いいやま七福神めぐり④ | ~日常ブログ~

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『常福寺』
天正19(1591)年、當白和尚の開基で、願主は越後国村上の常福寺となったそうです。
当時の飯山藩主の佐久間備前守が、城下町経営のために市内小境から寺領を与えて移転したといわれており、飯山藩主の信仰の厚さがうかがえます。

常福寺は坐禅堂があり、毎朝5時朝課諷経(ちょうかふぎん)、6時暁天坐禅(ぎょうてんざぜん)が行われており、だれでも参加できるそうです。

境内にある福寿稲荷社は火伏せ稲荷、失せ物が見つかる稲荷として信仰されているとの事です。




七福神では『大黒天 』(福徳富貴)が祀られています。

大黒天は、もとインドの忿怒の魔神で「マハーカーラ」と言われシヴァ神の一化身であるとされているそうです。
日本の大黒天信仰は密教が伝えられた平安時代の頃からで、中世以降は神仏習合思想の影響を強く受けたとの事。
大黒天の頭巾を冠り、袋を背負い、小槌を持ち、俵を踏む形相が、日本古来の神である大国主命の、その袋を背負った形と近似しており、また大黒と大国と音が近いところから同一視されるようになり、"三寶(佛・法・僧)を守護し、飲食を豊穣にして福徳を与える神"として尊崇されたそうです。
室町時代になると福の神とみなされ、さらに吉祥を招く七福神の一神となり信仰を集めるようになりました。曹洞宗寺院に於いて庫裡の出入口、典座寮(台所)の側に韋駄天と共に安置され、毎朝大黒尊天神咒を二十一遍唱えながら三拝しているそうです。



参道から山門までの間に、石で造られた『大黒天』と、大きないちょうの木が迎えてくれます。



稲荷社でしょうか?
雪の為、近づけませんでした。

チャイムを鳴らしましたが、はやり不在であり『大黒天』を見る事が出来ませんでした...残念...(;つД`)


『常福寺』から歩いて約10分。





『忠恩寺』に着きました。
歴代飯山城主の菩提所となっているそうで、城主松平家ならびに本多家の墓所があるとの事。
慶長6(1601)年に関長門守が長野の長沼より飯山へ移った際に、この寺も一緒に移ったとされています。

黒本尊は本多廣孝が徳川家康公から拝領したものとされ、護国殿に安置されている秘仏で、毎年8月15日のみ公開されているそうです。
本堂外陣の竜の天井絵は、どの位置から眺めてもその人の方を見ているので八方にらみの絵といわれているとの事。
また、竜は水を呼ぶということから、建物を火災から守るとも信じられているそうです。
宝物の黒本尊阿弥陀如来像は、徳川家より拝領したものです。

梵鐘は、NHK除夜の鐘で昭和56年と平成2年の2回、北隣の称念寺の鐘と共に全国放映されたそうです。
1台のカメラで2ヵ寺の鐘が入るのは、全国でもここだけと言われている。




いいやま七福神では『布袋尊 』(清廉度量)が祀られています。
中国梁の頃の禅僧で布袋和尚と言い、また弥勒の化身とも言われていそうです。
大きな袋をかついで諸国を巡り、吉凶を予知して歩いたと言われています。
宝の入った大きな袋を背負い、人々に金銀財宝を与える福徳の神として信仰され、福徳円満の相を備えていることから宋画の好題材とされ描かれているとの事です。

かつて『布袋尊』は斑尾高原ホテルに祀られていましたが、2007年から『忠恩寺』に移動されたそうです。


七福神の看板、一番好きだなぁ~(^^)
いいキャラ出してます(*^^*)



『布袋尊』の横には、浦野昭男氏が製作したという、五重の塔が置かれていました。



七福神が祀られている所から真逆側に御籠が置かれていました。



説明書きが見当たらず...。
もしかしたら、雪の中に埋もれているのかもしれません...。