以前より気になっていた国立ハンセン病資料館というところへ行って来ました。
以下、公式サイトより概要です。
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国立ハンセン病資料館は、東京都東村山市の国立療養所多磨全生園内に設置された、ハンセン病に関する資料を保有する博物館・図書館である。 目的は、ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律に基づき、ハンセン病に対する正しい知識の普及啓発と、ハンセン病回復者に対する差別解消と名誉回復を図ることにある。

場所は自宅から1時間位でしょうか。良く晴れた日でした。

今回、このような特別展が催されており、思い切って来たわけです。

入ってすぐのエントランスは博物館そのものといった感じです。

国立の施設なので、管理もシッカリしていて綺麗な建物ですね!

当時の療養所では、万が一火災が発生しても、感染を恐れる消防団は消火活動にも来てくれないということで、所内に自前の消防設備があったそうです。
もちろん消火活動も患者が主体で行うという過酷なものだったみたいです。

ハンセン病と聞けば、今でも不治の病という印象もありますが、治療薬ができてからは、正しく治療を行えば完治する病気でした。
不思議なのは、消防団も来てくれない程に恐れられていた感染症であるのに、医師や看護師は勤務をしていたみたいで、ちょっとその辺の事情が分かりませんでした・・

これが、当時の療養施設の再現モデルです。

狭い部屋に数人の患者達が共同生活をしていたようで、自身のスペースというのはなかった模様です。
院内で結婚は認められたようですが、男性は断種手術が義務付けられ、夫婦の時間もちゃぶ台で仕切るだけのプライバシーも何もない状況でした。
強制収容ですので、一旦入所すれば原則退所することなく一生をこの施設内で終えるわけです。なんだか、展示を観ていて非常にツラい気持ちになりましたね・・

療養所内だけで使える通貨が支給され、入所時の所持金は没収されたみたいです。

入所した患者は、様々な作業に従事していた様です。職員不足を補うため、比較的軽症の患者が、他の重症患者の看護や施設の清掃、人糞の運搬といった過酷な労働を強いられていました。

一方、各種のお祭りやイベント、芸術作品の制作などは盛んに行われていました。その1部が展示されています。

かなりレベルの高い作品が並んでいます。ハンセン病に罹患した患者の中にもこうした才気のある人はいたわけですね。。

子供も感染が発覚した場合は、強制収容です。故郷へ残る両親へ送った直筆手紙が展示されていました。
もう戻れない人もいれば、治療法が確立してからは退所もできるようになった人もいたそうで、帰郷する人もいたとのことです。
しかし村八分意識の残る日本ですので、退所ができた方々への差別は酷く、社会生活が困難となり、再び入所する人もいたとか、、

ハンセン病資料館は東京都東村山市の国立療養所多磨全生園内にあり、その敷地は広く、少し敷地内を散歩しました。
食堂もあるということなので、ランチを頂こうと行ってみることにしました。

これが お食事処 なごみ と呼ばれる食堂です。今も営業していて誰でも入れます。

お母さんと言う感じの方々3人で切り盛りされています。しかし昼時でも混雑することは無い様で、のんびりとした雰囲気で営業されていました。

この日の定食はフライで、大変美味しく、他のお客さんはカレーや鰻丼なども注文されてましたね。

ピークの1940年代には1400人以上が入居していた宿舎というか療養棟では、今も高齢化した元患者さんが80人程住んでいます。
平均年齢は既に90歳前後ということで、静かに暮らされているとのことでした。
今回、色々と考えさせられました。当時は不治の感染病と恐れられ、強制収容された療養施設。療養というのは名ばかりで、実態は隔離施設でした。
患者も家族も世間に背を向けて生きることになったハンセン病患者は、治療法が確立されても尚差別は続いたそうです。
コロナ騒動のときにも感じましたが、日本というのは今でも同調圧力という考えが残っていますね。
良し悪しはともかく人と違うことをすれば差別される社会です。
だから基本的に全員同じ方向を見て、同じことを行います。
自分も含めてそういう気質がある国民性なのでしょう。これは是非とも外国を見習って、直した方が良いと思います。
今回、気になっていたハンセン病のことについて、少し理解ができました。
国家が同じ様な過ちを繰り返さぬ様に、私たちは監視する必要があると思いました。
そして、私達自身の考え方を見直す必要もあると感じました。