行こういこうと思いつつタイミングを逃していた「大𠮷原展」ですが、先日、打合せで都内へ出るついでに観てきました。
公式サイトより
約10 万平方メートルもの広大な敷地に約250 年もの長きに渡り続いた幕府公認の遊廓・江戸の吉原は、他の遊廓とは一線を画す、公界としての格式と伝統を備えた場所でした。武士であっても刀を預けるしきたりを持ち、洗練された教養や鍛え抜かれた芸事で客をもてなし、夜桜や俄など季節ごとに町をあげて催事を行いました。
池波正太郎先生の鬼平犯科帳などで、江戸の文化や街並みに触れ、興味津々なのですが、𠮷原については知らぬことばかりです。
上野駅公園口を出ると、すぐにカンバンがありました。
上野駅、平日の午後でしたので、修学旅行の学生さんかな、たくさんいましたね。。
上野公園は、平日ですと空いている印象です。のんびりと休んでいる人たちもいます。
もちろんお仕事の人もいるのでしょう、黒塗りハイヤーがたくさん停車しています。
場所は藝大美術館です。もう会期終了真近ですから、すごい混雑ぶりでした。。
美術館内です。空いているように見えますが、大変な盛況ぶりでしたね。土日はもっと混むのだと思います。
展示場は撮影禁止ということで、ほとんど写真はありません。
いくつか撮影が許されていたエリアもありました。
𠮷原建築が模型になっています。
江戸幕府公認であり、主として侍や武士のような上客を対象につくられた施設ということで、非常に高級な場所だった様です。
お目当てにしている遊女を指名して待つお部屋、奥側に別室があるという設計だったみたいです。
客をもてなすお部屋は豪華絢爛だった様ですが、遊女の住まいは質素なつくりで、待遇はよくなかったとの説明がありました。
「𠮷原炎上」という映画もありましたが、𠮷原は度々火災が発生したようです。この原因の1つが遊女たちによる放火だったとのこと、、。過酷な生活に耐えかね腹いせに放火を行ったという説明もありました。
鬼平犯科帳の小説の中で、江戸の風俗や文化については、たくさん描写があります。現在のように外国からの圧力(=命令)はまだなかったはずですが、庶民の暮らしは順風満帆ではなかったような気がします。
今回の展示をみて、浮世絵そのものの作品は素晴らしかったわけですが、それよりも遊女さん達の境遇、劣悪な環境での仕事、それから施設外へ外出も許されないという説明がありましたが、ストレスも相当だったろうなと胸が痛みました。
もうこうなると、これは人身売買なわけですよね、、
会場を出ると、ミュージアムショップがありましたが、記念の絵ハガキも買う気が起こらず、そのまま会場を後にいたしました。。
あぁ、藝大美術館を出ると、いつもの上野キャンパスがありました。
少子高齢化が顕在化しつつ、裏金問題などの不正も多数、世界に目を向ければあちこちで戦争・・ しかし江戸の生活と比べれば、令和の現代はまだマシなのかもしれないなと、思いにふけりました。
この日のランチで頂いたナス味噌炒め定食ですが、これで780円ですね。
鬼平犯科帳の中では、鴨鍋、ドジョウ、汁物等々が登場しますが、𠮷原ではどんなものが供されていたのでしょうか?
そうした食べ物の説明はみられませんでしたね。。
まとまりのない、投稿となりました。展示自体は素晴らしく一見の価値ありですよ!
残念ながら、明日19日までとなります。
ありがとうございました。