「酔いどれおじさんとワガママ娘ー後編ー」の巻 | ユッキのブログ 社会がわたしに不適合!だからムダさえない日常

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メガネ茶髪ジーニストの陽気な陰キャ、ユッキです。
常々なんで?と思うこと、体験談など楽しくおかしく書いております。
ごゆっくりどうぞ☕︎

完璧な人はいない

 

これまでは、

自己肯定感だとか自尊感情だとか

そんなことを培う方法すら知らなかった。

 

 

 

母なんか特に、

私や妹をどこかのいい子にしたがった。

 

母は、いい人が大好きだった。

人間のなかに聖人君子がいると

本気で信じていたんじゃないか?

(本気でいないとも言いきれないけど)

いい子ならみんなから好かれる、

と思い込んでいたらしい。

(私、バカでドジでゲスいけど

いま割といい感じだよww)

 




まかり間違っても

「あなたはそのままでいい」

なんて言ったりしなかった。

自分も、自分の子も、

誰もかれもに好かれるようにして

暮らしていればいい、みたいな。

 

 

 

 


 




私もそう。

人付き合いも相手に合わせてた。

だからか

いけ好かない子とばかり遊ばされて、

友だちを選べなかったし、

まさか友だちを選ぶ権利が

与えられているとは

友だちは選んで付き合う存在とは知らず。




(56歳なら自我はあったはず

自分が自己主張しないことで

いけ好かない子たちのしたいようにさせて

相手を助長していたと思うと、

それでも自分に我慢させることを

自分に強いていたのかと思うと

あらためて自分にゾッとするわ)


自分の意見を言わないと

自分の楽しい時間は始まらないって

思いもしなかったよなぁ。



うちの場合は

「親父には虐待されたわけでもないし

 (お酒の力を借りて怒鳴りちらして

 妻子どもを黙らせるだけだし

 母には暴力を振るったけど)

 中学3年間は毎日のように

 お弁当を作ってもらったし

 良くしてもらえるだけありがたい」なんて。





よその誰かの言葉を引っ張り出して

自分がいけない子なんだ。

親にも周りの人にも

迷惑をかけているんだから、

このくらいで文句言っちゃいけない。

とか

自分を閉じ込めてきたけれど

もうそうもいかなくなってきた。






それはそれ!








もちろん、父親として

衣食住を提供してくれたし、

中学のとき、高校に入ってすぐも

「行きたくなければ

   学校に行かなくてもいい」

と言ってくれたけど。





まぁ、見放されたと思ったね。

(本当は絶大なる信頼だったわけですが)





あれだけ、よそから

「ガンバレ」って言われるのが

嫌でたまらなかったのに、

実の親には、

「ガンバレ」

って言ってほしかったみたい。

父にも、母にも。





どこまでワガママ娘なんだろww





このままワガママにいくぞ!






私は自分で決めたことに

責任を負うでもなく、

自分の存在を

「人である資格がもうない」とか

「生きている価値もないクズ」だと思って

責任から逃れていただけなんだ。



  



こんな親ならいいのに

こんな自分ならよかったのに

って、私は一体どこの目線から

オーダーしてんだよって話だよね。





自分は自分でしかない。




自分だって親だって、

そういう人であって、

そういう人でしかない。

もう完全体なのだ。



アル中おじさんとワガママ娘



そんなわけで、

誕生日に何が食べたい問題は、

ここしばらく辞退している




誕生日って生まれてきた日で

産まれた日でもある

これまでにも何度か

ブログでお話していることだけれど、


「生む」+尊敬語「られる」=「生まれる」

「産む」+尊敬語「られる」=「産まれる」

命とは、誰にでも何にでも

全てに等しく宿るもので

尊敬に値する至高の存在!


もちろん、母親がいきんでいきんで


ギュルラァァァァァ!って叫んで

(叫んだと信じている)

私をこの世界に

産み出してくれたからでもあるし、

そのためには、

きっと周りの人たちも

何らかのかたちで

サポートしてくれたに違いない

と信じている。

なんせ生まれる前のことは

あんまり覚えていないのです、私




さすがに何度も

そういう展開を繰り返すうちに、

食べたいものを食べたいから

お気持ちだけで十分です!

という通過点にきている


断るとしばらくいじけるけど、

「じゃあ(妹と)二人で行ってくれば?」

ってすねるけど、






私の望みは







立ち直ってほしいだけ。






自分の状況を、事実を

可哀想とか惨めとかじゃなく

ただ、こうなのだと

知ってもらって、

知ったうえで、

これからどう生きていくか

自分の人生を、未来を

少しだけでも幸をもてたらなって




それって結局、私自身にも

言いたいことだったね。

(だからってまだ感謝はできないけど)



朝、起きて

自分の支度があるのに

なんで

誰かが汚した🚻

処理するところから

始めなきゃいけないのか?





アル中を助長したくないし、

八つ当たりもごめんだ。

夜は安眠するための時間をとりたい。





痛風を勝手にこじらせておいて

これは違うんだ、とか

(仮に違うとしても、

病院にかかったり

そうなったらどうなるか

少しだけでいいから考えてくれよ)



自己中だから、

自分が絶対正しいし

自分が絶対大丈夫だって思ってる。

嫌なら出ていけ、だもんなー。

出ていく以外の解決策を

考えたかったけれど。




私もそうなのかな。

そうならそうで、

しょうがないかな。




身内も友達もダメ

誰がなんて言っても言い訳して

うやむやにする。

そういうところが

遺伝子で私にも

引き継がれているような気がして、

私自身にもあるような気がして

全身を切り刻みたくなる。





そんなことやっちゃダメだけどー!







いつも柔軟でいられるように。





やっぱり

自分が自分を

救い出さなきゃいけない。




もう十分惨めだ。

可哀想じゃなくて惨めだ。





じゃあどうしようか?




ワガママ娘もアル中おじさんも

未来の自分の幸せを

冷静に考えるときがきている。