休日に何をするか | さむたいむ2

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今日も元気で

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休日が週の始めか終わりかどちらにしろ、休みを如何に過ごしたかによってその週の出来が私の場合決まるようです。月に一度連休が入ります。これは使い切れない有給休暇を予め年間計画のなかに入れるため、それこそ班の全員が希望をだして班長が組み立てるわけですが調整が難しいと思い、すべて班長にお任せしたら月に一度3連休にしてくれました。でもこれに慣れると週休3日は時間を浪費してしまうので考えものです。
 
思えば若い頃はあれほど休みが欲しかったものの果たせず、いまになってこうして休日をどう過ごすか?などと考えることの皮肉はないのです。私が仕事に就いたときは週一が当たり前でした。それもレコード店などのサービス業は年中無休で日曜日以外を交代で休むわけです。アルバイトが辞めたりして忙しい時はそれこそ月一休めれば良い方でした。40年ほど前の零細企業はどこでも同じような状態だったのでしょう。しかしバブルが弾けた途端、週休2日制を政府が推進し始めました。欧米に比べて日本人は働き過ぎだと方針転換です。
 
思えば休みを有効に使うことに慣れていないのです。また有効ということがどういうことかも分からずに、ただただ時間を無駄に過ごしてきた私でした。たぶんフンダンに(絶対あり得ない前提ですが)お金があれば海に山に遠出をして散財するに違いありません。旅行して食べ歩きなど悪くない。しかし実際はモトデもなく計画のしようがありません。子供も成人し手が掛らなくなって、いざ夫婦で水入らずと思いきや奥さんは「勝手に行けば」と冷たい返事。
 
でも「ひとり旅」も悪くありません。老後は「矢立て」をもって芭蕉気どりで旅に出ようかと思いつつ、果たして体力がその時あるかどうか不安です。結局やるなら今しかありません。そのためにも貯えが必要です。そう思いつつも私の休日はちょこまかした浪費の日々となるのです。
 
止せばいいのに午後、近所のBOOK・OFF2軒のハシゴをしました。奥さんのギター教室があり、その送り迎えの空き時間があるのです。これほど尽くしているのに「勝手に行けば」はつれないものです。もちろん奥さんの言い分もあるでしょう。「毎日好き勝手して週2回のギター教室の送迎は当然でしょ」くらいは間違いなく思っています。だから嫌な顔をせずいそいそと送迎させてもらっているのです。(ああ、こんなんで本当に「ひとり旅」は可能でしょうか?)
 
またBOOK・OFFには既存の書店にない面白い本があるのです。それを探すのも楽しみのひとつですが、これを続けて行くと私の部屋は古本だらけになるでしょう。
女性がストレス解消に洋服を買うようなもので箪笥のコヤシになってしまいます。
本も読まなければただの紙屑です。さらにストレス解消で買った本が読めずにいるのもまたストレスになります。だから書店やBOOK・OFFには近づくまいと決心しても薬物中毒患者のように行ってしまいのだから情けない。
 
そして見つけ出したのが寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』(角川文庫)。『家出のすすめ』で終わりにしようと思ったのですが108円に釣られて買ってしまいました。これが切っ掛けとなり手を出したのは中毒患者のツネです。堀江敏幸の『めぐらし屋』(新潮文庫)も108円です。あんなにケナシた作家ですがやはり気になるのです。『雪沼とその周辺』から始まり『おぱらばん』『なずな』まで手に入れてまだ読まず終い。調子に乗って次のBOOK・OFFで高橋源一郎の『ニッポンの小説 百年の孤独』(文藝春秋)510円を購入。やはり病気でしょうか?
 
でも高橋源一郎の小説は読まないけれどもこの手の文芸エッセイは面白いのです。
彼も相当の読書家で(商売だから当たり前?)綿矢りさを教えてくれた感謝もあり、なるべく読むようにしています。風貌が札幌出身の友人に似ているのでそれも親近感があるのです。その友人、6年前にB型肝炎で亡くなりました。それを知らされたのは3年前のこと。音信不通はそのためだったのです。ふたりでよく行った喫茶店のマスターが教えてくれたのです。私が転職したために会う機会も少しずつ少なくなっていました。3年前に彼に会おうと、その喫茶店に行けば連絡先がわかるかと尋ねたら彼の死を聞かされたのです。思えば彼も読書家でした。そしてゲームも得意でファミコンの「グラディウス」を完全攻略し、まだ幼かった私の長男は尊敬していたものです。
 
私はいまだに彼がいないとは信じられません。疎遠になったのはお互いの怠惰の所為にしても彼が自分の病気を知らせなかったのは彼の「やさしさ」だと思っています。私にはどうすることもできないと知っていた彼です。だから私もきっと何処かに彼が居ると思うようにしています。喫茶店のマスター夫妻は札幌の彼の実家から知らせを受けて葬儀に参列したそうです。これも彼の律義さでしょう。呼ばれなかった私は仕方ありません。でもそういう付き合いであったことは認めています。
 
高橋源一郎には全く関係ない話ですが、こんなことも人生あるのです。だからこそ休日は無駄に過ごせません。かといってガチガチにやったところで多寡がしれています。だから責めても「休日に何をするか」くらい考えないと駄目でしょう。たとえ繰り返しにしても考えることを放棄出来ません。いつも同じ結論です。