ドイツは4分割占領ブログ書き
支那イギリスは辞退ブログ書き

大東亜戦争敗戦後の1951年サンフランシスコ講和会議において戦勝国である連合軍は、日本に対して厳しい賠償と制裁措置を求めました。

その中で出た日本の分割統治計画とは、第二次世界大戦において、ドイツが降伏後米・英・ソ・仏4カ国に分割統治されたように、本土決戦後の日本も北海道・本州・九州・四国を連合国それぞれが統治しようとした計画でした。

図は当時最終的に固まった米英中ソの4ヶ国での分割統治の案です。

ソ連(赤)  :北海道/東北
アメリカ(青):関東/中部/関西/沖縄
中国(茶)  :四国
イギリス(緑):中国(地方)/九州

米英中ソ   :東京
米中     :大阪

分割統治計画については、1977年放送の「NHK特集 日本の戦後 第1回 日本分割 知られざる占領計画」でも特集されており、NHKオンデマンド(有料)で視聴できます。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012044949SA000/

この計画が廃案となった理由にはいくつかの説がありますが、当時のセイロン(現スリランカ)の代表J・R・ジャヤワルダナの感動的な国連演説が、分割統治から日本を救ったと言われています。

この国連演説が、当時日本に厳しい制裁措置を加えようとしていた諸外国代表の心を打ち、当時日本に厳しい制裁措置を加えようとしていたソ連による反対を押しきり、日本の国際復帰への道につながったとも。

サンフランシスコ講和条約締結後、世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのもスリランカでした。

この内容は2013年07月13日放送の「世界ふしぎ発見! ~75分スペシャル!今解かれるスリランカの封印」でも放送され話題となりました。