
暖かくなって、桜が咲き、その美しさに見とれている間に樹々が芽吹き始め、景色がうっすらと緑に変わり始めてきました。いつからだったか...、年々この季節が大好きになっている自分がいます。
みずからの有りの侭の精一杯をただ見せている自然、よくひとは自然に生かされていると言いますが、その自然も大きな宇宙の法則の中で生き、そして健気に、斯く在るべきと教えてくれているような気がしてなりません。
それを身体や心で感じ、不思議な力に後押しされていることに気がつく、喜怒哀楽いろんな気持ちがあるのが人間なのだけれど、自然を感じる心には怒りや悲しみはなく、ただただ、感謝と底知れぬ希望が湧いてきます。
静かに花や緑を見上げるひとも、桜散る道をそぞろ歩くひとも、みな心なしか穏やかです。
そういう所では、目に見えない笑顔が連鎖しているような感じと同時に、まさにひとも自然の一部のような気がします。
ひょっとすると、笑顔はひとが自然と繋がってた頃の普通の顔なのかも知れないなんて、面白いことを考えたりしました。
ふと、若かった頃、僕の田舎で感じたことを思い出しました。
アルバイトで伯父さんと町中をクルマで行くと、すれ違うクルマほとんどに手を振ります。
みんな知り合いなんて素敵だなぁと思うと同時に、ただ愛想がいいだけなんかじゃなく、ひととひとの、心と心の気安い関係に、なんだか心温かくなったものでした。
たとえ知らないひとでも、そんな感じですから皆笑顔で話します。
またその笑顔も、きっとこのひとは子供の頃からこんな笑顔なんだろうなと思う笑顔だったりします。
最近、お祭りを観に山村を訪ねた時にも思ったことですが、やはり自然との距離感なのかなと思いました。一歩外へ出ると、舗装された道と家ばかりの都会ではなく、朝に夕に色が変わる山々や森や樹々に囲まれて生きること。
ブログで綺麗なお空の写真を載せているひとがいて、それに惹かれてよくコメントしたりしてますが、
京都に住む僕もその昔、街中のガードレールに腰掛けて、ビルの狭間から見える青空を見上げてました。
そしてまるで母親に喜びを伝える子供のように、、
「すっごい空が青いよ!みんなちょっと足を止めて見上げてみて~♪」
なんて小さく囁いて、長い時間見てたりしました。
今から考えると、変なヤツですが、その頃は真剣にそうやってる自分を誰かが見て、つられて見てくれないかと思ってたものです。
今では街中へはあまり行かないし、自然溢れる場所へ出かけるのが当たり前になってますが、それでも家を出ると必ず空を見上げてます。
そしてそこに、蒼く透き通った空があればそれだけで嬉しくなります。
若い頃、B型ということで、よくお天気坊やなんて言われてたこともありましたが、自分ではホントにいまでもそうやなぁ~と笑えます。
ひとの良心と自然との関係、それは、古より生きてきたひとの心が培ってきた、最良最善のものなのかも知れないと、この時期を感じると何気に胸を張りたくなる気持ちから書いてみました。
不思議と創る楽曲の感じも変わり始め、まさに自然から得るものは計り知れないと、ただただ感謝と畏敬の念を感じながら、始まったばかりの季節の彩りを増々楽しみたいと思います。。