村上春樹の短編集『一人称単数』その4 | さむたいむ2

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村上春樹の最新短編集『一人称単数』の4作目である「ウィズ・ザ・ビートルズ」は、前作の「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」とは違ってビートルズのことを主体に語られてはいません。

著者の言葉を借りればビートルズはその時代の「壁紙」のようで、それは彼が高校時代に廊下ですれ違った少女。彼女はビートルズのセカンド・アルバムのジャケットを大事そうに抱えて歩いていました。名前も知らず、スカートの裾を翻し、その姿は美しく、すれ違った時素晴らしい匂いがしたという記憶です。

 

彼女はビートルズと同じく春樹氏の青春の象徴かもしれません。

 

「かつての少女たちが年老いてしまったことで悲しい気持ちになるのはたぶん、僕が少年の頃に抱いていた夢のようなものが、既に効力を失ってしまったことをあらためて認めなくてはならないからだろう。夢が死ぬというのは、ある意味では実際の生命が死を迎えるよりも、もっと悲しいことかもしれない。ときとしてそれは、ずいぶん公正ではないことのようにさえ感じられる」

 

この小説で春樹氏は少女とまるで夢のなかで出会ったような、いや彼の青春そのものとして語ろうとしているのではないでしょうか。

 

「もしビートルズのジャケットを欠いていたなら、僕を捉えた魅惑も、そこまで鮮烈なものではなかったはずだ。しかし本当にそこにあったのは、音楽を包括しながら音楽を超えた、もっと大きな何かだった。そしてその情景は一瞬のうちに、僕の心の印画紙に鮮やかに焼き付けられた。焼き付けられたのは、ひとつの時代のひとつの場所のひとつの瞬間の、そこにしかない精神の光景だった」

 

ただ不思議な事に、春樹氏はこんな言葉だけでこの小説を終わりにしません。さらなる少女のことを語ります。サヨコという名の小柄でチャーミングな少女。初めてのガールフレンド。そして「もう少し親しい関係になった最初のひとり」と告白しています。彼女はビートルズの音楽やジャズには関心がなく、マントヴァニーとかパーシー・フェイス楽団といったイージーリスニングが好きでした。

 

「1965年の夏について僕が思い出せるのは、(サヨコの)白いワンピースと、柑橘系のシャンプーの香りと、とても頑丈なワイヤ付きブラジャーの感触と、パーシー・フェイス楽団が流麗に演奏する『夏の日の恋』」でした。さらに当時の担任の教師のことが付け加えています。社会科の教師である彼は数年後、自宅の鴨居にロープをかけて首を吊ったという。

 

春樹氏の「生と死」のテーマは繰り返し語られます。サヨコもまた他の男と結婚し、ふたりの子どもを残して自死しています。それは18年後にサヨコの兄と偶然出会い、聞いた話です。サヨコと付き合っていた頃、一度だけ彼女の兄と話したことがあります。彼女をデートに誘いに行ったのですが不在で、待っている間、少しだけ彼女の兄と話したのです。当時彼は、「遺伝的疾患」で記憶が飛ぶという奇妙な病に罹っていました。サヨコがあまり兄のことを話したがらない訳がわかりました。

 

さらにたまたま「僕」が持っていた現代国語の副読本にある芥川龍之介の『歯車』の一部を兄に朗読させられたのです。ここにも「死」の匂いがします。ただ死んだのはサヨコであって彼女の兄ではありません。「遺伝的疾患」というところに引っ掛かるものがあります。

 

「ウィズ・ビートルズ」というアルバム。名前を知らない少女。そしてサヨコの自殺。これらすべて悲しい記憶です。