暑い夏、ちょっと一服しながら笑顔でいきましょう | 風の音が心に響いて...

風の音が心に響いて...

日々心地よくありたいと願う気持を込めて..、
感じたままを書き綴ってみました

猫ひとり
ちょっと一服、これってこの先タバコを吸う人がいなくなたら、やっぱり死語になってしまうんでしょうかね(*^^)なんてこと、思いつきついででブログ書いてます。

日本には四季があって、ひとの心模様さながら、明るかったり暗かったり、キツい気分な時も優しい気分な時も、それぞれに季節に重ねたり出来て、まるで自然の巡りに癒されながら過ごしているんだと思います。

ただ、楽しいといっても、ひとが生きていてなんの苦労もなかったら、きっと楽しい、幸せだって感情もあまり湧いて来ないものかもしれません。
気分がすっきりしなかったり、嫌なことがあってどうでもよくなったり、人によって違いはあってもそれぞれに苦手がありますよね。その苦手をどう克服し、困難を乗り越えていくかってことが生きるということだと思いますし、頑張るということではないでしょうか。

仏教で生老病死という、人生に於いて人が避けて通れない困難を表した言葉があります。老いるというのは、まさに避けては通れないものです。病気になるのも同じように、どんな健康なひとでも一回も病まないなんてことはありませんよね。そしてどちらも死の気配を恐れ、出来得れば回避したいと苦悩するものです。

それでは生はどうでしょう。僕はこれこそが、ひとが人としてそれぞれをどう生かす、生かせばいいのかを、人生のあいだ中苦悩する、最も長くまた大きな難関なのだと思います。
それでも、仏教はただ生きる困難を説いた教えではなくて、まさに人の心を読み解いたもの、生きる喜びを説いたものですから、先に書いたように、苦労に立ち向かい頑張ることこそ幸せへ続くと教えてくれているのかも知れません。

誰でも楽に生きたいと思っているかも知れませんが、それは、苦を知っているからこそそういうふうに言うんだと思います。よく人生を山登りに例えることがありますが、もし楽に頂上へ行けるとしたら幸せでしょうか?まぁ山じゃなくても平坦な道でも、楽にいきなりゴールへ着いたとしたら.....。なんか生まれて死んでみたいな変な人生になりますよね。

そんな頑張ると言う言葉、最近ちょっと使いにくくなっている気がします。
いったい何の為に、誰の為にということや、また報われないかも知れないという、人と社会、人とひと、その人の心の希薄さが、頑張る心をへし折ってしまう...、
そんなおかしな感じになっているようにも思えます。

本当は人を想う念いが込められた言葉、そして言っている人自身の為の言葉でもあるのに、真面目が故に、応えようとしてしまうからかもしれません。決して誰の為でもなく、自分自身の為、それを要らぬプレッシャーにしたり、身構えて動けなくなったり....。

ひとそれぞれ登る山の高さが違うように、ひとの頑張りもそうだと思います。
誰かと一緒でなくてもいいし、ゆっくりでものんびりでも、途中で休んだっていいし、道を間違えたら戻れば良いし、なんだったら始めからやり直したっていい筈。その人だけが得心する方法で歩き、登っていけばいいもの、それがそのひとの頑張り、人生なんだと思います。

僕は笑顔が大好きです。
出来ればいつも、どんな時でも笑顔だけは忘れたくないし、
笑顔でね!とみんなにもそうあってほしいと願っています。

その笑顔は、それぞれの、「頑張ったよ!」っていう合図でもあるのですから。