左衛門記【 其の初・前1958~1993 】1970
左衛門記【 其の二・前1958~1993 】1970
左衛門記【 其の参・後1994~2007 】1994
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僕の家にはステレオなんて洒落た代物はなかった。
そういう音楽とは無縁な家庭環境だったので、ビートルズを聴かせてくれる友人の家にはよく行った。
ちゃんと応接間にステレオがあり、ずらっとレコードが陳んでいて、今でも覚えているのは全部英語で書かれているTIMEという雑誌。「誰が読むんやろ...」などと思いながらも、なんか自分の家庭とはまったく違う、上品さというか空気感を感じていたことは覚えがある。そんなことを思いながらも、そこにあるビートルズすべてを、何回も何回も聴かせてもらった。
面白いもので、中学1年のクラスメイトに誰がいたなどということは今では一切覚えてもいないのに、その彼の顔は今でもしっかり覚えている。その後友好を深めたかどうかも定かではないし、きっと一頻りビートルズを聴かせてもらった後はそんなに遊んでいないようにも思う。
もうひとつの音楽との出会いは、その頃流行っていたラジオの深夜放送。大好きになったビートルズ以外に、今まではただ聴いていた音楽が、乾いた地面に水が吸い込まれるように僕の心に入ってきて、まさにこのあたりから僕は音楽の虜になっていった感じだった。そして、とにかくよくギターを弾いていた。いわゆる耳コピー、何か気になるフレーズ、メロディーがあれば何回も繰り返しなぞってみた。出来ない事も沢山あったけど、うまく聴き取れて弾けたら天にも昇る感激が込み上げてきた。
この頃の思い出で、ギターを弾いて風邪を治したというのがある。風邪で学校を休んだ日、少し楽になったからとギターを弾き始めた。30分、1時間...、気がつくと汗をびっしょりかいていて、弾き終わった頃には頭痛もとれスカッと爽快な気分になっていた。こういう話しは、誰でも何かにのめり込んだ時に味わう逸話としていくつかあると思う。その後、何かにつけ結構飽きっぽい性格のわりに、いまだに音楽だけが続いていること、そしていまだにリハなどが5~6時間と長時間になっても楽しくやれていることからすると、音楽だけはやはり特別なんだと思う。それでもリハはリハ、やはり本番がいちばん楽しいのはいうまでもない。
ビートルズにのめり込んだ僕は、寝ても覚めてもビートルズのことばかり考えてた。
よく聴いてスコアを見てギターで弾いてみたり、ジョンやポールがどんなひとで何を考えていたのかなど、とにかくどんなことにも興味があった。そういうことが載っている本は何でも読み、性格にまで思いを馳せて自分と重ねてみたりしながら毎日をおくっていた。
ちょうどこの頃、13、4歳と言えば、自分がいったい何者なのかみたいなこともいつも頭の中で考えるような年頃だと思うけど、僕にとっての初めての師匠となったのがビートルズだったように思う。なかでもジョン・レノンには強く惹かれていき、いつしかジョンのように考えるみたいな感じになっていた気がする。不思議なもので、左利きをポールを見て目覚めたのだからポールが好きでもよかったようなものだけど、何故がジョン・レノンが好きだった。とにかく、ジョンに成り切っていた僕は、彼特有の自分勝手さを見習ってか、ここから強引極まりないメンバー探しを始めることになる。
当時はフォーク全盛の時代、バンドなんてやっている人も少なく、ギター以外を探すのはまずもって無理だった。いま思いだして書いていても無理矢理やん、と自分でも恥ずかしく思うけど、クラスのギターを弾いている友人を誘い、そして何をどう言ったのかは忘れてしまったけれど、その彼をベースに仕立ててしまっていた。
今考えると本当に勝手なヤツだと思う。彼がどう思っていたのかは、随分あとになって酔っぱらって僕にいろいろ絡んでいたので、きっと渋々引き受けてくれたのだと思うけど、その時はただただ前しか見てないので、もう大満足で明るい前途を喜んでいたと思う。
それでもこの友人とは、あとあと一緒にオリジナルソングを創ったりして、ジョンとポールみたく大いに音楽三昧に励んだ仲となったわけだが...、
ここからが難題、バンド作りはそうは簡単には進まなかった。
ベースギターになってくれた彼と共に、いろんな人とセッションを繰り返しながら、多くの時間を過ごし、やはりビートルズばかりを聴きながら限りない夢を語り合う毎日。それでもどうしても見当たらないメンバーがドラムだった。ギターならまだしも、バンドをやっている人がいない時代にドラムをやっているひとがいる筈がなかったのだ。
そんなある日の朝礼で、僕はブラスバンドで小太鼓を叩いているヤツから目が離せなかった。
「彼しかいない!」放課後、ベースの彼と一緒に校舎の端の3階にあるブラスバンドの部室へ向う階段を、既に嬉しくて勇躍小躍りしながら駆け上がっている自分をいまでもしっかり覚えている。
果たして彼は笑顔で受けてくれた。
バンドをしたいという思いを真剣に伝えたんだと思う。
1年下の彼は何を感じてくれたのか、これも訊き忘れたことだけど、この後バンドが解散するまで一緒に夢を楽しんだ素晴らしい出会いとなったことだけは確かな、ちょっと無理矢理な良き日となった。
その後、ドラムの彼の友人のギターが参加し、中学2年の夏頃。
晴れて「ストロベリーズ」という思春期すべてを注ぎ込むことになるバンドは立ち上がった。
---続く。