映画『陽のあたる坂道』 | さむたいむ2

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今日も元気で

映画『陽のあたる坂道』のDVDを観ました。もちろん石原裕次郎のです。

 

原作は石坂洋次郎。読売新聞に1957年12月から58年10月と連載されたといいます。

映画公開は1958年4月15日ということは連載途中で映画化されたのでしょうか。

第9回ブルーリボン賞監督賞(田坂具隆)を受賞しています。

  

田代家の家庭教師として倉本たか子(北原三枝)が訪ねます。

広大な田代家の門を入るとグレートデンを連れたがっちりした体躯の青年と出会います。彼が田代家の次男信次(石原裕次郎)で、不躾な態度でたか子に話しかけます。「押し売りだったら裏口」とからかいます。たか子は「私、高校生のお嬢さんの家庭教師の応募でお伺いしました」と真面目に答えます。

信次はからかっているのですが初めて会ったたか子のは通じません。このふたりの掛け合いはたか子が信次の性格を呑み込むまでは噛みあうことはありません。そこに2階の窓から開襟シャツを着た青年が声を掛けます。信次の兄雄吉(小高雄二)です。雄吉は妹の家庭教師が来ることを既に知っています。「いま下りていきますからお待ちください」

 

たか子を取り巻く正反対の兄弟がこの物語のひとつの軸となっています。また高校生の妹くみ子(芦川いづみ)は引きずる足を隠しません。屈託ない明るい性格です。長男の雄吉よりも次男の信次に懐いています。この兄弟妹の関係も物語の重要な基軸となっています。実はこの兄弟妹、信次だけは腹違いなのです。父が芸者に産ませた子供で母がわが子と引き取ったのです。分け隔てなく育てたというのが母親の矜持です。それはまた夫に対しての意地でもありました。

 

信次はこの今にも壊れそうな家族を繋ぎとめる大事なピースでした。そしてたか子は、くみ子の足が子供の頃の兄弟妹の間で起きた事件に起因していることを知ります。家族はそうしたことすべて知りながら全く何事もないようなそぶりで生活しています。なに不自由ない裕福な家族にもこうした秘密があります。いささか作り過ぎのきらいがありますが、たか子は紳士的な優しい雄吉よりも不躾で乱暴な信次に魅かれていきます。それはくみ子の様子からも分かるのです。

 

さらにもう一つたか子が関わる問題があります。彼女の居るアパートの住人の高木母子です。料理屋の中居をしている母とジャズシンガー民夫(川地民夫)。民夫は「おねえちゃん」とたか子を慕っています。民夫の母もたか子の世話を焼いてくれます。そしてたか子は民夫の母が昔芸者をしていたことを知り、信次の実の母親でないかと気づきます。

 

この絡みつく血縁。信次は名乗らず民夫に母に会いに行きます。民夫は信次に対して反発を感じます。貧しかった母子家庭に育ち、腹違いの兄は何不自由ない生活をしていたことに腹が立ちます。

母は貧しくとも母子寄り添って生きてこられた民夫に対し、信次には何もしてこられなかった不憫さを「信次さん」と呼ぶしかない辛さ。親子の情です。

 

こうした血縁と親子の情をテーマとした映画ですが、壊れかけてる田代家は血の繋がりの代わりに、母と信次の間にある複雑な思い。信次と母とのすべて隠さず話した結果、了解点が見えてきます。それがこの映画の見所です。血の繋がりのないことから起こる譲れないものを互いに認める。それは「赦し」ではなく「認識」ではないでしょうか。また父親は違っても信次と民夫の関係。それは同じ母の胎から生まれた兄弟という血筋は否定することはできません。

 

石坂洋次郎は信次を裕次郎に似せて書いたのでしょうか。それとも田坂監督の演出の巧さでしょうか。日活は1967年に信次役を渡哲也、たか子役を十朱幸代で撮り直しています。また1975年には東宝が信次役を三浦友和、たか子役を檀ふみで撮っています。ただどう考えても石原裕次郎と北原三枝コンビには敵うまい。