一方、義経が率いた軍勢も二月六日の夕刻には山陽道に到達した。
一の谷口から少し西にある播磨国塩屋に軍勢は陣を張る。

兵たちに休息を取らせている間義経は道案内をしてくれた鷲尾三郎を呼び寄せた。
行軍中に鷲尾三郎がふとつぶやいた言葉が気にかかっていた。
「一の谷口に向かう間道がある。」
という一言ともう一つ。
「一の谷に間道はいくつかある。その中に獣達が良く通る道がある。
ただし人や馬が通ることはないが。」

義経は鷲尾三郎を呼び寄せ間道のことを詳しく尋ねた。
その時行軍の途中で放った物見が義経の元に何人か戻ってくる。
義経は平家の陣の様子そしてその位置を聞いた。
その陣取りを鷲尾三郎にも聞かせ彼からあることを聞いた。鷲尾三郎の言葉に義経は己のある予感に確信を覚える。

義経は軍目付土肥実平に主だった者達を集めるようにと求めた。軍議をすると言った。
次に義経は土肥実平を驚かすことを言ってのけた。
「土肥殿、只今から軍を二手に分けまする。
兵たちの主力は土肥殿が指揮して下され。
私は、少数の兵を率いて間道を通り敵の背後を突く。」
「何と!」
土肥実平は次の言葉が出なかった。
そしてさらにその次に出た義経の言葉にも驚く。
その言葉は他言無用といわれた。

大将軍が主戦力から離れて別行動を取るということが信じられない。
だが、義経の構想を聞くとそれも妙案とも思える。
そしてこの目の前の若き大将軍の意表を突く発想の魅力に引き込まれた。
けれども一言だけ返した。
「しかし、なにもそれを御曹司みずからなされなくても・・・」
「いや。このように危険を伴うことを人に任せるわけには行かない。
私自ら行なわなければならない。将自ら危険に飛び込まずして誰がその命がけの行軍についてくるものか。」
義経は決意をもった強い瞳で実平を見つめた。
壮年の軍目付が若き大将軍の瞳にたじろぐ。

やがて御家人たちが義経の前に集まってきた。
その御家人たちに義経は高らかに宣言する。
「今から軍を二つに分ける。
当初の予定通り山陽道沿いに西から一の谷口を攻める軍勢と
間道に入り背後から一の谷をつく軍勢にわける。
正面から敵にあたる軍勢は土肥殿に率いていただく。
間道に入る軍勢は私が指揮をする。」
義経は続ける。
「間道に入る軍勢はそんなに多くなくても良い。
ただし、険しい道のりを歩むことになる。そして夜も行軍することになる。
その覚悟、特に険しい獣道を通る覚悟があるもののみ私についてきて欲しい。」
御家人達はざわめいた。

それでも功名手柄にはやる御家人のうち何人かは義経に付いてくることを表明した。

その後義経は土肥実平と共に正面から戦う軍勢の陣立てを指示した。
それが終わると直ぐに別働隊を集めてその作戦を語り始めた。
先ほど越えた山道に入り途中から間道に入る。
その道を抜けると一の谷に陣を張る平家の背後に抜ける。
そこから背後を衝く。
義経は従うものたちにそのように語った。
だが、義経の胸中には未だに一つの策が秘されている。
その策は語らず別働隊の陣立てを行い、軍勢を率いて義経は再び山へと入っていった。

一の谷布陣図

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三草山落ちる。
その報を福原の平宗盛が聞いたのは二月六日の明け方だった。
宗盛は福原に於いての決戦が近いことを知り、山の手、一の谷の守りをより一層固めさせた。
しかし、三草山がもう少し持ちこたえることを期待していた為にその守りの支度は余裕のない慌しいものとなっている。
一方鎌倉勢は続々と山の手、そして一の谷を目指して進軍する。

搦手軍の一手━安田義定が率いる軍勢は険しい山道を進軍していた。
「多田殿、もし多田殿が平家の将でしたらどこに兵を隠しますかな?」
義定は同道した摂津国住人多田行綱に尋ねる。
「あそこの木の陰などいかがでしょうか?」
と行綱は答える。

義定は行綱の言った場所を探らせた。
だが、そこに人の姿は見つけることができなかった。

━━ 平家は我々を迎え撃つ準備が未だに整っておらぬ。
安田義定はそう思った。

山手口に近づくと義定は兵たちに一旦休息を取らせた。
その間山道に強いものたちを偵察に出して近くの地形や様子を探らせた。
するとさすがに山手の陣に近い場所には山中に伏兵を多く潜ませていることが良く分かった。
だが、その配置の報告を聞いた義定は鼻で笑った。

━━ よくもまあ、こんなに敵がたやすく予想できる場所によく隠し兵を置くものよ・・・

元々山深い甲斐国で生まれ育った義定である。
山というものになじんでいる。
山における戦闘に関しては甲斐に育った武士の義定にはごく身近なものである。
一方山手の将通盛は山中や山麓の戦闘に慣れていない。
そのような通盛や侍大将越中次郎盛俊が指揮する軍の行動などは手に取るようによくわかる。

━━ それに、山の下で敵を待とうとはな・・・・
山での戦いは山上に陣取る方が山すそに陣取るより有利になるというのに敵の主力は山中に入ってこようともしないようである。

━━ もっとも三草山が落ちるのが早すぎて進軍できないというのも理由の一つだろうがな・・・

やがて日も沈んできた。

その間に安田義定は翌朝の矢あわせに先立っての支度を次々を行なっていった。

一の谷布陣図

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御家人たちが去った後範頼は梶原景時を呼び寄せた。
「梶原殿、三種の神器はわれらが攻め入る先にはもう既におわさぬ、そのように考えてよいのだな。」
「今さらに詳しく探らせています。ただ今現在の状態で分かるのは陸地には武者どもしかおらぬということです。
正確なことは申せませぬが、おそらくは先帝も女房たちも只今は福原の陸の上にはおられぬものと拝せられます。」
「では先帝と神器は?」
「戦に巻き込まれぬと考えられるところ、おそらくは船の中におられるものと拝します。」
「ならば神器と先帝を此度の戦ではお迎えすることは無理か。
此度われれは海上から攻め入る支度はしていない。」
「お迎えはおそらく無理でしょう・・・
ただ、神器さえ無事であればまたお迎えする折がございましょう。
此度の戦いは西国における平家の勢いを削ぐことに戦の主眼を置くべきかと・・・」
大将軍と軍目付は互いに顔を見合わせた。

一方、三草山を突破した搦手軍は次なる行動を開始する。
当初の予定通り搦手軍は二手に分かれた。
北側の山道から福原中央部に入る山手口に進む軍勢と、山道を大きく迂回して山陽道の西側に回りこんで西から福原に入る一の谷口に回る軍勢に分かれた。

山手口に攻め込むのは安田義定を将とする軍勢。その軍勢には摂津国住人多田行綱が加わる。
一の谷口に進む軍勢を指揮するのは源義経。その軍目付には土肥実平がついてくる。
摂津国の地勢に明るい畿内や摂津の武士達が殆ど山手口にへの軍勢についた。
そのため地勢に明るいものが減り義経らは進軍に窮する。
義経は郎党達に道案内できるものを探すように命じた。
やがてこのちに住まうもの幾人かが義経の前に現れた。
彼等の案内で義経らの軍勢は先へ進む。
先へ進むと土地に詳しいものが続々と加わってくる。その中に一人の若者がいた。この辺りの山を自在に駆け巡る猟師であるという。
義経はその若者が気になった。義経はその若者を近くに引き寄せた。その若者にこの辺の地勢を案内して欲しいと思った。
若者の名は鷲尾三郎という。

この鷲尾三郎と義経の出会いがこの戦いにおける神話のような奇跡を引き起こすことになる。

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