映画『鉄道員(ぽっぽや)』のDVDを観る | さむたいむ2

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今日も元気で

 

 

映画『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年)のDVDを観ました。

これで『居酒屋兆治』(1983年)『駅(station)』(1981年)と降旗康夫監督、高倉健主演の作品を3作観たことになります。

 

原作は浅田次郎で直木賞受賞(1997年)していますが、映画の出来は原作を凌いでいます。

D51の機関士だった佐藤乙松(高倉健)が廃止寸前のローカル線「幌舞線」の終着駅「ほろまい」の駅長となり、彼も定年まじかで予定より早めに廃止が決まります。

 

国鉄がJRになり赤字線が次々に廃止となるのは仕方のないことです。しかし佐藤乙松は最期まで鉄道員としての仕事を全うします。雨の日も雪の日もただひとりで「ほろまい駅」を守っています。父親も鉄道員でした。その遺志を彼も継いだことになります。結婚して17年目に得た子供は娘でした。雪の日に産まれた娘の名は「雪子」です。しかし生後2か月で風邪をこじらせ亡くなりました。鉄道を守る彼には娘の死に目にもあえません。また娘に引き続き妻も失います。不幸続きの乙松ですが仕事一筋の男でした。

 

不器用な男を演じる高倉健。佐藤乙松は彼自身です。そして正月に3人の少女が乙松に会いに来ました。最初は古い人形をもった小学前の少女です。彼女はその人形を忘れていきます。その日の夕方、今度は小学6年生の少女が妹の忘れた人形を取りにきます。しかし彼女もトイレを借りて、乙松の温めてくれた牛乳を飲み、それを口移し(キッス)して帰ってしまいます。そして最後に現れたのが17歳になる「雪子」でした。そう亡き娘が3度会いに来たのです。そして乙松に鍋料理をこさえ、娘としてできなかったことを果たします。

 

乙松は決して不幸ではなかった。亡き妻、娘が彼をずっと見守り、そして迎えにきたのです。

 

そして翌朝、駅のホームに乙松は倒れていました。

 

 

まるで「夢幻譚」のようです。しかしこれは降旗康夫のリアリズムです。

ありえない話などないのです。コロナ禍の世の中。志村けんが筑豊から来た炭鉱夫を演じていました。余所者の彼は炭鉱夫仲間から嫌われていました。料簡の狭い世の中は今も昔も変わりません。

そもそも幌舞線は炭鉱で栄えた鉄道でした。栄える時もあれば廃れる時もあります。

 

乙松は幌舞線のなくなった後、この駅はどうなるかと訊かれた時、こう応えます。

「また原野に戻るのだ」と。

 

はたしてそうでしょうか。

 

人間は自然を破壊して鉄道を敷いて街を作ります。鉄道は廃線し、街を壊し、原野に戻すことができるでしょうか。一度壊した自然は戻りません。「原野」は乙松の夢です。

きっと人間は古い街を壊し、新たな街づくりをするでしょう。それも「リゾート」という名の新たな街を。