コロナ禍で嫌な言葉が横行しています。
「自粛生活」ではなく「自粛警察」です。自粛を取り締まる人たちことですが、自粛は自ら進んで行うから自粛であって他人から強制されるものではありません。最近はテレビの出演者までその発言をSNSなどで炎上されています。
批判するものは皆匿名で、その趣旨もまた一方的なものです。
先日フジテレビの「グッディ」での安藤裕子氏の発言が物議を醸しています。京都で暑さのリポートしていた女性ディレクターが放送中、その暑さで言葉がしどろもどろになり、明らかに熱中症の症状と思われ、本人も途中でマイクをスタジオに戻そうとしたのですが、安藤氏はなかば笑いをまぜてリポートを続けさせようとしたことに対し、番組宛やSNS上にクレームが殺到したそうです。
たぶん安藤氏は女性ディレクターの急変に気づかなかったのでしょう。しかし高橋克実氏や倉田大誠アナは事態を察して女性ディレクターに休むようにいったのです。この違いが明暗をわけたのです。番組進行に気をとられた安藤氏にはこの事態が目に入らなかったのでしょう。すでに用意されていたレポートをしてくれると思っていた。そう解釈するのが普通です。それを無理にやらせたという批判は少し違います。
午前中取材をして体力の限界に達していたのでしょう。もし体調が悪るければ現場のスタッフに話すか、放送前にスタジオに申し出るべきです。それを責任感からかマイクを持ったのでしょう。番組が始まったらもう仕方ありません。なるべくしてなった放送事故です。それを安藤氏ひとりの責任とするのはおかしい。「自粛警察」ということから外れているかもしれなせんが、とかくこの手のクレームが目立つのです。
またもう一つ。先日亡くなった三浦春馬氏に寄せた勝村政信氏のメッセージに対して「どういう神経をしているのか?」というクレームがSNS上で騒がれています。『罪と罰』という演劇で共演した三浦氏と勝村氏。また共演仲間で三浦氏を悼む会を開き、寄せ書きの色紙とともに記念写真を撮ったのです。気のあった仲間の記念写真です。笑顔で送ろうという気持ちもあったのでしょう。不味い事にそのなかの女性3人がピース・サインをしていることです。これが不謹慎ということになる。
確かに勝村氏が公にした写真なら責められても仕方ないでしょう。氏自身このような形で世に出ると思わなかった。しかし彼の謝罪と釈明を読むと、この写真は会場のひとが投稿したもので勝村氏自身は知らなかったとか。それにしてもこうした寄せ書きや写真が不謹慎であることに気づかなかった自分が悪いと氏自身反省しています。でも仲間同士で笑顔で送ろうという思いは、この仲間でしかわからないです。事情を知らないひとが彼らに了解なく投稿することこそ不謹慎ではないか。さらに「カッチン(勝村)デカチン(三浦)」と呼びあう二人です。その事情を知らないものが、ただの言葉尻をもって批判するのか。
事情を知らないでただその良し悪しを批判するのは簡単です。私もこのブログで随分政治批判をしたものです。しかしその真相は簡単には分からない。芸能界のスキャンダルなら週刊誌に書かれたことをつい信じてしまいます。だから気軽に云えるのですが、政治に関してゴシップ記事は無効です。
政治家個人の心理までは掴めません。もちろん芸能人個人の心理も実はわからないのです。ここで言われるのが「有名税」。便利な言葉です。こうして分からなくてもあてずっぽうでいうのです。ゴシップ週刊誌の言い訳でもあります。「表現の自由」「知る権利」の強要です。
勝村氏は謝罪と弁明をしたのですが、安藤氏は翌日の番組でも一切触れなかった。それがさらにSNS上で炎上しています。これこそ「自粛警察」。謝罪、弁明をしないことへの批判です。嫌な世の中です。不倫をしても謝罪、弁明を要求されます。でもそれは一体誰のためのものでしょうか?