例年のように終戦(敗戦)を意識する8月。
先日、テレビの特集番組で、戦後GHQによってメディア報道が厳しく規制されていたことを伝えていました。終戦直後に原爆の悲惨さが新聞などに報道されたことに慌てたGHQは、すぐに報道全てを検閲し米国に都合の悪いことは表に出さないようにしたそうです。その数年後、GHQの規制が無くなっても、日本人自らによる「自主規制」がメディア世界(だけではないけれど)に続いたそうなので、今の日本の偏向報道はこの頃の名残りが続行しているのだなあ、と感じざるを得ませんでした。
韓国の若いユーチューバーのジェホさんが、広島県呉市の大和ミュージアムを紹介している動画を見たので、それがきっかけで約20年前の映画「男たちの大和」を観たり、もっと大戦に関して知ろうとしています。
米軍が沖縄侵攻し始めたと同時に、「大和」は呉から沖縄に向かうのですが、その途中、侵攻から1週間経たずに爆撃を受けて沈没します。巨大な大砲を載せた軍艦も、米軍の空からの猛攻撃にはなす術もなく、兵隊たちと共に海深く沈んでいきました。悲しい戦争の歴史です
林千勝氏の大東亜戦争の見解、とても興味深い内容の動画を載せます。
14:30くらいから三島由紀夫の戦後の日本観を紹介していますが、今も全く変わっていない我が国があります。(美しい日本語で簡潔に纏められた日本観には、三島の美学が感じられます。)
憲法では国民に主権と謳っても、実際は占領下にある日本のまま。林氏は歴史的事実を知らなくては、日本の再生は望めないから原点に立ち返ろう、と話しています。
林氏は北方領土問題のことも解説されていて、ソ連単独の作戦ではなく米ソの共同作戦であったことを実証を持って説明されています。米国がソ連を援助し、北方領土に侵攻させるための作戦基地がアラスカにあったこと、などなど、その頃の米ソ関係を知ることが出来る文献や資料が、アメリカ海軍歴史センターにあるようです。アメリカのソ連バックアップは、「でしょうね」という感じですが、米軍が約150隻もの船舶をその作戦のためにアラスカ沖に停泊させていた事は、初めて知りました
日本人の威信にかけて建造した「大和」も、B29による空からの連続爆撃には太刀打ちできず、海の底へと。。。爆撃機にしても、飛行高度が9,000メートルのB29に対して、日本の零戦は5,000メートルが限界。そしてその数の面でも戦力に大きな差がある中で、日本人の命が沢山犠牲になった太平洋戦争でした
戦後、日本は航空機製造を禁止され、高度な日本人の技術力は新幹線を生み出すこととなったそうですが、日本が独自の飛行機を製造できないことは本当に悔しい現実です。日本は戦後から、アメリカのボーイング社やダグラス社(1997年ボーイング社に吸収)から航空機を購入せざるを得なかったのですが、こんな不平等なことってあるかという感じです。。。
学生の頃、戦争が終われば、両国とも同じ地点から発展しようと思えば出来るのだと思っていましたが(頭がお花畑ですね)、大人になるにつれて、「敗戦=植民地のような地位に甘んじなくてはならない」という現実があることが解ってきました。何十年という時が経ってもその関係性は変わることが無いんだなあ、と。戦時下でないのに、権力でコントロールされる、どう考えてもオカシな世界に生きているのだけれど、そこに目を向けなければ目を塞がれたままで、事実は捉えられない。林氏は、「私達は今一度、戦後日本のスタート地点に立ち返って、今も占領下の日本を見つめ直さないと日本の再生は無い」と訴えています。
再び8月15日を迎える私達日本人は、このメッセージを重く受け止めないといけない、と感じます