもまた不服そうな顔をして一条忠頼が現れる。
「これはこれは、蒲殿わざわざご足労痛み入る。」
とわざと慇懃に挨拶をする。
「一条殿、なにゆえに河匂次郎殿より先に渡河されようとなさりまするか?」
と範頼は静かに問いかけた。
「確かに河匂次郎が鎌倉殿の軍勢の中で真っ先に河を渡るというのは軍議で決したことである。
だが、われら甲斐源氏は鎌倉殿の手勢ではない。
われらはわれらのやり方で河を渡る。」
と一条忠頼は答える。

「確かに、一条殿は友軍でございまする。
しかし、このような渡河の順序で味方同士で会い争うなど無益なことではございませぬか。
ここはわれら鎌倉勢に渡河の先陣をお譲りいただけませぬか?」
と範頼は静かに話をする。

「いや、このような名誉な先陣を人に譲ってなるものか。わしらが先に河を渡る。」
一条忠頼は譲らない。

その時土肥実平が話しに割って入る。
「一条殿、此度の軍は院のご救出が目的の一つですぞ。
無事院をお救い申しあげたときには院より我等に恩賞が与えられましょう。
しかし、その時陣中で諍いがあったと院が聞かれましたら院はどのように思し召すでしょうかな。」
実平は忠頼に強い視線を送った。

「ここにおわす蒲殿のご養父は院の近臣高倉殿(藤原範季)ですぞ。
高倉殿のご猶子に、そしてそのご猶子が率いる兵にこのような振る舞いをなされたならば高倉殿はどのようにお思いになられることやら。その高倉殿が院にどのような奏上をなさるかそれがしは保証いたしかねまする。」
と土肥実平は声に力を込めて一条忠頼に詰め寄った。
範頼やその軍勢に無礼があったならば、範頼の養父藤原範季を通じて院に一条忠頼に対する悪い印象を持たせることも可能であると土肥実平は暗に言っている。

それを聞いた一条忠頼は
「ご勝手になされよ。」
と言って憤怒の表情で全軍をまとめて後方に撤退させた。

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ようやく軍議が開かれたが、今回の軍議は紛糾を極めた。
土肥実平が何事かを発言すると一条忠頼がかならず横槍を入れてくるのである。
中々容易に話が進まなかったが、加賀美遠光がとりなしたり範頼が両者をなだめた。
また、坂東の御家人たちもそれぞれ多くの利害を抱えており、
行軍の順番一つとっても夫々の言い分があり、それを通そうとして中々決まらない。

全ての陣立てが決まるまで三日程の日数がかかってしまった。

軍議で喧々諤々の論議をしている最中、
範頼と土肥実平は他のことにも神経を使わざるを得なくなっていた。
待機している兵の間に揉め事が絶えないのである。
その都度範頼や土肥実平はその解決に努力せねばならない。

軍議に集う諸将の協力もあって何とか解決はできたのであるが、
この先この大軍を整然と行軍させ、戦闘させることができるのか不安を感じさせるような雰囲気である。

軍議終了後、その決定の通りに軍を進めることになった。
だが、行軍が始まってすぐに範頼たちの不安は的中することになってしまった。

諍いは尾張と美濃の国境である墨俣川を渡る時にすぐに始まった。
行軍の先頭の方からなにやら騒がしい音がする。
土肥実平が郎党を先に向かわせ、自らも後を追う。
実平が近づくとなにやら争う声が聞こえ、矢が行く筋か飛び交っている。

騒乱の片方の手のものは鎌倉殿の御家人河匂次郎実政、そしてその相手は一条忠頼の郎党である。
実平は大声を出した。
「わしは鎌倉殿から軍目付の仰せつかった土肥次郎である。
なにやら諍いがあるようであるが話を聞こう。
とりあえず弓矢を収められよ。」

「ふん、土肥次郎だと。ただの相模の田舎武士ではないか。
武田の郎党のわしに向かってなにを偉そうに!」
そう言って矢を番えるのをやめようとはしない。

その時、先触れの声が聞こえそれからすぐ大手大将源範頼が現れた。
「何を争っている。」
範頼は郎党に向かっておだやかに話しかけた。

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寿永三年(1184年)1月初頭、義経軍と安田義定軍は墨俣川を越えて美濃に入りさらに西を目指した。
軍勢の一部が去って兵馬が少なくなった熱田であったが、
暫くすると以前以上に人と馬が満ち溢れるようになった。

大手に従う坂東の兵、そして駿河と甲斐から甲斐源氏の面々が兵を率いてやってきたからである。

従軍すべき殆どの兵が集まった頃
範頼、土肥実平、坂東の主だった御家人そして甲斐源氏の面々が集って軍議が開かれることとなる。

最上位に座る範頼に御家人達は礼をして夫々の座に着する。
そして甲斐源氏の面々が現れた。
加賀美遠光、石和信光といった面々は雑色が示した座に素直に座った。
だが、逸見有義、板垣兼信、そして一条忠頼は逡巡して中々座に着かない。
土肥実平に促されると有義と兼信は不服そうな顔をしながら座に着いた。
だが、一条忠頼は立ったままである。

土肥実平は一条忠頼の側に赴いた。
「わしは何ゆえにあの座につかねばならぬ。
わしは無位無官であるが、蒲殿も同様ではないか。
蒲殿の隣にわしの座を支度せよ。」
忠頼はと土肥実平に命令した。

「蒲殿は、東海道、東山道の沙汰を命じられている鎌倉殿の御代官にございまする。
鎌倉殿同様に接していただきたい。」
と土肥実平は答えた。

「蒲殿が鎌倉殿の代官ならば、わしは甲斐、駿河を治める甲斐源氏棟梁武田信義の代理人である。
鎌倉殿と甲斐源氏棟梁武田信義は時を同じくして挙兵した盟友なるぞ。
鎌倉殿とわれら甲斐源氏は同格の同盟者ぞ。わしが蒲殿の下座に座る道理は無いではないか。
さあ、わしの席を蒲殿の隣に移せ。」

「失礼ながら、鎌倉殿は従五位下でございます。
帝の勅命によって東海道、東山道の沙汰を命じられておりまする。
院の北面からじきじきに院のご救出を頼まれておりまする。
東海東山に住まい、此度の出陣に臨むのならば鎌倉殿に従うて頂かなくてはなりませぬ。」
という土肥実平の答えに一条忠頼はむっとした顔をした。

その忠頼に土肥実平が耳元にささやく。
「遠江守様もあなた様に用意した席と同じ場所にお座りになられました。」

この一言に一条忠頼は観念した。
従五位下遠江守安田義定が範頼の下座に座したのである。この既成事実が忠頼を屈服させた。
大いに不服そうな顔をして一条忠頼は支度された座に着した。

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