だが義仲は現実に目の前に現れた敵と戦わなければならない。
西の行家には樋口兼光に当たらせる。
東からの敵には、今井兼平、そして源義広に兵をつけて当たらせることとした。

だが兵力差を考えるととうてい防ぎ切れるとは思えない。

窮余の中にある義仲は前々から考えていた策を実行に移すことを考える。

それは後白河法皇を奉じて北陸に向かい「官軍」としての自分の立場を内外に示して
北陸において勢力を立て直すことだった。
これは平家が西国に天皇、治天の君、摂政を擁して「政権ごと」移動して
劣勢を跳ね除けようとしたのと同じ発想である。

自軍が敵を防いでいる間に法皇を連れて北陸へ行く、それが義仲が選び取った方策だった。

しかし、この期に及んではこの策の実行は期を逸していた。
手元にいる軍勢を敵に当たらせた義仲の周りにはもうほとんど兵は残っていない。

法皇を迎えに行こうとした義仲に対して後白河法皇は「赤痢にかかったので動座は叶わず」と答えるのみであった。
その後も何度も義仲は法皇に「動座」を要請したが法皇の答えは否である。
法皇は義仲の足元をご覧になっている。
そして都に滞在していた院に仕える畿内の武者、そして北面たちが続々とやってきて院御所の周りを固めている。
義仲の周りには力ずくで院を連れ去るほどの兵力は残されていない。

義仲は苦境に立たされていた。
そのような中樋口兼光は河内に向かい、今井兼平は勢多、志田義広は宇治へと向かった。
義仲は院への奏上を続けているが、院は取り合わない。
その間時は無意味に流れ去っていく。

一方、数万とも言われる鎌倉勢大手軍が源氏の白旗をなびかせて続々と近江国に入り勢多を目指している。
それより前に近江に入っていた千騎ばかりの鎌倉勢搦手軍は勢多を通り過ぎ宇治川に沿って人馬を進めている。

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一方義仲の方はこの時鎌倉勢の情勢を的確に掴んでいなかった。
寿永三年に入って直ぐ、坂東武士たちが墨俣にいるという情報が入った。
その話を聞いた翌日には武士達が墨俣川を越えたという話が舞い込んできた。
この話を聞いた義仲は狼狽した。

義仲の頭の中には、奥州勢が坂東に攻め寄せる、その相手をする為に鎌倉勢は坂東を動けないはずであった。
それどころか坂東勢の中に奥州と通じる者がいて頼朝が危機の中にある筈だった。
だが、実際に鎌倉勢力は墨俣を越えて都に迫っているという。
義仲は城長茂の動向、そして奥州に密かに通じていた上総介広常が殺害されたことをまだ知らない。

義仲は混乱していた。
だが混乱しながらも義仲は対策を錬った。
まず、義仲は平家との和睦を進めようと努力した。
その仲介役にはかつての平家の家人藤原忠清があたっている。
忠清は平家の都落ちには同道せず都に留まって朝廷に降伏していた。

ついで、都を目指すであろう鎌倉勢を迎え撃つべく近江への出撃を決意した。

しかし出陣は中止となった。
近江に進軍した鎌倉勢が千騎程にすぎない勢力だと知ったからである。
千騎程度ならば義仲は十分に防ぐ自信があった。

だが義仲は知らない。
この千騎は搦め手の義経と安田義定が率いる勢力のみで、その数倍の兵力を擁する大手軍がさらに都を目指そうとしていることを。
さらに都に程近い畿内の武士達が搦め手に参陣しようとしていることに・・・

一方この頃平家との和睦工作は不調に終わっている。
一月十三日にも入洛と噂されていた平家はその入洛を拒否した。

もっともこの頃平家には本気で義仲と和睦する意思があったのか判らないのであるが・・・

平家との和睦が不調。
それでも義仲は鎌倉勢と戦わざるを得なかった。
一月十五日義仲は征東大将軍に任じられた。
東、つまり東に住む者ー源頼朝らを討伐する者という公的な称号を得たのである。

しかしその翌日義仲は衝撃の報を受けることになる。
千騎にも満たないと言われていた鎌倉勢力があっというまに数万にまで膨れ上がったのである。
源範頼率いる大手軍が近江に到着し、そして、畿内の武士達も続々と鎌倉勢に与同した結果である。

さらに義仲は新たなる敵を発見する。
都の西にいた源行家が東から攻め上る鎌倉勢に呼応する動きを見せているのである。
行家には河内に勢力を張る石川義兼が背後にいる。
さらに近隣の畿内武士も同意の動きを見せているという。
彼等の動きも決して無視できるものではなかった・・・・
東と西に敵を抱えた義仲は対処に苦慮することとなった。

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範頼が率いる大手軍の鎌倉勢の殆どは墨俣川を渡った。
だが、そこで足を止める。
友軍である甲斐源氏の主力を率いる一条忠頼が墨俣川を渡らず尾張に留まっているからである。
三日待った。だが、一条忠頼らは動かない。
義経らの搦手軍が先に近江に入っている。
これ以上搦手を待たせるわけには行かない。
範頼は、一条忠頼を置いて大手軍を出立させようと決意した。
その時鎌倉から早馬が届いた。

早馬から下りた使者はまず土肥実平に何事かを告げる。
控えの間で話を聞いた土肥実平は範頼の陣幕に入ってそっと範頼に耳打ちをする。
「これからご使者殿が申されることは鎌倉殿の本意ではございませぬ。
しかしながら、蒲殿にはあくまでもご使者殿のお言葉を
恐れ畏んでお受けくださって下され。
また、叱責の言葉があれば平に陳謝なされますように。」

範頼は怪訝に思った。だが、土肥実平の言葉だからと思ってその通りに行なうことにした。

やがて使者が範頼の前に現れた。
使者は言う。
「鎌倉殿は大層ご立腹です。
敵との戦の前に味方との諍いを起すのは何事か、と。」
範頼は実平に言われたとおりに、使者に平伏し、兄鎌倉殿への詫びの言葉を述べた。

その様子は、同席している甲斐源氏の面々の目にも映っていた。

大将軍蒲殿範頼が兄鎌倉殿から叱責されたという噂はその日のうちに陣中に広まった。

範頼の大将軍としての面目は全く持って丸つぶれである。

範頼にしてみればやりきれない思いである。
先陣争いをしようと乱闘に及んだ鎌倉御家人の河匂次郎と友軍である甲斐源氏一条忠頼との間を
仲裁しただけである。そして一条忠頼には鎌倉方の意見を飲んでもらった。
軍評定で決したことを破ろうとした一条忠頼に非がある。

だが、鎌倉殿頼朝はその仲裁者範頼を叱った。そして大将軍としての範頼の面子を潰した。

本意ではない、と言われても文句の一つも言いたくなる。
だがここで文句を言っては今度は鎌倉殿の面子が潰れる。
範頼はぐっとこらえた。

噂が噂を呼んでいる陣中の中土肥実平は範頼の元をそって訪れた。
「蒲殿、よくご辛抱なされました。
今はお辛いかもしれませぬが、鎌倉殿の御計略が間もなく実を結びまする。
そうなれば蒲殿の此度のご辛抱が生きてまいります。」
実平はそう語った。

その日のうちに鎌倉殿の御計略が実を結んだ。
墨俣川の向こうに留まっていた一条忠頼の軍勢が続々と川を渡ってきたのである。
蒲殿が鎌倉殿に此度の争いのことで叱責されたという噂が一条忠頼の耳に届いたのである。
範頼の軍目付土肥実平にやり込められた一条忠頼は機嫌を直した。

その様子を目にした範頼は鎌倉殿の計略の意味を悟った。
一条忠頼の先陣を阻んだ範頼を叱責したことにより頼朝は一条忠頼を重視している
という姿勢を示したのである。
頼朝とて鎌倉殿の代官である範頼にやすやすとは従わない一条忠頼には不快感をもっているはずである。
だが、それ以上に一条忠頼に離反されるのは困るのである。
そこであえて範頼を叱りつけて一条忠頼の機嫌をとったのである。

範頼と土肥実平は並んで一条勢の渡河する様子を眺めている。
「蒲殿のご辛抱が実を結びましたな。」
範頼は無言で頷いた。
「だが、やっかいな御仁でございますな。一条次郎殿は。」
土肥実平は思わずつぶやく。
「今回の一件で一条次郎殿は勢いづかれますな。
いいほうにいけばよいのですが、扱いを誤ればまたやっかいなことになりまするな。」
土肥実平はそう続けてため息をついた。

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