岩下尚史の『直面(ヒタメン)』はサブタイトル「三島由紀夫若き日の恋」でわかるように、三島29歳の時、歌舞伎座の中村歌右衛門の楽屋で偶然出会った10歳年下の女性との恋愛を中心に書かれたものです。
三島由紀夫は歌舞伎の『椿説弓張月』や『鰯売恋曳網』などの台本を書いた事でも有名です。なかでも歌右衛門を贔屓にしていています。楽屋で会った19歳の女性豊田貞子もまた歌右衛門を「おにいさま」と呼ぶほど親しかったそうです。実は彼女、赤坂のある料亭の娘でした。かつての置屋が料理を出すことになり料亭と様変わりしたのは戦後のことでしょうか。花柳界に疎い私は筆者の岩下氏に倣うほかありません。氏は新橋演舞場へ入社し、新橋花柳界の調査研究をなさったといいます。
また猪瀬直樹の『ペルソナ 三島由紀夫伝』を読み、そのなかに書かれた「X嬢」が若き三島の恋人であることを知り、伝手を頼って豊田貞子にインタビューを試みました。彼女の夫や三島夫人も鬼籍に入ったこともあり、もはや遠慮すべきものがいないので若き日の回顧を引き受けたのです。
この作品が雄山閣より出版されたのは2011年で、文春文庫化されたのは2016年です。50年余りの記憶がどれほど明確であるか。貞子さんの記憶を疑うつもりはありません。しかし出来事は明確であっても、その時々の思いを重ねた時間が修正を加える事を私たちは認識しています。また三島の作品をどれだけ自分に置き換えて読んだかによっても、あの3年間の思い出が新たに作り上げられる可能性もあります。
岩下氏はもうひとり証言者を用意しています。三島の『鏡子の家』の鏡子のモデルとされている湯浅あつ子です。あつ子さんは平岡家(三島の本名は平岡公威)との付き合いも長く、三島家と杉山家の縁を取り持ったとされています。まずは三島の妹美津子とあつ子さんの妹が同級生というところから始まります。腸チフスで妹を失った三島の心の拠りどころとしてあつ子さんは適任で、また杉山瑤子とのお見合いを勧めたのも彼女でした。三島にとってあつ子さんは世話好きの姉的存在だったのでしょう。また貞子さんと三島の付き合いも承知していて、三島の懐が心もとないとあつ子さんが貸してくれたといいます。三島はひと月のデートで7万円消費したといいます。
現在の金額で100万近いそうですが、貞子さんと毎日会って楽しませるには相当なものです。三島の徹底したサービス精神。いや本気に恋をしていたというべきです。ただ3年で実らず終わった恋。
貞子さんが夢中になったのは三島の誠実さにしても、毎日拘束される苦痛はあったはずです。三島もまたいつも連れまわすことに無理が出てきてもおかしくありません。料亭の娘とはいえ、夜遅くまで嫁入り前の娘が外出することを気にしない親はいません。三島とて二十歳前後の女性を結婚前提でなければ付き合いきれなかった。最初はそのつもりでも貞子さんにはその気がなく、いつしか都合の良い女になってしまった。また逆に3年も付き合っていて自分がどのような存在であるか気づいた貞子さんにとって、これ以上三島と逢瀬を重ねることが苦痛になってきたという。(どうしてもこのデート代は信じがたい)
いくら花柳界の近くにいる娘とはいえ貞子さんは年頃の女性であったのです。贅沢に身を浸しているものにとって、その贅に対して不感症になっています。また作家として注目されているとはいえ花柳界で遊ぶほど貯えのない三島です。月7万は負担が大きい。この儘続けるには決意が必要です。
ここまで書いていて私は気づきます。岩下氏は貞子さんやあつ子さんから何を聴き出したかです。
このふたりの女性は三島由紀夫でなく、平岡公威を見ています。岩下氏はそれが三島の「直面」というのでしょうか。能は面をかぶるだけでなく顔をさらすこともあるどうです。それが「ヒタメン」なのですが、素顔とは違います。表情を隠して舞う事と私は理解します。しかし岩下氏はそれを知りつつ、平岡公威の素顔をこのふたりの女性から聞き出したと思っているのではないか。それが「三島由紀夫研究」の一役を担っていると勘違いしていないでしょうか。
まるで「週刊文春」「週刊新潮」の記者に近い。ドキュメンタリーと称していながら「聴き込み」で終わっています。貞子さんのインタビューから三島の30代前後の作品とすり合わせをすることで、そこに貞子さんが存在したことを疑わない姿勢。ゴシップを作品に仕上げようとしています。また彼女たちの回想を都合よく文章にしています。
三島由紀夫の作品の愛読者ならばすぐ気づくことですが、ワイドショーに毒された視聴者にはそれをそのまま信じてしまいます。文春文庫だから許されることでしょうか?