左衛門記【 其の初・前1958~1993 】1970
左衛門記【 其の二・前1958~1993 】1970
左衛門記【 其の参・後1994~2007 】1994
左衛門記【 其の四・前1958~1993 】1970~1971
左衛門記【 其の五・前1958~1993 】1972~1973
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この頃の記憶はあまり定かじゃないけど、もうすでに勉強のことなんかまったくと言っていいほど考えてはいなかった。進学もこの際どこでもよかった。高校へ行かないわけにはいかない程度にしか考えてなかったように思う。もうひとりのメンバーと同じなら動きやすいからと、そんな理由ではそれなりの高校しか受かるはずもなく、それでも一緒に行けることが決まって、この後3年間、晴れて人生初めてのバンド三昧をすることになる。
そして、それまでビートルズしか聴かなかったといっても過言じゃない僕の音楽観が、多くの人との出会いによって広く深く変化を見せ始めるのもこの3年間だったと思う。そして何よりも人と出会うことで、何かを吸収してどんどん変化していくことにもなる
その前にちょっと、、
みなさんは自分が小さい頃の記憶っていったいいつ頃まで遡ることが出来ますか?
小学生高学年、低学年、それとも幼稚園の記憶まで覚えているひともいるのでしょうか?
これまで書いてきた僕の伝記のようなもの、これは僕が音楽と出会うところから始まっていますが、不思議なことにこれ以前のことと言えば、まったく書けるようなことは覚えていないのです。もちろん断片的なものはありますが、その時自分が何を思ったとか、細かく書けるほど覚えているものはまったくと言っていいほどないのです。
とはいえ、断片的なもの、不思議な記憶とでも言うものを書いてみたいと思います。
それはたぶん、僕が覚えている最古の記憶、弟が生まれた時の事なので、きっと2歳8ヶ月くらいの事だと思います。あまりそういう事をひとと話した事がないのでわかりませんが、そんな歳のことって覚えているものでしょうか?
不思議な記憶です。覚えているのは、ペルシャ柄の絨毯にビー玉がころがる景色。他には一切何にも覚えてないけど、あとで訊いたところ母が弟を出産する為に病院へ行った後、初めて父子2人で遊んだらしいのです。仕事が忙しかった父は僕とどう遊べばいいのかわからなかったそうです。
そんな僕に父はもうすぐ弟か妹が出来るといって、僕は嬉しそうにしていたと語ってくれました。
もちろんそんな事はまったく覚えていなくて、覚えているのは絨毯の柄とビー玉。小さな子供の目線ですが、俯瞰図よろしく近くから遠くへ綺麗に続く柄を鮮明に覚えています。
幼稚園へ行き始めると記憶はグンと増えますが、それでもどれも断片的なものです。
家の前の水たまり。三輪車に乗ったままハマった溝の底から見た青空。
犬の糞を棒につけて追いかけてきた近所のお兄ちゃん。
幼稚園で冬にお弁当を温めるストーブの棚のついた柵。
クリスマスイヴのミサで手に持ったローソクの火が前の女の子の髪の毛を焦がした事。
おっきなやかんの注ぎ口から直接飲んでいるのを見つかって、えっらい怒られたこと。
ジャングルジムの最長部に陣取って「みんな家来だ!」と息巻いたり、キスが流行ってクラスで一番多くの女の子とキスしたと威張ってたこと。
なかでもよく覚えているのは、せがんで買ってもらったトラックのおもちゃ、道路工事現場で遊んでいて、土管の奥へ走らせてしまって見えなくなってしまった時のあの旺然とした感覚。
きっと人生で初めて「最悪や!」と思った瞬間だったような...。
もうひとつはこれも確かクリスマスイヴ。近くのビニールハウス、何を思ったか友人と棒で全部破った!
これも初めての民事事件、弁償させられたけど、あまり怒られた記憶がない。
おまけは横領事件、友人宅で見つけた5百円でみんなで買い食いした事。
あとで犯人じゃなかったとわかってもらったけど、僕も食べたのだから悪いと思って言い訳をしない僕が疑われた時の幼稚園の先生の恐い顔...。いまでもしっかり覚えている。
ここまでは幼稚園。
小学校はそれなりに楽しかった。何故か新学期、新しい教科書が嬉しかった。新しいノートも、あの「さぁこれから頑張ろう!」みたいな感じが好きだった。雨の日は決まって長靴なんかおかまいなしに水溜まりに入り、グチョグチョ音をさせながら帰った。低学年の頃、近所の友達の家で遊んでた時、帰った来た中学生のお姉さんが着替えるのをみて、その下着姿を綺麗だといたく感動したのを覚えている。
そして、なかでもひとつだけしっかり心の痛手として覚えていること、それは縁日で買ったヒヨコを落として死なせてしまった事。一晩中、いや三日三晩泣いた。
なぜ動かないの、死ぬってどういう事、死んだらどうなるのと、何処へ行くの、自分もいつか死ぬのと散々親を困らせたようだ。突然、無理矢理に、生き物、命について学んだ事件でもあった。
それはまだ、真っ黒くろすけが見えていた頃だったけど、でもこの事は友人のお姉さんの事と合せて、それ以降の僕に大きな影響を与えているように思う。
あとは、登校時の音楽がヴィヴァルディの四季だったとか、缶蹴りがお気に入りの遊びだったとか、粉ミルク以外の給食が結構好きだったことも覚えている。
川を挟んで隣の学区へ引っ越しをするまでは、サッカー少年だったこと、足が速くて今でいうフォワード、10番をつけてレフトウィングだったことも誇らしかった覚えがある。
5年生から新しい小学校へ行きこのあたりから群れなくなった。
担任の先生の真剣に怒る顔が忘れられない。よく一緒に卓球をしてくれて、上手いと褒めてくれて、なんでも真剣にすることを教えてくれたいい先生だった。
今では家が増えてみる影も無いけど、上賀茂・北山といえばそのころはまだ田舎だったので、加茂川や深泥池、田畑が拡がるいい景色の中で元気一杯遊んでいた。
なんとも駆け足な感じだけど、これが音楽に出会うまでの僕。
晴れて高校へ入学したものの、とにかく毎日の通学が苦痛だった。
いままでは歩いて15分の通学が、バスと歩きでほぼ一時間。それでも1年生はまだちゃんと行ってたと思う。遅刻が常習になるころには、特に雨の日の混んだバスの匂いが嫌で、その他でも満員だと「絶対乗れないよなぁ~」などと、笑顔で空いたバスが来るまでやり過ごすなんてことが日常に...。
入学するとまず軽音クラブを探した。この頃僕らがやっているような音楽はライトミュージック・軽音と呼ばれていて、家ではなかなか練習することも叶わないので、そういうクラブが学校にあれば活用しない手はない。
ところがクラブは休止状態、それでもなんとか顧問、先輩を捜して話しを聞くことが出来、ボックスならぬ使っていない校舎の端の空き教室を自由に使っていいとの許しを貰い、これで晴れて学校へ来る理由が出来たと思った。
これから怒濤の練習、音楽三昧な高校生活が始まるわけだが...、
そうは簡単に音楽の神様は微笑んではくれない。
--------続く。