NHK・Eテレ「100分de名著 三島由紀夫 金閣寺」を観る | さむたいむ2

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今日も元気で

 

今月のEテレ「100分de名著」は三島由紀夫の『金閣寺』です。

 

過去に2019年3月の「夏目漱石スペシャル」を観ました。

漱石の『三四郎』『夢十夜』『道草』『明暗』を取り上げていました。

この番組を視聴した方ならおわかりかと思いますが、伊集院光と安倍みちこ(NHKアナウンサー)が司会で解説はその都度違います。この回は東大教授の阿部正彦氏を招いています。

 

今回は「金閣寺」ひとつを4週に渡り扱い、解説として作家の平野啓一郎氏を招いています。

平野氏は現在「三島由紀夫論」を雑誌「新潮」で連載しています。過去に多くの人が「三島論」に挑戦しています。古くは磯田光一の『殉教の美学』に始まり、佐伯彰一『評伝 三島由紀夫』、村松剛『三島由紀夫の世界』、ドナルド・キーン、徳岡孝夫共著『悼友紀行』があり、後続の「三島論」は後を絶ちません。それは三島の文学が多岐に渡り、およそ一冊では語り得ない為で、各氏それぞれの得意な範囲で試みるしかなく、『金閣寺』ひとつとっても酒井順子の『金閣寺の燃やし方』、最近では内海健の『金閣を焼かければならぬ』などがよく練られた「三島論」となっています。

 

果して平野氏の「三島論」は連載中ということでまだ私は読んでいないのですが、この番組を見る限り氏は分かり易く解説しています。それに引き換え、司会の伊集院氏の発言が私には理解できないものでした。読書家の彼はいままで『金閣寺』を避けて来たといいます。それは三島の作品を避けていたという意味でしょうか。今回初めて手にとってみたのでしょうか。私には彼が到底熟読したとは思えないのです。なぜなら解説の平野氏に対し質問する姿勢が見られないのです。

 

質問するというよりも自分の考えを押し付けてきます。現在「三島論」を展開している作家に対しての敬意が感じられないのです。もし伊集院が自分の考えを強調するだけなら解説者など呼ばずに、安部アナウンサー相手に自論を述べればいいのです。平野氏の解説がわかり易いからかもしれません。しかし司会者が自論を述べるだけなら誰もこの番組を見ないでしょう。

 

これは私の邪推かもしれませんが、伊集院氏は作られた台本を語っているに違いありません。いままであえて避けて来た本ならもっと読み解く時間が必要です。短時間で自説を語るには『金閣寺』は難解です。いままで多くの作家、批評家が苦労して読み解いていた作品です。あれだけ堂々と語られるのは若き文学青年の奢りをみるようです。その「奢り」が無知からくるものか氏の資質かは今後の彼の芸能活動から炙り出されてくるでしょう。

 

あと1週あります。どう締め括るか見ものです。