人類の歴史は疫病との戦いなんですね | chopinのブログ

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1月下旬頃から騒がれ始めたコロナウィルス、始めは他国の問題みたいに客観視していたのが、あれから2ヶ月半が経ち。。。海外から見ると遅い対応ですが、先週ごろから日本でも日常生活にいろいろな制限がかかり始め、強力で不可解なウィルスに怖さを感じ始めるようになってきましたえー

 

 
人間の歴史は疫病との戦い、というけれど、去年知人から送られた本の中に、杉本苑子の「孤愁の岸」と「華の碑文」がありました。純日本文学はなかなか自分からは読むことがないけれど、一昨年お会いした時に名古屋市徳川園に行った話をしたので、幕府が如何に他藩の勢力を落とすために不当、非人間的なことをやったか、を知って欲しかったのだと思います。そしてこの機会に日本文学の良さも認識させてくれました。「孤愁の岸」は日本の歴史を知る上で、必ず読むべき一冊だと思います📕。

上の2つの小説に疫病の場面がありました。「孤愁の岸」には、徳川幕府が薩摩藩を疲弊させるために藩に課した濃尾平野の治水工事の様子が書かれていて、その任務に当たった薩摩藩士が次々と赤痢に倒れていったこと、「華の碑文」足利幕府の室町時代に、能芸術を極めた猿楽師・観阿弥のお話で、京都に疫病が流行った場面が出てきました。
 
 
STAY HOME!で、家で断捨離していたら、上記の小説よりずっと新しい内容の記事が目に留まり、それは1933年の東京中野区にあった結核患者の療養所の様子でした。そこには千人近くの病人が隔離されていた、とあり、病室も寝具も不潔で、冬の間も火の気がなく、掛ける布団もないまま「寒さで死んでいった」、夏は蚊や他の虫にくわれて毎日10人は命を落とした。。。死体の処理は1日2回しか行われず、死骸は目や口を大きく開いたまま、或いは吐いた血に汚れたまま放置され、夜間にはネズミがその頬をかじる、と阿鼻叫喚と化した状況が書かれていました。この様子は、その頃宣教師としてフランスから来た神父さんが、故国の教会に送った手紙の中に書かれたもの。(Mワァイロン著 有本司訳 「花咲く島へ」「フロジャク神父の生涯」からの引用のようです) 今から約90年ほど前の東京の一場面、とても今からは信じられない内容ですが、実際あったのですね。今、結核に対して治療薬がありすぐ死に至る病気ではなくなったので、コロナもいずれそのようになるのかもしれません。
 
 
人類の歴史は、たくさんの命の犠牲がありながら、それでもその時代を生き延びた人達が子孫を残し、大切な命を連綿と繋いできたのだなあ、と感じ入りますおじいちゃんおばあちゃんお母さんお父さん
 
 
今のコロナもタフなウィルスですが、人類に課せられた一つの試練! 打ち勝たないと筋肉ですね。 まずは基本的な手洗い、マスク、飛沫感染をしないように人との距離を取る、を守り、良い充分な睡眠、バランスの良い食事、筋肉が衰えないように運動をする、を毎日の生活で実行して、是非とも私達、世界中の人達が無事にこの困難な時期を乗り越えていけますように!と願うばかりです。