第一次世界大戦も、第二次世界大戦も、世界情勢が不穏な様相を呈して危うくなってきたな、と人々が思い始めたころから約1週間くらいで「気付いてみたら戦争に突入していた」という状況だったそうなので、新年が明けて、同じようなことは絶対に繰り返して欲しくない!という思いが一層強くなります。
ユーチューブで何気なく見た中京TVの番組は、数日前に放映されたようで、本当に素晴らしいものでした。(NH〇はこういう番組作らないのかな???)お正月中、いつもよりお時間が取れそうでしたら、感動的ですのでご家族で是非!とお勧めしたい内容です
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番組タイトルから、また戦争の話?新年早々、気分が落ちちゃうよ~、という心配❓はご無用。本当に励まされるし、社会や世界に貢献することの大切さ、辛い経験からあくまでも前向きな生き方を学ばされます
第二次世界大戦で、日本の兵士達がシベリアに送られて、沢山の方が亡くなったことは知られていますが、モンゴルに抑留された兵士達もいたのですね。マイナス30度にもなる極寒の地シベリアには、約60万人の日本兵達が連行され、その内の1万2千人がモンゴルに送られました。シベリアで送られた兵士達の約13%が亡くなり、モンゴルでは約10%が死亡されたそうです。
日本とモンゴルはどんな関係で、日本兵士は何故モンゴルに行ったのか。。。この疑問をあるモンゴル人女性が持つようになります。彼女は今は中京TV記者ですが、自分がモンゴルで学んだ大学が日本人によって建てられたことから、その関係に興味を抱くようになります。そこから、友弘さんというモンゴルに抑留された、そして両足を切断せざるを得なかった96歳の男性元兵士と繋がり。。。日本とモンゴルの関係がどのようなものであったか、が解ってきます。
中国の満州を植民地化していた日本は、1932年に満州国を設立しましたが、満州国のすぐお隣に接していたのが「ソ連」と「モンゴル」で、モンゴルとの国境では頻繁な争いがあったそうです。調べてみると、これは事実上、背後で動くソ連との軍事衝突だったようです。特に1939年のモンゴル国境でのノモンハン事件は、日本とモンゴル(と同時に、後ろに控えるソ連)との大きな軍事衝突ですが、ソ連はモンゴルを衛星国として使っていたようです。(北方領土、尖閣諸島、北朝鮮なども衛星国的役割をしていると読んだことがありますが、大国がお互いに直接ぶつからないように間に衛星国的な国や領土をあえて置くらしい。。。政治の闇の部分で、考えるだけでも嫌になりますね)私達日本人から見ると、モンゴルはお相撲さんで親しみのある国だけれど、距離的には日本からは遠い国のように思えて、その国と戦っていたことは多くの人達は知らないように思います。
第二次世界大戦の終戦間近に参戦してきたソ連に1日遅れて、モンゴルもソ連と一緒に参戦、というのも初めて知りました。両国は、日本が統治していた満州国を攻撃し、日本の敗戦も決定的に。モンゴルは敵国日本との国境沿いでの戦い、ノモンハン事件などで犠牲を強いられたお返しに(?)「日本へ賠償請求」という形で日本兵達を自国に抑留。敗戦後に、日本人の兵士達をシベリアやモンゴルに抑留させ労働力として使う、こんなことが国際法で許されるんでしょうか?ポツダム宣言には違反しているようですが、戦争となると(戦後であっても!)勝者がやりたい放題、という感じですね
抑留されていた日本人兵士達が建設したものは、モンゴルの首都ウランバートルの中で、女性記者が卒業した大学以外にも、いくつもあり、政府関係の主要とされる建物のほとんどではないでしょうか。外務省、証券取引所、オペラ・バレエ劇場、図書館などなど、素晴らしい建築物が30以上、日本人抑留者達によるもの。それなのに社会主義体制の中で、その事実はご法度、と伏せられてきたため、モンゴル市民達はほとんど知らないということです
日本とモンゴルの間の外交関係が樹立したのは、1945年の敗戦から約30年後の1972年。1975年にやっと待ち焦がれていた友弘さんのモンゴル訪問、戦友達の霊を弔うための旅が始まります。さらに、1990年のモンゴルの社会主義崩壊から7年後の1997年、友弘さんと元抑留兵達が、何と現地に孤児院を設立します。マンホールの中で生活をしている見るに見かねて、だったそうで、番組後半では、そこで育った女の子が大人になって友弘さんと再会する感動的場面も見られました。40回以上もモンゴルに墓参をしてきた友弘さん、94歳の時「これが最後の訪問、亡き戦友達も日本に連れて帰る」とモンゴルに別れを告げます。
「両足を失った原因は、スターリン、社会主義。。。と恨んでも、今さら。。。」と笑い飛ばし、いつも戦友達のことを思い、子供達のために孤児院を作って教育を与え、今生かされていることに感謝し、前向きに生きていらした友弘さんから、私達は沢山のことを学ぶことが出来ます。そして、兵士たちは国を操る権力者達のコマにすぎない、ということも、その人生から実感できます。大切な一人一人の国民の命を守らず、平気で戦争ゲームのコマに使うなどということは絶対にあってはならないはずです。何が何でも、戦争のない未来が私達の未来に待っていますように