自分のことを書き始めてみて、あまり振り返ることがなかった自分に対して、これほどすらすら書けるなんて思ってもみなかったけど、このまま順をおって書いていくというのは、飽きっぽい性格と、もしこれを読む側だったらと想像してみてちょっとキツい気がした。それじゃぁいろいろ取り混ぜて書いてみればと思い立ったので、ひとつ、人生を大きく分つ出来事あたりからも書いてみようと思う。
左衛門記【 其の初 】1970
左衛門記【 其の二 】1970
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普通で言えば結婚あたりなんだろうけど、僕の場合、離婚が人生にとって大きな転機になったようにも思う。無責任の極み、どんな理由があるにせよ、離婚は僕がしでかした人生最大の悪事でもあった。
もちろんそれを凌駕する出来事があってのことだが、その時はただ前へ進むしかないと自分勝手に理屈をつけて、周りの人に散々迷惑をかけた。
そして僕が思う最大の懺悔、それはそれでも救えなかったひとがいたこと。
自分の不甲斐なさから、それだけの大迷惑をふりまいてまで踏み切った筈なのに、それでもあるひとを幸せに出来なかったことである。
この事は、子供の事と合せて、いまでも僕の心に、心の奥深くに仕舞ったまま...。
このことを考えると僕の心はフリーズする。
とにかく、34にして僕はまた独りになった。
朝起きて仕事へ行き、夕方にちゃんと家に帰って子供を風呂にいれる。
休みの日には家族、ファミリー皆で行動し和気あいあいと楽しかった生活から、何でも自由に出来る、すべての時間を自分のために使える生活になった。
自分でもよく分からないほど、その欠落感は大きかった。
まるで、風船に入った水が、風船が割れてもまだその丸いまま姿を残そうと頑張っているみたいな感覚。
たまに、「お前は自由なんだぞ」と自分に言い聞かせてみても、それでも暫くはそんな不思議な束縛感から逃れられなかった。
人にはそれぞれにいろんな恋愛観があると思う。ひとを好きになることは人生さえも決定してしまう大きなことだと思うし、その心の有り様と変化は人生を歩んでいく原動力にもなり得るものだと思う。
ここでもそれはまったく大きく作用していたし、連動もしていたのだけれど、このことはまた機会があれば....、書けるのなら書いてみたいと思う。
あくまで自分のことを中心に話しを進めたいと思う。
アパートに独りで暮らす僕を癒してくれたのは金魚だった。
1年ほど前から友人と金魚で盛り上がっていた僕は、大きな水槽にランチュウを飼っていた。
今までは嫌いな部類の生き物だったランチュウがいざ飼ってみると可愛くなり、アクアリウムさながら緑茂る大きな水槽でゆったり泳ぐランチュウを見ていると....、独りの夜にも心が和んだ。
ちなみに、この頃はまだPCもなく、バンド活動は年に2回ほどライブをする程度。
リハもライブが近づくと週一くらいにはなっても、普段はというか、今までは家庭があった訳だからいきなり時間が出来てもすることがないといった状況だった。
そんなライブバンドも、ほどなく出来なくなる事態を迎え、
僕の人生にとって大きな変化の時がやって来ることとなる。
-------続く