いいやま七福神めぐり② | ~日常ブログ~

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『英岩寺』から歩いて約10分弱。


『飯笠山神社』へ。
案内板には、徒歩3分とあったのですが、多分、遊歩道を使えばということだったのでしょうか。
意外と遠くに感じました。
まぁ、使用者に似たのか、スマホが迷子になったのも、時間がかかった理由でしょうか。
(使用者、方向音痴ですので(^^;A)



階段を登って行きます。



参道にも少し雪が残っていました。




『飯笠山神社』
飯笠山神社の創建は室町時代の応永年間、泉小次郎親衡が飯加左山に飯山城を築いた際、城内に宇佐八幡宮(福岡県宇佐市)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられているそうです。(泉氏は清和源氏の遠縁)。
その後、飯山城が上杉謙信の対武田家戦略的拠点となり、城が大改修された天正7年に現在地に遷座され、諏訪神と飯綱神の分霊が勧請合祀されたとの事。
境内地が飯山城から北にあたる為、飯山城の北方鎮護の守護神として上杉謙信始め歴代飯山城主、飯山藩主に崇敬され社領の寄進や社殿の改築改修など庇護され飯山の総鎮守として広く信仰されたそうです。

現在の本殿は正保3年に飯山藩主佐久間安政が再建したもので三間社流造。江戸時代初期の神社本殿建築として貴重なものなんだそうです。
又、社号である「飯笠山神社」が地名の「飯山」の由来になったという説があり、飯山市民とも繋がりが深い神社とされているとの事です。




いいやま七福神では、『恵比寿大神』( 愛敬富財)が祀られています。
(いいやま七福神では唯一の神社。)

恵比寿大神は、大国主神の御子で事代主神とも言われており、笑顔で漁業に取り組んでいる姿から、全ての職業に於いて"懸命に従事する事により利得を得よ"と諭されているそうです。
後代より商売繁盛の神様として大黒天と共に庶民に親しまれ、特に江戸時代より商人(農民・漁民)の守護神としてえびす講祭が始まりました。



御神木?
雪の為、近付けず確認出来ませんでした...。



境内、様々な建物がある感じですが、雪の為、廻れず...。
散策してみたかったです(;つД`)

観光案内所で在宅が確認していただいた際、お留守だった2ヶ所の内の1ヶ所。
念の為、社務所へ行きましたが...。
やはりお留守でした(ノ_<。)

諦めて、次の場所へ行くことに。


『飯笠山神社』から歩いて約15分。






ゆ、雪がスゴい...(((((゜゜;)

『大聖寺』
飯山城主堀、佐久間両氏の菩提寺。
木曽義仲の臣、今井兼平の子孫が創立したそうです。
多くの被害を与えた善光寺地震の供養地蔵が安直されていたり、明治初年、山岡鉄舟が正受庵再興のために訪れ滞在した時の、雄渾な筆跡が残っています。

また精進料理を食べる事が出来るそうです。





いいやま七福神では『毘沙門天』(勇気授福)が祀られています。
四天王の一人、北方守護神の多聞天だそうです。四天王は、古代インドの神であり、日本では仏教の守護神として信仰されているとの事。
多聞天は夜叉や羅刹を従えた神将で、富の武神とされ、日本に於いても同様の信仰を持つようになり、四天王とは別に単独で信仰される時に毘沙門天と呼ばれているんだそうです。
近世になり財産の神として福神に入れられています。




『黄金石地蔵尊』
こちらが、善光寺地震の供養として、安置されたお地蔵さまです。

たまたま訪れた日は、東日本大震災が発生した日でしたので、考え深いものがありました。
また、信州人としては、次の日に発生し、特に栄村に大きな被害をもたらした【長野県北部地震】(飯山でも大変大きな揺れを観測しました。私が住む上田市でも揺れを感じ、まだ朝早い時間でしたので飛び起きて慌ててテレビを点け地震情報を確認したのを今でも覚えています。この日、静岡の方でも地震がおり、日本中、揺れを観測されていたのを忘れる事が出来ません。)や、 2014年11月22日に発生し、特に大町市に大きな被害をもたらした【長野県神城断層地震】も忘れてはいけないと改めて思いました。
もちろん、阪神・淡路大地震、 北海道南西沖地震、新潟中越地震、熊本地震なども。