久々にブログを書く | さむたいむ2

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今日も元気で

実に1か月半ぶりにブログを書いてます。
これほど書くことから遠ざかったことはありません。
心の変化というよりも、ただただ疲れていたのです。
ひと月のアルバイトをしていて体力を消耗していたのです。
テレビ好きの私が録画したドラマを途中で眠ってしまう始末です。
目が覚めるとストーリーの繋がりが不確で、それでも内容は分かるという。
かといって消去してしまう。
 
当然本も読んでいません。新聞だって見出しを追うだけ。
これはたぶん疲労の所為だけではありません。
嫌な言葉だけど加齢でしょう。
集中力に欠けている。それにようやく気づいたのです。
しかし書くことに遠ざかったのは加齢のためでは断じてない。
私にとって書くことは思考することなのです。
書かなくとも人は思考しています。
今何をしようか、誰でも考えるでしょう。
しかしその「考える」と「思考」とは少し違います。
 
ただ考えるのは人間だけでなく家のハナだってしています。
猫は野生の本能で生きていますが、飼い猫は人間との折り合いに長けています。
思慮深いのは様子だけで本当は浅はかです。しかし生き抜く知恵がある。
もしかしたら私の上をいきます。
誰が我が家の実力者かしっかり見抜いています。
奥さんに叱られてもすぐに甘える。しっぽを踏まれても「にゃあ」といいつつ逃げません。
自分の母親と思っているのかもしれません。
そして私にはご飯を貰うためのスリスリを忘れません。
ただし、食べ終わるとさっさと行ってしまいます。
 
かくて猫でも人を見る。そういった「考え」はあるのです。
しかし「思考」ともなると面倒なことにも遭遇します。
迷い悩むことです。その重さに耐えきれないとき人は語り、書くのです。
このプロセスに不備が出ると人間はウツになるのです。
私は精神科医ではないので「たぶん」そう思います。
憂欝を感じても「ウツ」ではない。ウツになってしまう人は憂鬱さに取り込まれています。
そこから抜け出せないから精神科医が必要になるのです。
だから「思考」などと迂闊にいえない。ミイラとりがミイラに成りう兼ねない。
健康は大事です。身体だけでなく心の健康も鍛えておかなければいけない。
心にも筋肉が必要。柔軟な筋肉が。
 
たらたら書いてしまいましたが、ブログは私の心のトレーニングです。
書く意味などないけれど、意味を探すために書いているのです。