水練に巧みな者達が河から上がると義経は全軍に渡河の指示を出した。

時は旧暦一月二十日。(太陽暦では三月初旬)
比叡山の山々の雪が溶け出し、雪解け水を受けた琵琶湖から滔々たる水量を吐き出している
宇治川の水かさは高く流れも急であった。

義経の下知を受けた坂東武士達は一瞬渡河をためらった。

そのような中大音声をあげて真っ先に河を渡ろうとする一団があった。
「坂東太郎(利根川、ただし当時は途中で現在の隅田川に流れ込んでいる)に比べれば物の数ではないわ!」
そのように叫んだのは武蔵国の大豪族秩父一族の一人畠山重忠。
そういって郎党たちをそして大将軍の義経を励まして大河を渡ろうとする。

「馬筏を作れ!」
重忠は自らの郎党達に命じた。
馬筏とは騎馬を密着させた一列に並べながらほぼ同時に河を進む進軍方式である。
このようにして進めば河の流れの影響を少なくして騎馬で対岸で渡れるのである。
さらに力のある強い馬は上流に弱い馬を下流にすることによってより確実に渡河することができる。
河川の多い武蔵国に住むものならではの知恵である。

重忠とその郎党たちが馬筏を作って渡河せんとしていた頃、
少し別の場所で並んで馬を乗り入れたものがある。

頼朝から名馬生食を賜った佐々木高綱と磨墨を賜った梶原景季である。
名だたる名馬を得た二人は、自分こそが先陣の栄誉に浴するのだと気負っている。

抜きつ抜かれつ両者は河を渡る。

「梶原殿、馬の腹帯が緩んでござるぞ。」
佐々木高綱は突如梶原景季に声をかけた。

その声に気が付いた梶原景季は急いで腹帯を直す。
直後景季は佐々木高綱が景季の少し前方に進んだのを見る。
━━ 謀られた。
そう思った景季が今度は佐々木高綱に声を掛ける。
「まだ河の中のあちらこちらに綱が残っておりますぞ。」
すると
「承知」
といって佐々木高綱は太刀を引き抜き河の中に次々振り落とす。
途中いくつか残っていた綱は太刀に引き裂かれ、その綱を押しのけるように佐々木高綱は進む。

やがて高綱は対岸にたどり着く。

「宇多天皇より五代の末、佐々木三郎秀義が四男佐々木四郎高綱、
宇治川の先陣なり。」
高綱は高々と宣言した。

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義経は宇治川へ進む道中、足の速い者達を先に走らせた。
その先触れのものたちは宇治川沿いに住む人家へと進む。
彼等は口々に叫ぶ。
「今からこのあたりの家々を焼く。家財をもってはやく逃げろ。」
健康な若年者や壮年者たちは身の回りのものだけを持って早々に家を飛び出した。
それを見た使者たちは手にもった松明を次々と家々に放り込み後方に下がる。
このとき、足腰の悪いもの、病人、老人たちは逃げ遅れ家と共に生きたまま焼かれた。
そして家に残された大切な家財道具一切も。

宇治に陣を敷いている木曽勢は、宇治川の対岸が赤い炎につつまれたのを目にした。
その炎の勢いが静まると木曽勢は、煙がくすぶる中続々と武装した集団が現れるのを目にした。
かれらは白旗をなびかせていた。
その白旗は木曽勢が掲げているものではない。
鎌倉勢が掲げる白旗だった。
宇治川を挟んだ対岸には、源義経率いる鎌倉勢がほぼ横一列に並んでいた。

一方鎌倉勢のほうである。
こちらでは義経が矢継ぎ早に指示を出していた。
「水練に巧みなものは河に入り、綱を切って杭を抜け。
水にもぐったものが矢に射掛けられぬよう橋桁から対岸に近づき敵の射撃を阻止せよ。」
その指示に従い、水練に巧みなものが甲冑を脱ぎ半裸になり刃物を携えて河の中に飛び込む。
ほぼ同時に弓をもった者たちが弓矢を携え橋桁を渡る。
宇治川にかかる既に落とされていたが、橋桁はまだ残されていた。

敵が綱を切ろうとしていることに気が付いた木曽勢は川の水面に向かって矢を射掛けようとした。
だがその矢を射る前に射手たちは橋桁からくる矢に当たり次々と倒れる。
弓を番える都度敵がいる橋桁から矢が飛んできて、河に向かって矢を射ることができない。
やがて川の表面にはずたずたに切り裂かれた綱や引き抜かれた杭が浮かび上がり
豊富な水量を誇る宇治川はその浮遊したものを一気に下流に送り出した。
その様子を義経はにわかに設えた高やぐらからじっと見つめていた。

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その搦手軍が歩を進めていく途上、多くの武装したものがその軍に新たに加わっていく。
畿内に住する武士たちが郎党を従えて搦手軍大将軍源義経に参軍の意思を伝え、その義経率いる軍の中に加わっていくのである。
その畿内の武士達を吸収しながら義経率いる鎌倉勢は宇治川沿いを進む。

少なくない兵を引き連れた軍が義経率いる軍勢に続く。

鎌倉勢友軍甲斐源氏安田義定率いる軍である。
彼等も続々と宇治を目指す。

彼等が宇治にかなり近づいた頃、鎌倉勢の主力大手軍は勢多へと接近していた。
大手軍を率いるのは大手大将軍源範頼。
海と見まがうほどの巨大な湖琵琶湖を右手に見つつ範頼らは勢多を目指す。
彼等が勢多に到着したときには、かれらが都へ進むための勢多の橋は落とされていた。
軍勢の前には巨大な湖からとうとうたる水を運ぶ宇治川(勢多川)が横たわる。
琵琶湖から注ぎ出てばかりのその川は鎌倉勢と対岸をはるかに隔てている。
敵にとってはそれだけでも天然の防御柵である。
さらにその川の中には杭と綱が張られ、また対岸の河原のあちらこちらには逆茂木が置かれ騎馬の行く手を塞がんとしている。
そしてその宇治川の先には今井兼平率いる木曽勢が待ち構えていた。

範頼はその様子をじっと眺める。

隣にいる土肥実平はその将軍にそっと耳打ちをする。
「思った通りたいした兵力ではありませぬな。」
「確かに。木曽の兵は少なくなったと聞いておったがここまでとはな。」
「兵を宇治にも廻したでしょうし、九郎御曹司のおっしゃったとおり河内の新宮十郎殿も呼応して挙兵された。そちらにも兵を差し向けなければならなかったようです。」
範頼は大きくうなづく。
「しかし、油断は禁物ですぞ。戦の趨勢を決するのは兵の数ですが
死に物狂いの少数の兵はけっして侮れるものではありませぬ。
かつて私は三百の兵で三千の兵にあたったことがあるまする。
その時われらは必死に戦って鎌倉殿を守りぬいたのでござる。」
土肥実平は石橋山の戦いを回顧しながら範頼に忠告した。

大手軍は静かに木曽勢今井兼平軍と対峙していた。

その頃河内国では義仲の乳母子樋口兼光が、源行家とそして行家を支える石川義兼とすでに戦っていた。
一方先に宇治に向かった義経率いる搦手軍は対岸の木曽勢との戦いを開始せんとしていた。

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