命の内と外にある火・炎の感応 | 風の音が心に響いて...

風の音が心に響いて...

日々心地よくありたいと願う気持を込めて..、
感じたままを書き綴ってみました



お祭りで、じ~っと火を見ていて思ったのですが、火はひとにとってこれまでの進化・進歩をもっとも牽引してきたもの、人間にとってもっとも必要不可欠なエネルギーなのだと思います。
そして、もっとも命に刻まれ常に賢明に学ばなければならない自然の恩恵でもある気がします。
使い方を間違うととても恐いものの始まりのモノ、ひとはそれを知りながら太古の昔から欲の為に覇権の道具にし、いまだに滅びの炎の恐怖に打ち勝つ術をしりません。

それにつけて、僕が見たお祭りの火はなんとも神聖な、荘厳なものでした。
ひとはそれを知っていてそう行動出来る筈です。この間のオリンピックも世界中のひとたちがひとつ火の元に集まり、懸命に力を競いました。

マッチや百円ライターでも簡単に得られる火でもありますが、本来ひとの力を大きく超えた存在、ひとたび使い方を間違うとえっらいことになる火なのですから、昔たぶんそうだったように、その火に対する尊敬と敬いの心を思い出すことも必要だと、お祭りを見ていて思いました。

心に火がつく・燃えるような眼差し・胸を焦がす・燃える想いなど、ひとの心を火を使って表すことがあります。火の持つアンコントロールな部分は情熱の高ぶり熱い思いを言い表したものが多いですし、それでも命の蝋燭みたいに時の流れを言い表す火もあります。
それぞれに命を火と重ね、永遠ではなくいつかは消えゆく運命を持ちながらも、どこかで大きく燃え上がる使命を持ったものと捉えて、またそうありたいと、みずからの希望の炎の存在を自覚するからこそ、そう思えるのかもしれません。

そして何よりも、あの炎を見つめている時に感じた温かな気持。
太陽の分身を身近に感じてでもいるような穏やかな心になれるのは、
これも営々と受け継がれて来たDNAが故なのか...、
火に対する敬いと感謝を、みずからの命が囁いているように感じたものでした。


---


このブログは、昨日書いたブログにコメントをいただいた摩耶さんのブログを読んで触発を受け書いたものです。 摩耶さん、火繋がりブログありがとうございます(*^^)