「東京五輪」と「女性蔑視」 | さむたいむ2

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前オリンピック組織委員長森喜朗氏の「女性蔑視発言」に端を発し、盛んに女性を意識した報道がなされています。「男女同権」は言うまでもありません。

しかしあの発言が女性を蔑視したものであったかどうか?

評議会で女性の委員に喋らせると会議が長くなる、といった事。たぶんご本人は冗談のつもりで話したのでしょう。氏の発言に笑ったものが幾人かいたようです。もしあれが冗談なら会は談笑のうちに進行したでしょう。しかし森氏の発言を冗談とはとれぬ人が多くいたため問題となったのです。

 

報道でもいち早く「女性蔑視」と騒ぎたてました。

会議を長引かせる要因は女性が競って意見をいうからではないはずです。その議題が纏まらないのは発言を競っているからではなく、納得できない人が多い問題だったからでしょう。森氏は自分の体験からではなく、そういった事を人伝に聞いたと語っていました。そもそも伝聞として話をしたことに間違いがあります。日頃問題発言の多い森氏です。「失言」なんてものではありません。数多くの「失言録」があるくらいです。森氏の発言を「失言」として看過した結果がこれです。

 

さらに氏の発言は否定されるべきだという半面、森氏の功績は認めよういう者もいます。

さて森氏の功績とは何か?

 

元首相ということでその発言力は強く、財界にも顔が効くという。そのためスポーツのためのスポンサーを呼び寄せる力があったそうです。日本でのラクビー・ワールドカップ開催に尽力したことが、東京オリンピック招聘の立役者とまでいわれています。でもこれが森氏の功績といえるでしょうか。

オリンピック招聘のための費用がどれだけかかったか公表されていません。IOCを動かすために巨額の費用がかかっているのではないか。森氏ひとりの尽力で動いたならば評価できますが、オリンピックは世界的な興行です。収支が見合うから動いたのです。観客を内外から呼ぶことができて、興行収益が充分あるから踏み切ったのでしょう。それは森氏ひとりの貢献ではなく数多くの人のと国民の税金が使われたのです。

 

森氏の発言が「失言」ではなく「問題発言」であることを私は言いたいのです。森氏は過去の自分の権力を未だに持ち続けていると誤解しています。それは周囲がそうさせたためで、森氏の「問題発言」を批判しながらも利用しようとした人が多くいたからでしょう。「必要悪」とまでは言わぬまでも森氏を利用した後継者が多くいました。だからこそ「東京五輪」を招聘することができたのではないでしょうか。

 

安倍元首相もそのひとりです。スーパーマリオの衣裳を着てまでの「東京五輪」を強調したかったのです。あれは茶番です。また安倍氏は閣僚に女性登用を公言したひとでした。しかし彼女たちは活躍できたといえるでしょうか。適材適所といいながら国会での答弁は危ういものでした。もちろん女性だからでなく適応できなかったのは、その荷が重かったらです。政治の世界がまだ男社会のためです。女性の意見を通さないものがまだあるのです。言えば五月蠅がれます、蓮舫さんのように「出る杭は打たれる」のです。それは男も女も関係ありませんが、未だ男社会では女性の意見は封じられます。

 

ただ森発言は意外なほど効果がありました。女性に対して社会が再認識する機会を与えました。しかし問題は日本人の見栄です。海外からどう見られているか?といった疑心暗鬼です。「オリンピック憲章」に書かれていることを大会委員長が知らずにいたこと。これも恥です。欧米に比べ女性の地位向上が遅れているという。だからこそ急遽、大会委員の女性を増やしました。男女の比率を考え女性を増やしたのです。そして委員長には橋本聖子氏を起用しました。これを皮切りに、最高裁の判事にまで女性比率を上げたのです。企業によっては新入社員の女性比率に手を加えたところもあります。ただそれはあくまで数字合わせに過ぎません。これを恥の上塗りというです。

 

いま「生理用ナプキン」がいかに高いかが注目されています。コロナ不況によりナプキンも買えない女性がいるという。女性の大変さを知ろうという動きです。ワイドショーで芸人が「ナプキンも紙オムツと同じように考えるべきだ」と見当外れを言っていました。紙オムツだって決して安くない。ただ生理と赤ちゃんの排泄物を同じにみていることに疑問をもちます。昔は「不浄のもの」と生理は考えられていました。そのため女性は下に見られていたのです。今どきこんなことを云うものはいません。

 

世の中が女性への認識を新たにすることは大事です。しかしただ形だけであってはいけません。

フェミニズムとかジェンダーとか言葉だけは横行していますが、その意味をどれくらい理解しているひとがいつでしょうか。社会秩序ではだめなのです。どれくらいのひとが認識できているかです。日々新聞を読んでいると現象を語っているだけで認識への道は遠く思います。

数合わせや対外的になど気にしてはいけない。むしろ内面の大事な問題なのです。