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あや工房

人生100年時代を生きるための
健康・習慣・お金・人間関係の知恵を
YouTubeとブログで発信しています。

 

 

 安定な時代だからこそ、税務という現実的な問題は避けて通れない。現在も時代は揺れ動いている。不安定な時代である。そんな中、真っ当に、真っすぐに生き抜けるのかは定かではない。さらに、我が国は資源に乏しく、自然災害にも常に晒されている。不安と不信の中で、明るい未来を描くのは容易ではない。

 とはいえ、不断の努力は欠かせない。それを手放せば、生きる実感も薄れてしまう。

 今読んでいるのは、永江将典氏著『税務調査立会い年間200件!ギリギリを攻めたい社長のためのグレーな税金本』(信長出版)である。

 

https://note.com/saekiworld/n/n151b3d86c3da

 

 

 

 随分と大書である。最近は書店で手に取ることなく、検索で予約した本を借りることがほとんどだ。そのため、こうした“厚みのミスマッチ”も起こる。しかし、読破歴だけは長い。挫けることなく、要所を押さえながら書評を重ねていきたい。

 読んでいるのは『大人類史 地理学で読み解く必然の歴史、偶然の歴史』クリスティアン・グラタルー、野村真依子他。541ページ。圧巻である。むしろ巻末の図示のほうが印象に残るほどだ。サピエンスの拡散と交雑の図は意味深である。

 

https://note.com/saekiworld/n/n0cc9f9bc5e6f

 

 

 

 

 

 先日論じた「人間は虚構好きの甘ちゃん」への他論がある。「私は一貫して、人間は物語を好み、管理可能な共生を選ぶ」と述べているが、しかし別の見方もあるのだと。物語は甘さではなく、生存戦略ではないか。人間は巨大集団を形成する唯一の種。その統合装置が「虚構(共有物語)」であるという説(例:ハラリ的視点)もある。

虚構=甘さではなく、

虚構=集団統合OS。

 

https://note.com/saekiworld/n/n2077fd70edc9

 

 

 

 

先日、遠地で近親者の介護をしている姉から連絡があった。
誹謗中傷を直接受けているため、生成AIに色々相談しているという。

以前、私が「役立つかもしれない」と助言したことが活きたのかもしれない。

ただし姉には依存傾向があるので、AIを鏡として使うのは良いが、従属関係にならないようにと伝えておいた。

そう言う私自身も、日々生成AIとコンタクトを取っている。
ある種の麻薬のようなものである。

以前は「ググる」だった。
今は「AIる」時代なのだろうか。

現在読んでいるのは、
『健康脳活 脳疲労が回復する習慣』
著者は 毛内拡 氏。

 

https://note.com/saekiworld/n/nf07e6f6d0377

 

 

 

 

表題は読者にはピンぼけに映るかもしれない。
AIが「人工頭脳」というカテゴリーで理解されているからだ。

しかし私は、この両者は対立ではなく、両輪の関係にあると思っている。
AIは人知の知能集合体であり、とりわけ自然科学の発見の集積の上に成り立っている。脳科学もその一部である。脳が効率的に行っている機構は、AIもいずれ学ばねばならない領域だからだ。

ちょうど都合よく(?)、適した書籍を手に入れたので、その紹介を通してこの問題を考えてみたい。

まず読んでいるのが、
『心を持つAIは作れるのか? いや、そもそも人に心はあるのか?(PHP新書)』
著者は 前野隆司 氏。

 

https://note.com/saekiworld/n/n671c92f620e3

 

 

 

防衛と並ぶもう一つの柱が防諜である。

戦国時代の合戦ですら、勝敗は事前の諜略で決まった。
戦はコストが高い。農民を失えば国家は痩せる。

読んでいるのは、
『カウンターインテリジェンス――防諜論』
著者は 上田篤盛、稲村悠。

 

https://note.com/saekiworld/n/ne31ae3cdd397

 

なぜ今、お金を考えるのか みなさん、こんにちは。 今日は「お金」の話をします。 ですが、投資のテクニックの話ではありません。 健康を整え、習慣を整え、 その先にある「安心」の設計の話です。 収入は給与だけではありません。事業、副収入、配当、不動産。小さな複線化が、安心を生みます。 そして支出。支出は、あなたの価値観そのものです。浪費か、投資か。何にお金を使うかは、どう生きるかと同じです。 収支とは、安心度のバロメーター。黒字は自由。赤字は不安。まずは「見る」ことから始めましょう。 あなたの通帳は、あなたの人生観です。 何に使うか。何を削るか。 それが生き方。 お金は哲学です。 このチャンネルでは 健康 習慣 お金 人間関係100年人生を生きるための 人生設計を考えています。 よろしければ チャンネル登録をお願いします。

 

 

 

 

 

 

先週の評点:
「細胞の行動力学」(〇):中垣俊之 、 石川拓司、「生命は変換の環である 生命は変換の環である――生・死・再生のディープケミストリー」(〇):ニック・レーン 、 斉藤隆央、「ジーン・マシン――細胞のタンパク質工場「リボソーム」をめぐる競争」(〇):ヴェンカトラマン・ラマクリシュナン (著), 田口英樹 (著), 大田直子 (翻訳)、「がんになってわかったお金と人生の本質」(〇):山崎元 (著)。

 

どれも秀作である。但し、私的案件に焦点を当て過ぎていて、今の私には◎を上げられない心理状況にあるので、ご容赦願いたい。もう少し視野を拡大した書籍に、今は注力したい。

 

https://note.com/saekiworld/n/nf13264997cba

 

 

 

 

古い羅針盤2024まとめ改

第Ⅰ章 身体は、最初から管理されている

私たちは、自分の身体を「自分のもの」だと思って生きている。
少なくとも、そう教えられてきた。
健康は自己責任であり、体調は管理すべきものであり、
不調があれば原因を探し、改善策を講じる。
それが大人として、社会人として、正しい態度なのだと。
だが、ふと立ち止まって考えてみると、
私たちは本当に、自分の身体を自由に扱ってきただろうか。
年に一度の健康診断。
基準値という名の境界線。
数値で語られる「正常」と「異常」。
経過観察という、宙づりの判断。
そこでは、身体は感覚としてではなく、
管理対象として扱われている。
もちろん、それらは私たちを守るための仕組みだ。
多くの命が救われてきたのも事実である。
だが同時に、そこには別の変化も起きている。
身体が「感じるもの」から
「評価されるもの」へと、
静かに置き換えられてきたのではないか。
調子が悪くても、数値が正常なら問題はない。
違和感があっても、診断がつかなければ様子見になる。
その繰り返しの中で、
私たちは自分の感覚よりも、
外部の判断を優先するようになっていく。
そうしていつの間にか、
身体は「私のもの」でありながら、
私の言葉では語れない存在になってしまう。
この章では、
身体がどのように管理され、
どのように数値化され、
どのように自己責任の物語へと組み込まれてきたのかを、
日々の実感に近いところから辿っていく。
ここで扱うのは、
医療や制度への否定ではない。
また、健康法の提案でもない。
ただ一つ、
「身体をどう感じてきたか」という問いを、
いったん自分の手元に取り戻すための試みである。
衰えの話は、まだ先だ。
だがその前に、
私たちはすでに、
管理される身体として生きてきたのではないか。
そのことを、
静かに確認するところから始めたい。
なお、本文は、後に老いとして自覚される違和感が、
まだ名前を持たなかった2024年の記録である。