村上春樹の短編集『一人称単数』その5 | さむたいむ2

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「ヤクルト・スワローズ詩集」は先にあげた「ウィズ・ザ・ビートルズ」と共に、2019年の「文學界」8月号に発表されたものです。

 

ネットで調べると、村上春樹がスワローズの「名誉会員」に選ばれた際、ファンクラブの会報にメッセージを寄せ、この「詩集」にもふれています。というより、このメッセージが短編小説「ヤクルト・スワローズ詩集」の原型となっています。

 

実は短編小説というよりエッセイではないでしょうか。「僕」という主人公がより春樹氏に近く、もし小説と呼ぶなら「私小説」ではないか?

 

ここで「右翼手」「鳥の影」「外野手のお尻」「海流の中の島」と4つの詩を紹介していますが、この「詩集」は1982年『羊をめぐる冒険』を書き上げる少し前に、500部自費出版したとあります。どうもこれが嘘くさい。印刷所を経営している友人に頼んで安く作ることができたと春樹氏はいっていますが、この時期の春樹氏だったら自費出版でなく、どこかの出版社が名乗りでるはずです。ただ「詩集」と呼べるものではないというのは本人も了解しています。神宮球場の芝生の外野席(当時はあったのです)でビールを飲みながら観戦し、ふと思いついたことをノートに書き留めたもので、「心の思い」を文章にしたものです。「思い」を詩に託したという方が正確でしょう。

 

春樹氏は父親と一緒に観に行った「甲子園球場」についても語っています。そもそも神宮も甲子園も野外グランドです。ドームにはない解放感があります。ただ父親が大の阪神ファンで、それも負けた時の不機嫌さに子ども心にも抵抗を感じていました。関西育ちの春樹氏のなかにも「六甲おろし」が流れているはずです。しかし早稲田に入るため東京へ出てきて、歩いてすぐいける神宮球場に行かないわけはありません。「六大学野球」の聖地である神宮の杜にある野球場。ここで「黒ビール」を飲むのが最高の気分であったといっています。

 

「生」や「ラガー」でなく「黒ビール」というのがいかのも春樹氏らしい。高校生のバイトらしい男の子が「すみません、これ黒ビールなんですが」と謝るのを「謝ることはないよ。ぜんぜん」といい、「だってずっと黒ビールが来るのを待っていたんだから」というと男の子は嬉しそうににっこりしました。この二人の空気感。売り子と客の会話は、やはり野外グランドならではのことです。ドームの空調では味わえないビールです。(私個人の好みは「黒」ではなく「一番搾り」ですが・・・・)

 

この「詩集」は簡素な造本ながら、ナンバー入りの500部サイン入りだったのですが、実際に売れたのは300部で、あとは知り合いに配り、春樹氏の手元に残ったのは2冊という。これが今貴重なコレクター・アイテムになって驚くほどの高値がついているととか。「もっとたくさんとっておけば金持ちになれたのに」という本人の弁。ここまで言うと嘘もバレバレです。

 

そのようなわけで「エッセイ」ではなく「短編小説」となったのでしょう。たぶん「ファンクラブ」の会報も同時に掲載すれば良かったと思うのですが版権があって無理だったのかもしれません。

 

ひとつ気になったのは「ヤクルト・スワローズ」は球団70年の歴史のなかで、幾度か球団名が変わっています。春樹氏は「サンケイ・アトムズ」からファンになったように書かれていますが、私より3歳年上の氏だったら、何といっても「国鉄スワローズ」が最初です。球団経営が「国鉄」「サンケイ」「ヤクルト」と変わりましたが、「国鉄」の金田正一を忘れては「スワローズ」を語れません。もしかして彼のことが好きでなく、わざと「国鉄」の名を省略したのでしょうか?

 

やはりこれはフィクションとして読んだ方がいいのかもしれません。