寺山修司の『家出のすすめ』を読む | さむたいむ2

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単発的に寺山修司の『家出のすすめ』を書いてきました。
この角文庫の初版は昭和47年3月25日です。このことをまず頭に入れて読むべきでしょう。さらに寺山がこれを書いたのが遡ること10年前の27歳と時です。そのことを無視して読むといささか不具合が生じます。
 
寺山は「家出」の啓蒙書としてこれを書いたわけですが、その為に家出してきた少年たちが彼の元へやってきて住みついたりして、「家出」が言語レベルから実践レベルに移行したと「あとがき」で書いています。こういった物騒ぎなものは現代では即批判の対象になるでしょう。もちろん当時も彼のやり方に否定的な意見も多かったはずです。彼の書いたものを読んで実際に家出してきた少年たちがいたからです。
 
大人が「家出」してもそこには悲壮感とコミカルがないまぜになっています。しかし未成年の子供たちが「家出」をすることは「自立」の第一歩を示しています。それは危険と裏腹にある希望があるからです。子供が家出して大人が心配するのは身を案じるからです。しかし子供は希望に眼を奪われ危険などそれほど感じないでしょう。だが「家」から出て見て初めて自分が如何に親から保護されていたかを気づくのです。
 
地方から出てきた子供は住むところから探さなければいけません。家出少年、少女と分かって誰が住むところを提供してくれるでしょう。多少の小遣いだけでは野宿しかありません。彼らが寺山を頼るのは当然のことです。しかし限度があるでしょう。
抱えきれない訪問者をどう対処したのかはこの本には書いていません。しかし彼は「ドキュメンタリー家出」という本を編集したそうです。
 
この『家出のすすめ』一冊読んだだけでは分からないことが沢山あります。誰でも一度は「家出」を考えたことがあります。親との対立。退屈な日常からの脱出。思春期の情緒不安定が家を出て「自由」を夢見るわけです。私もありました。しかし自立する術を知りませんでした。親元を離れてまで「自由」を求めようだなんて思いもしなかったのです。自由は想像のなかにあると少しずつ分かってきました。私は本に助けられたのだと今では思っています。
 
寺山は『書を捨てよ、町へ出よう』という本も書いています。内容はこの『家出のすすめ』とほぼ同じと「立ち読み」で思いました。何も書を捨てなくても良いのではないか。私は町にでる時でも一冊は本をもってでます。寺山のこの本は捨てることができても漱石の本は捨ることは出来ません。(もちろん寺山の云わんとしていることは「家」に固執しないで「町をでる」ことに重きをおいているのですが)
 
「家制度」は変わらず今でも現存しています。核家族化しても親兄弟の血筋は切ることはできないでしょう。ただ「家」を守る制度に変化が出てきています。たとえば長男が「家」を継ぐことが当然のように思われ、男の子がいない家庭は長女に養子を迎えるという、そのこに住むひとでなく「家」に重きを置いた時代はもう影を潜めています。さらに子供のいない家庭は養子縁組までして「家名」を守りました。
 
不況時には「家」を守るために子供を口減らしのために養子に出す家もあったのです。漱石のように「恥捨てっ子」といわれ晩年の子は蔑ろにされました。もっとひどいのは「間引き」や老人までもが「姥捨て」されていました。これは「家」を守るための極限でしょう。最近の「子供虐待」や「老人殺害」などをみると現代の不況が形を変えてやって来たように思われます。これもまた「家制度」の変調とみていいでしょう。
 
親への反発。反抗期は避けることは出来ません。しかし「家出」したからといって思春期のもやもやが解消できるのでしょうか。子供は自立する時まで親元に居るべきです。未成年が働ける場所はかなり広くなりました。しかし親の承諾がないとアルバイトもできないでしょう。未成年と承知して迎え入れてくれる仕事は犯罪に繋がるリスクがあります。そんな危険を冒してまでも子供が家を出る必要があるでしょうか。
 
親子喧嘩が絶えないにしてもそこから少しずつ「親離れ」「子離れ」していけばいいのです。甘えがあるから反抗できるのです。寺山修司にはそもそも「家」などなかったのす。過酷な少年時代を青森で生きてきました。ある意味彼は「家」を捨てたのでなく「家」から捨てられたのではないかとこの作品から読みとりました。捨てられたのならそこから出発するしかありません。しかし「捨てる」と「捨てられる」との間は深い溝があります。むしろこの深い溝を私たちは考えなければいけないでしょう。「家出」するまえにしなければならないことがまだ沢山あるのです。
 
不運というものは実在しない想像の上のことです。困難は時が解決してくれると楽観して構わないのです。自立できたとき「自由」でなく、新たな困難にまた遭遇します。それに負けない「体力」をつけておくべきでしょう。「家出」を考える暇などありません。寺山修司の『家出のすすめ』を現代はそういった眼で読むと有効です。