今日8月15日は終戦(敗戦)記念日。これは日本だけの認識で、海外では、アメリカの戦艦ミズーリ上で日本が降伏文書に調印した9月2日だそうですね。
8月に入ると、戦争関係のニュースを目にしますが、先日のTV番組では、兵隊の数が足りなくなった日本が志願兵を募り始めたことや特攻隊の悲しい映像を見せていました
因みに志願兵とは「軍の恒常的な構成員ではないが,個人の自由意志によって,一定の期間軍に服務する兵員」という定義(コトバンク)だそうだけれど、とても「自由意志」で戦地に向かったとは言えない状況でした。国は、全国の役所が各学校に志願兵を募るよう要請し、ノルマを課す。役所は躍起となって、各学校に対し生徒数に応じて志願兵の数を半強制的に獲得させようとする。学校の教室には、我先に「お国のために」と志願した生徒の名前が張り出され始める。学友の名前が増えるごとに、他人事ではなくなる子供達は、社会から非国民というレッテルを貼られることを恐れて、最年少は14才と年齢で戦場に赴いた、という異常な状況で、「自由意志」では決してない、「強制」と言って良い当時の社会の空気がありました
他人の目によって自分の行動を決める、というのは、戦争前にもこの国の特徴としてあったように思うし、戦時ではなく現代を見ても、日本人の国民性といって良いように思えます。一方欧米人は、他人の目より自分の考えや気持ちを優先することが多いし、同じアジア人でも中国人、韓国人、台湾人は、日本人よりも自分の意見をはっきり述べることが出来る国民性を持っています。
戦時は、上に倣えの教育だった日本では、自己を無くし、消さざるを得なかったけれど、これからはその悲しい性サガを改めて、自己を確立し未来へと歩んでいければ、と願います。数百万人という大切な日本人の命を犠牲にした非情な戦争から、少なくてもそれを学びとしたい、と思った今日でした