対談上野千鶴子x江藤淳「日本の家族」 | さむたいむ2

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江藤淳が亡くなって20年経ちました。いまようやく江藤の業績を顧みる企画が行われています。世間はその死が自殺であり、およそ自死することから遠いい作家だっただけに、三島由紀夫の死と違った衝撃を受けたものででした。

5月に横浜の県立神奈川近代文学館で行われた「江藤淳展」を観た私は、それ以降再び江藤の作品を読んでいます。ただ今までとは違った視点で読んでいるのです。以前にも挙げましたが講談社文芸文庫『成熟と喪失 母の崩壊』の解説に上野千鶴子が書いたことで、この意外なふたりの接点は「家族」にあることを知り、フェミニズムを通して江藤を探るのも有りかなと思った次第です。

およそ江藤淳からフェミニズムを探ろうとすると、古くは漱石の義理の姉登世に対する言及、小島信夫の『抱擁家族』への批評、そして『一族再会』における母廣子への追慕、亡き妻に捧げた『妻と私』による孤独、最後は未完になってしまった『幼年時代』で再び母を思う。たぶん江藤の頭の中にはいつも若くして亡くなった母がいて、それが学生時代知り合った妻慶子へと繋がるフェミニズムではないでしょうか。

およそ保守としての論壇を張りながら、その内面では母妻を思う優しさを隠さない江藤の潔さがあるのです。上野千鶴子は『成熟と喪失』でそんな江藤を見抜いていたのかもしれません。河出書房新社から出版された『江藤淳 終わる平成から昭和の保守を問う』のなかに掲載された対談(「群像」1995年2月号)で「日本の家族」は異色ともいえる二人の共通項を見出しています。

この対談は『成熟と喪失』で江藤が同時代の文学を取り上げて、時代の転換期を批評したことを上野が認めていることから始まります。しかしそれ以降30年経っても、いまだ『成熟と喪失』のような「時代批評」が現れていない不満をふたりは語っています。

当時小島の『抱擁家族』について座談会「文学の家庭と現実の家庭」(「群像」1965年10月号)の中で伊藤整がアメリカの夫婦というのはいちいち「愛している」といったりしなくちゃならなくて大変面倒なものだ、我々日本の夫婦はもっと一心同体で、妻の苦しみが自分の苦しみなのだというのに対し、江藤は、それは要するに妻がかわいいんじゃなくて、自分だけがかわいいんでしょうとすかさず切り込んでいたことを上野は覚えていました。

この座談会の全貌がわからないので伊藤整の家父長的発言に対し、江藤の切り込み方の鋭さを窺い知ることはできません。アメリカのプリンストンで2年間過ごしてきた江藤と日本の文壇に君臨している伊藤整とでは見方が違うのは当然でしょう。新しい文学に接するには古い観念は通用しないのです。しかし観念に新しい古い本来ないのです。いわゆる視点を何処に置くかでしょう。なかなか難しい問題です。

また『成熟と喪失』のなかで吉行淳之介のことを江藤が論じていることについて上野は『男流文学論』で吉行に対し「私怨」を晴らすために書いたといっています。それは吉行ファンであった同世代の男たちに惨憺たる目に遭ったことからのことで、吉行からセクハラを受けてはいないと断っています。そもそも上野が社会学を専攻したのは近代に対する「私怨」を晴らすためとまで言い切っています。そして江藤は「それがなかったら、学問に迫力なんかでるわけはない」と賛同しています。

この異色の対談は意外なほど波長があって、むしろ「世間で物議を醸しだしますよ」と上野がいうと、すかさず江藤は「いや、物議を醸してまたお互い闘いますよ。示し合わせていりみたいだ」と和やかな対談です。