小林秀雄 三島由紀夫 対談『美のかたち』 | さむたいむ2

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今日も元気で

世間は田村正和の死と新垣結衣の結婚という慶弔合わせた騒ぎで溢れています。

こんな時に小林秀雄と三島由紀夫の対談『美のかたち』についてブログを書こうとしている私です。

前回Eテレの「100分de名著」を扱い、もう少し『金閣寺』を考えようとこの対談を思い出しました。

 

この対談は昭和32年雑誌「文芸」1月号に掲載されました。前年10月に刊行された『金閣寺』についてふたりの対談は双方の読者に注目されたものと思われます。またタイミングよくこの頃、昭和25年に青年僧によって放火された金閣(舎利殿)の再建が完了しました。

 

小林 久しぶりで読んだな。小説を、ずいぶん読まなかった。

三島 小説ってもの、まだあるのか、なんてね。(笑)

小林 やっぱり、あれ(『金閣寺』のこと)は毀誉褒貶こもごも至るというやつだろうな。

三島 ・・・・・(笑う)

小林 何か、批評ってことを、しなきゃいけないんですか。雑談でいいんでしょ?まあ、そういうふうなの   んきなことにしてもらいましょう。

 

一見なごやかな語り口ですが小林は対談での批評を避けているように思われます。それは小林自身ドストエフスキー以降文芸批評を辞め、興味は音楽、絵画の方へと移行していたのです。しかし三島の方は『金閣寺』を題材として小林の話を期待していたのではないか。どこか拍子ぬけした気分が笑いのなかに現れています。

 

気を取り直した三島は小林が京都旅行のおり、金閣寺を訪ねたどうか問うています。小林は行こうと思ったのだが、同行の友人と話し込んで時間がなくなって行けなかったと告げています。なかなか話が嚙み合いません。それでも三島は京都の人が新しい金ぴかの金閣を恥ずかしがっていると話を繋ぎます。小林は「あれ、本金かね」「誰から聞いたんだがな、二千万円で出来たんだって」とようやく乗ってきました。

 

「三島君のは動機小説だからね」とし、「あれは小説というよりはむしろ抒情詩だな」と『金閣寺』の全体を評しています。そしてドストエフスキーの『罪と罰』と対比させ、小説にするには焼いてからのことから書かなければ小説にはならないといいます。ラスコルニコフには動機らしい動機は書かれていなく「やっちゃってからの小説」で、三島のは「やるまでの小説」というのです。動機だけで作りあげた三島に「むつかしかったでしょう」いい、しかし「抒情的には非常に美しい所が出て来る」と認めています。

 

三島はすかさず「あの小説は、小林さんのを盗んだ所があるんです」といい、「美というものは人が思うほど美しいものじゃない、決して美しいものでも何でもない」ということを作品のなかに取り入れていると『金閣寺』は小林の影響を受けていると表明します。これに対し「君のラスコルニコフは、大変な審美家だね」と言います。

 

審美家?これは皮肉でしょうか。小林は「美の仕事に熱中している人達は、この言葉(美)をいやがる様になるのです。セザンヌなんか決して使ってない、美という言葉の代りにアンタンジテ、強さっていう言葉を使う。美しさとか美って言うのがいやなんだ」と芸術家は「美」に対して慎重になっている。

 

すると三島は「ラスコルニコフは社会主義的犯罪だ、という説があるんじゃないですか」と問います。

そして小林から「あの人の中には、美の問題は全然ない」という言葉を引き出しました。

 

小林は『金閣寺』は小説ではなく、抒情詩として美しいと認めてくれたけれど、三島のなかではこの作品は「美の問題」として書いたのではないという自負があったのです。

 

まだこの対談は全体の3分の1ほどです。『金閣寺』に対する世間の評価が「美の問題」に捉われていることに三島は小林に伝えたかったのではないか。それに対して小林は三島に「本当に君は才能の魔だね。墜ちてもいいんだ。ひるんだらダメですよ」「才能のために身を誤ったら、本望じゃないか」と嗾けています。何か三島の将来を見据えた言葉です。

 

私はここに文学者の覚悟を見ます。小林だって「墜ちてもいい、ひるんじゃダメだ」と肝に銘じている。

若い日、早逝した富永太郎や中原中也に対してもこうした眼で見ていたに違いなく、三島由紀夫にもおざなりでなく厳しい注文をつけたのでしょう。